米津玄師は“海の幽霊”まで空想世界をどう歌い描いてきたか?

  • 米津玄師は“海の幽霊”まで空想世界をどう歌い描いてきたか? - photo by 山田智和

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映画『海獣の子供』の主題歌である米津玄師の新曲“海の幽霊”が先日配信リリースされた。映画の特設サイトに掲載されている『海獣の子供』の原作者・五十嵐大介との対談インタビューによると、米津は幼少期に「海の生き物図鑑」でダイオウイカが獲物に向かって触椀をのばしている絵を見た際にショックを受け、以来それが忘れられず、今でも夢に見ることがあるという。

そういう原体験が影響しているのか、米津の楽曲には空想の世界・生物を描いたものが多い。

元々、米津玄師名義での活動を始める前の、ボカロP・ハチ名義の楽曲はファンタジー要素のある曲が多かった。米津の描くファンタジーはシニカルである一方、どこかで人の温もりを求めていたりもする。ボーカロイドの人工的な声質はそれを表現するのにうってつけで、初音ミクや巡音ルカが歌うことにより、各楽曲の奥底にある得体の知れない恐怖感が増幅することもあれば、その逆に、孤独感や切なさが浮き彫りになることもあった。

2012年リリースの1stアルバム『diorama』から自らの声で歌うようになった米津玄師。それ以降も彼は楽曲を通して空想の世界・生物を描き続けた。

そういう曲の場合、例えば“Black Sheep”(『diorama』収録曲)や“ホラ吹き猫野郎”(2ndアルバム『YANKEE』収録曲)がそうであるように、米津は、不協和音や歪なリズム、呪文のようなカタカナ語など、一風変わった音選びで以って異形の生物のヘンテコさを表現していた。一方、《なんとも歪な 形で生まれて/成す術なんてなかったけど/あなたによく似た 心があるのさ/それさえ確かであればいい》と歌われる“首なし閑古鳥”(『diorama』収録曲)や、《あなた》に想いを寄せる幽霊の心情を描いた“あたしはゆうれい”(3rdアルバム『Bremen』収録曲)のように、そこには同時にピュアな心模様が綴られていた。

姿形こそ特殊だが、それでも彼らは喜んだり悲しんだり憤ったり恋したりするし、人間と同じような(もしかしたらそれよりもかなり純粋な)「心」を持っている。米津のイメージする空想の生物像には彼のやさしさが反映されていた。

振り返れば、『Bremen』というアルバムはひとつの転換点であったように思う。この頃より米津の歌詞から、それぞれ唯一の特徴を持つ個の存在を肯定したうえで、それを自分が率いていこうという意思を読み取れるようになった。歌詞の変化に注目してみると、例えば、『YANKEE』収録の“百鬼夜行”には《ちゃんちゃらおかしな世の中だ/その平和と愛とをうたえども/心にあるのはそれではない/また僕らに自由はそれほどない》というある種の諦めを感じさせるフレーズがあったが、『Bremen』収録の“ウィルオウィスプ”では《犬も猫も鶏も引き連れ街を抜け出したんだ/こんなに世界が広いこと 知らずにいたんだな》と歌われている(この曲ほど明確に言語化されていないものの、今改めて聴くと“ゴーゴー幽霊船”でも近いことが歌われているように思えるから興味深い。“ゴーゴー幽霊船”は米津玄師名義で初めてMVが制作された初期の頃の楽曲だ)。また、この頃のインタビュー記事で米津はよく「普遍的な作品を作りたい」という趣旨の発言をしていた。


それまでは空想の世界のことを歌ってきた米津だが、『Bremen』を機に、彼の思い描く空想の世界と私たちの生きる現実の世界はやがて重なるようになる。『Bremen』の次にリリースされた作品はシングル『LOSER / ナンバーナイン』。その収録曲“ナンバーナイン”は歌い出しが《歩いていたのは 砂漠の中 遠くに見えた 東京タワー》となっており、ここで初めて具体的な地名が登場した。

その後、アーティストとしての彼の姿を投影した曲とも解釈できる“翡翠の狼”(シングル『orion』収録曲)、ハチ時代の楽曲“沙上の夢喰い少女”をリメイクした“ゆめくいしょうじょ”(シングル『ピースサイン』収録曲)などを経て、4thアルバム『BOOTLEG』で新たなポップミュージック像を打ち立てるに至る。今年3月に開催された幕張メッセでのツアーファイナルで、観客に対し「自分が米津玄師っていう船だとしたら、その船から誰一人落としたくない。それは無理だと言われるけど、やりたいんだからしょうがない」と語った米津。その言葉が、ジオラマの街を行く幽霊船や、ブレーメンの音楽隊のイメージと繋がる。

そして新曲“海の幽霊”である。この曲では、サビで鳴るデジタルクワイアや超低音域のベース、クジラの鳴き声、語尾の音程を下げるよう処理されたストリングスの音色などによって、我々にとって未知の存在である自然の不気味さ、それゆえの輝きを表現。歌詞では、誰かの命が尽きたその時、世界のどこかで別の命が誕生しているだろう――という「生と死の循環」を描いてみせた。総じて、これまでの楽曲から格段にスケールアップしていて、明らかに次元が違っている。そのため“海の幽霊”をこれまでの系譜で語るのはやや難しい(ここまで長々と語っておいて恐縮だが)。わからないゆえの美しさ、それでもあちらからは全てを見透かされているように感じるおそろしさ、みたいなものが根底にある楽曲だ。


おそらく、“海の幽霊”を聴いて私たちが抱く「畏怖」にも近い感情は、米津がかつて未知の生物に対して感じたそれと限りなく近いものだ。立ち尽くすしかできないほどおそろしく美しい曲を前に、この人は本当にどこまで行ってしまうつもりなのだろうか、と思わざるをえなかった。(蜂須賀ちなみ)

米津玄師は“海の幽霊”まで空想世界をどう歌い描いてきたか? - 『海の幽霊』Ⓒ五十嵐大介/小学館『海の幽霊』Ⓒ五十嵐大介/小学館
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