三浦大知のスキルとセンスが炸裂。「球体」独演の世界同時フル上映が必然だった理由について

「凄い」というより「怖い」という方が、「感動」というより「戦慄」という方が近いかもしれない。12月23日にYouTube Premieresで世界同時フル上映された、三浦大知の「球体」独演を観終えた後の率直な感想である。

この公演は三浦自身が演出、構成、振付を手がけ、Nao'ymtが全曲プロデュースしたアルバム『球体』の17曲を曲順通りに一人歌い踊って披露する、というもの。そもそもこのアルバムは聴き手が受け止めきれないくらいの濃厚な喪失の物語となっていて、そのアンビエントな音像や文学的な歌詞には、到底掴みきれないくらいの幾重にも重なる伏線や暗号が潜んでいる。そこからイメージとして浮かんでくるのは、(あくまで一例だが)「あの世」の存在や輪廻転生、またそんな「輪」を背負った生きものの集合体である地球/世界といったもので、この世界にまつわる大きな「輪」や「球体」の存在を感じさせるような作品とも捉えることができる。


そして今回のステージにも、そんな曲の世界に触れるようなシーンやモチーフが多々登場する。“円環”での浮遊する巨大な謎の輪っか、“対岸の掟”でのCDケースを蝶のように羽ばたかせる三浦の仕草、“綴化”での消えかかる電球の下で披露される三浦の激しいダンスと、数多の小花や真っ赤な大輪の花が咲き誇るスクリーン。どの場面を観ても驚きと美しさの連続で息を呑みっぱなしだし、かつその一つ一つの動きすべてが命の真理に繋がっているような気がして鳥肌が立ってしまう。三浦はこんな深遠なテーマの作品に、パフォーマンスだけではなく組み立てから携わっているのだ。歌とダンスだけでも破格なのに、クリエイティビティの底知れなさもまた、恐ろしいほどである。

そう、パフォーマーとしての演出も言わずもがな最高だった。間奏で見せる狂ったようなコンテンポラリーダンス、しゃがんだ状態ながらも滞りなく流れるように繰り出される足の動き、魚の泳ぎを模したような両手の美しい揺らめき……など、彼のダンスには一切のノイズや無駄がなく、見ているだけで感嘆のため息が漏れてしまう。また《印などいらない/保証などいらない/ただ自分でいたいだけ》という“飛行船”での切々な絶唱には心が震えたし、このアルバムで唯一幸福感漂う“世界”のソウルフルな歌には、それまで演出されていた喪失感をも受け入れるかのような美しさと慈愛の心を感じ、つい涙ぐんでしまった。歌とダンスに誠実な彼の人となりが滲み出たパフォーマンスだと思った。

ディープなテーマを掲げたステージの演出、構成、振付を手がけ、それをハイスキルな歌やダンスで緻密に体現するという飛び抜けた頭脳とセンスと肉体を兼ね備えている三浦大知。そんな彼の現在の才腕が遺憾なく発揮された「球体」独演が、今回世界同時フル上映されたのはきっと必然的なことだろう。なぜならこの公演は、もう内輪には仕舞っておけない、世界にもっと触れられるべき才能がここにあるということを証明する決定的なライブだったからだ。

ちなみに今回上映された「球体」独演は、今年7月にリリースされたアルバム『球体』に映像特典として収録されている。見逃してしまった方はぜひチェックを(「球体」の特設サイトでも映像の一部を観ることができます)。(笠原瑛里)
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