クリープハイプのツアーはだいたい序盤、中盤、終盤と追いかけるようにしてきた。それは、このバンドのライブを1本でも多く観たいということでもあるが、同時に、ツアーの中でうねりながら変わっていくダイナミズムが、観ていてとてもおもしろいからだ。こうも変わるのかというほどに、クリープハイプはツアーを通して変化していく。波があって常にヒリヒリしたスリルを感じさせる。それを感じたくてツアーあちこち行ったりしていたのだが、今回のツアーはどうしてもスケジュールが合わなくて、結果的に今日の東京公演しか観ることができないことになってしまった。残念。でもその残念を補って余りある感動と興奮が、Zeppにはあった。というか、そういうツアー単位、ライブ単位での変化や攻防戦とか、調子がいいとか悪いとか、そういうのとはまったく別のところで、クリープハイプは思いっきり新しいバンドになっていた。
『世界観』という画期的なアルバムをリリースして、しかもちゃんとこれまで以上に響いて、それを引っさげてのツアー。よくないわけがないとは思っていたが、その想像の遥か上を行く、これは本当の意味でクリープハイプの再生のツアーだ。では一体何が変わったというのか。それは一言でいうなら、バンドとしてのグルーヴである。バンドとしての生命力である。バンドは生き物とよく言うが、クリープハイプはまさに今生きている。逆にいえば、これを生きているというのならば、ちょっと前のクリープハイプは死んでいたのかもしれない、と思うくらいに、生き生きとしている。
曲が鳴り出すごとに、クリープハイプとはこうである、という受け手の側の先入観や固定観念が、鮮やかに裏切られ、塗り替えられていく。そして、それにびっくりした次の瞬間には、そうだ、これこそがクリープハイプなんだ!と全力で納得させられる。『世界観』というアルバムもそうだったが、そのダイナミックな驚きは、ライブという場で生身の4人が鳴らすことによってますます確かなものになる。
まだツアー途中なのでライブの細かい内容については書かないが、というか『世界観』を聴いていればだいたい想像つくと思うが、尖ったり、丸みを帯びたり、デロデロに溶けたり、カチンコチンに固まったりしながら、クリープハイプは2時間あまりのライブを大胆に転げ回る。もちろんみんなが待っているあの曲やあの曲もやるが、それらもそのデロデロやカチンコチンに巻き込まれて、新しい生命体みたいに形を変える。それがスリリングでエロい。そしてとんでもなくかっこいい。
『世界観』はワガママをワガママのまま出したアルバムだ、と前にこのブログで書いたが、今のクリープハイプのライブはそのワガママをちゃんとクリープハイプとして咀嚼し、消化し、栄養にしている。アルバムの大胆な振れ幅が、そのままバンドの出す音のスケールにつながっている。Zeppでのクリープハイプは何度も観たが、こんなにもこのデカい空間を掌握している彼らは初めてだ。前は思いっきり遠投でもするように腕を振り回して肩を脱臼するみたいなところもあったが、今は軽いキャッチボールでもするみたいなフォームで、ばっちりバックホームを決めてしまっている。すばらしい。