前作『パシフィック・デイドリーム』のレビューを〈ウィーザーは裏切らない〉と題したが、それは何も彼らが優秀なパワー・ポップ・ナンバーを書いたとか、サンデー・ポップ感満載のアルバムを作ったとだけ賞賛しているわけじゃなく、彼らならではの魅力を薄めることなく、いつも貪欲に前進しようとする姿をリスペクトしてのものだった。
そして今回はさらに、どうだ、と満足そうなリヴァース・クオモの顔が、曲の隙間から浮かんでくる大傑作だ。昨年秋に出たリード・シングル“キャント・ノック・ザ・ハッスル”、今年になって突然デジタル配信された王道カバー集『ティール・アルバム』の2連発にはビックリしたし、どちらもそれぞれの方向性で魅力たっぷりの完成度なのだが、同時に、以前の『ホワイト・アルバム』(16年)発表時の、〈次作はダークな『ブラック・アルバム』になる〉とのメッセージとの整合性は?という疑問も浮かんでいた。
そんなさまざまな思いをみごとに回収しつつ、新ステップにあることを示す通算13枚目の新作だ。『ブラック・アルバム』は最初、お馴染みブッチ・ウォーカーをプロデューサーに制作していたようだが、そこには合わないと判断した曲を別ファイルに入れていたところたまってしまって『パシフィック・デイドリーム』となり、改めてTV オン・ザ・レディオ(!)のデイヴ・シーテックをプロデューサーに作り直されたのがこれで、その選択も大正解。
アルバム全体に盛り込まれたさまざまな種類の音楽情報量に、まず圧倒される。もちろん現代の楽曲やトラックにそれは不可欠だが、単純に盛り込むだけであれば容易な時代になったからこそ、曲そのもののクオリティと、化粧/演出に必然性を持たせ、スマートに処理し展開するのでなくては、この時代ならではのチャームを作りだすことはできない。
今回リヴァースは〈ビースティ・ボーイズ+ベック+ウィーザー〉と言ってるが、90年代、豊かに音楽がミクチャーを進めた流れにウィーザーを置き、アップデートをしてみせたということであり、初期のパワー・ポップ性が、スタイルや自己満足の枠に留まることなく、自然体で新しいフィールドを切り開いている。
ロックからマリアッチ、ヒップホップが雑多に混ざる冒頭の“キャント・ノック・ザ・ハッスル”にはジェイ・Zの同名ナンバーがあることを押さえつつ、TOTOに始まりユーリズミックスやタートルズ、マイケル・ジャクソン・ナンバー等が詰まった『ティール・アルバム』を並べてみると、その膨大な音楽情報量を、いかに自前の武器へと変換しているかがわかるし、単なる知識やテクニックではなく、魅力の深部の理解と異化がなされ、それが高い完成度へとつながっている。
ノリの良い“キャント・ノック・ザ・ハッスル”ですっきりと幕を開け、ポンコツ風アコで始まる“ゾンビ・バスターズ”では、進むにつれて慎重かつ大胆にインダストリアルからシューゲイズのテイストまでぶち込みつつ、ウィーザー・ワールドに着地させるみごとな手口を見せる。驚かされたのは4曲目の“リヴィング・イン・L.A.”で、80sテイストやディスコ・サウンドをスパイスにしたストレートな音にポリスの“ソー・ロンリー”を織り交ぜていく。『ティール・アルバム』とは違った形でルーツや血肉となったものを、現在のフィールドにアピールしていくが、アウトロのスティングも喜ぶ洒落た終わり方など、現在の、とてつもないバンド力をはっきり示している。その後に、アルバム屈指の美曲“ピース・オブ・ケイク”を置いているのも効果的で、《ハードなドラッグをやろうぜ》と始まり、彼女に自身がケーキみたいに切り分けられる光景を歌い込んでいくのはリヴァースならでは。今回は殆どの楽曲をピアノで作り、アレンジもしたというが(全10曲中4曲がリヴァース単独作)、そのテイストがよく表れているのがこれだろう。
スパニッシュ的な雰囲気がどこか漂う7曲目の“トゥー・メニー・ソーツ・イン・マイ・ヘッド”、グラム・ロックのテイストを巧く織り込みつつ、パンクで世界を救おうとした王子を歌う“ザ・プリンス・フー・ウォンテッド・エヴリシング”と淀むことなく最後の高揚に向かうアルバム後半も快調。そして最後の締めくくり“カリフォルニア・スノー”はスケール感あるサウンドを背景に、《ギターを持たせりゃすごいんだ》とカッコよく宣言してはみたものの、結局、自閉するしかない姿を愛情たっぷりに歌い上げるなど、高いポップ性の中に練り込まれた実験性や批評性が混ざり合う構成はみごと。サマソニ、どんなに期待しても裏切られることはない! (大鷹俊一)
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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』5月号に掲載中です。
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