モリッシーはなぜ「毎日が日曜日みたい」といったのか


モリッシーの『Bona Drug』が、今年20周年ということで再発される。それにともなって、収録曲から「Everyday Is Like Sunday」がリマスターされ復刻シングル・カットされるそうだ。

もともとは、ファースト・ソロ・アルバム『Viva Hate』に収められている本曲は、セカンド・シングルとしてトップ10ヒットを記録した後、このコンピレーション・アルバム『Bona Drug』にも収録された。『Bona Drug』は、なかなか形にならないセカンド・アルバムの代わりとしてリリースされたコンピ盤で、そこに引っ張り出された格好となった。

けれど、セカンド・アルバム模索期の記録として、単発シングルのABサイドなどを集めてできたこのコンピ『Bona Drug』は、『Viva Hate』が引きずっていたザ・スミスの残像から離れ、ソロ・アーティスト=モリッシーの独自なスタイルを構築していく創作意欲の高まりにむせかえるようなアルバムとなった。アルバムとしてはこの作品にしか収録されていない「November Spawned A Monster」など、モリッシーの異形性をいまなお突出して伝えるナンバーが生まれたのはこの時期でもある(今回の復刻シングルのBサイドには、未発表だったその別バージョン「November The Second」が収録予定)。

さて、「Everyday Is Like Sunday」である。モリッシーのソロ初期を代表するこのナンバーは、ポップ・ソング・マナーを完璧に踏襲しつつ、時代を覆っていた憂鬱をモリッシーならではの言い回しで表現した名曲だ。

それは、何もはじまらない、という気分だった。そして、何かが重くのしかかってくる、という気分でもあった。この時代は、そうした気分だけがリアルだったのである。何の変哲もない海辺の町。毎日がまるで日曜日のように、静まり返っていて、どんよりとしている。そこで主人公は、「核爆弾よ、降ってこい」と願う。みな、消えてなくなればいいと祈る。そこにあるのは、世界への言いようのない憎悪だ。こんな世界なんて無意味だという極限の諦めだ。そんな思いを、この歌は途方もなく美しい調べとして提出する。不謹慎極まりないそのような思いだけが、リアルであり、つまり、美しいからである。そしてその美しさの向こうで、そのような破壊衝動を唯一許してくれる音楽としてのロック・ミュージックの偉大さが、露になる。僕はいまでも、この歌のことをどうしても拒むことができないままだ。