クリープハイプのCM曲“ニガツノナミダ”が尾崎世界観にしか書けない「ラブソング」であることについて

クリープハイプのCM曲“ニガツノナミダ”が尾崎世界観にしか書けない「ラブソング」であることについて
クリープハイプが、ソフトバンクが展開する「♬SoftBank Music Project」の新テレビCM「バレンタイン」篇に、楽曲“ニガツノナミダ”を書き下ろし、CMとともに話題となっている。

「♬SoftBank Music Project」とは、現代を生きる人々の生活に欠かせない「音楽」を主役としたものとのことで、「音楽とスマホで、僕らはもっと自由になれる。」というメッセージのもと、さまざまなアーティストとのコラボレーションによるコミュニケーションを展開していくというもの。
今回の新CMは、「速度制限に、しばられるな。」をコンセプトに、バレンタインとスマホにまつわる悲哀をクリープハイプが楽曲にし、広瀬すずが「やけ泣き」女子を演じている。

CMの30秒で流れる“ニガツノナミダ”。その歌詞はまさしく、チョコを渡せなかった女子が気晴らしに動画を見ようと思ったら速度制限がかかってしまい、やけ泣きしながらWi-Fiスポットを探し回り、挙句の果てには周りに何も無い一面の雪原に迷いこんでしまうという、バレンタインの悲哀と速度制限での不便による悲哀が表現されている。

しかし、そこはクリープハイプ。それで終わるわけがない。
この曲のフルバージョンのMVを観て、そしてその歌詞をご覧になっただろうか。
観てない人は今すぐ観てほしい。30秒以降に、クリープハイプの真髄が表れている。


CMで流れる30秒が終わると、それまでポップな雰囲気だった曲調が一気にシニカルな印象に変わる。
《やりました よくできました》、《30秒真面目に生きたから 残りの余生は楽しみたいなら》——つまり、そういうことだ。CMのコンセプトに合わせた「綺麗な」クリープハイプを真面目に生きたから、残りの尺はいつものクリープハイプらしさ全開で歌っているのだ。

《しばられるな もうしばられるな でも「しばられるな」にしばられてる》とは、CMのコンセプトにしばられて楽曲を制作した自分自身。
CMの30秒だけ観ていたら、CMに沿った「真面目な」歌詞だから《あいつ魂売りやがったって》と思う人もいたかもしれない。しかし自分の魂なんて、速度制限にしばられることもなく《使い放題だから安心》なのである。

《結局欲しいのは 他人の評価で/締切に抱きしめられて 制約にくるまって眠る/それはそれで悪くないから ここはここ》。
CMに楽曲を書き下ろした際のコメントで、「しばられたくないものは?」という質問に対し尾崎世界観(Vo・G)は、「逆に僕はしばられたいですね」、「今回、新テレビCMをやらせていただいて、しばってもらえるのはいいなと思い、そういう曲にしました。ネガティブな意味ではなく、『しばられるな』ということにしばられたので、すごく楽しく、有意義な時間を過ごせた気がします」と答えているとおり、「制約にしばられた苦痛」という状況すら愛して、クリープハイプなりの天邪鬼な表現で歌った「ラブソング」が、今回の“ニガツノナミダ”なのだ。

過去には《社会の窓の中でイク 夜は窮屈過ぎて/最高です》(“社会の窓”)と歌ったクリープハイプ。様々な状況にしばられることに理不尽を感じつつも、それすら受け入れ、愛して楽しんで、率直な想いを恥じらわずに歌う。それがクリープハイプだし、今回の“ニガツノナミダ”も、クリープハイプなりのラブソングとして、CM曲という2分弱の短い中でも《ここはここ》と、「しばられた」中で楽しんで自分たちの色を出せたということがわかる楽曲になっている。
この意図をCMで流れる部分以降に持ってくるあたり、期待を裏切らないというか、やっぱりクリープハイプだなと思う。このことをわかってCMを観ると、きっと違った見方ができると思う。バレンタインには「やけ泣き」せずに、クリープハイプの愛に包まれてみてはいかがだろうか。(中川志織)

  • クリープハイプのCM曲“ニガツノナミダ”が尾崎世界観にしか書けない「ラブソング」であることについて - 『ニガツノナミダ』

    『ニガツノナミダ』

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