浜崎貴司、初のベストアルバム『シルシ』で振り返る、ソロ18年・苦闘と出会いの足跡

浜崎貴司

最新音源のYO-KINGを含め、斉藤和義、奥田民生、おおはた雄一、小泉今日子、MCU、アナム&マキ──といった面々が参加しているが、コラボアルバムではない。ベストアルバムである。なんで。浜崎貴司だからだ。共作であったり(YO-KING、斉藤和義、奥田民生、おおはた雄一)、フィーチャリングであったり(小泉今日子)、ゲスト参加であったり(MCU、アナム&マキ)、逆に自分がフィーチャリングヴォーカリストだったり(これもMCU)と、関わり方はさまざまなれど、人と組んだ時にすごい力を発揮するし、相手にもすごい力を発揮させる浜崎貴司を味わえる曲が、約半数。ある種哲学的と言ってもいいくらい深遠な「魂の探求者」であり、何十年経っても日本有数の破格のソウルシンガーである浜崎貴司を堪能できる曲が、約半数。90年代日本のロックを代表する超名曲、FLYING KIDS“幸せであるように”の、『GACHI 高野山開創1200年スペシャル』での弾き語りライヴヴァージョンがラストに収録されているのも大変うれしい。FLYING KIDSが解散しても、再結成しても、それ以外にも本当にさまざな出来事があっても、決して足を止めずに進んできたソロ浜崎貴司の歩みについて、じっくり訊いた。

インタヴュー=兵庫慎司 撮影=安田季那子

苦闘だったような気がします。ソロになるということが、うまくつかめないまま始まった部分もありましたからね

――まず、このタイミングでベストアルバムを、というのは?

「まず、YO-KINGと一緒に新曲を作るという話になって、でもシングルで出すよりも、それも入れたセレクト盤みたいなのを出したいな、と思いまして。初期の頃とか、もう廃盤になってるアルバムもありますから。新しくライヴに来てくれてるお客さんのためにも……自分にとっても気に入ってる曲がたくさんあって、今のライヴでもやっていますし。そういう部分でカタログ的なアルバムがほしかったんですね」

――ソロになって以降、楽しくやってきた歴史でもあり、苦闘の歴史でもあったと思うんですけど、どちらが強いですか?

「苦闘だったような気がします。ソロになるということが、うまくつかめないまま始まった部分もありましたからね。バンドからソロになるプランニングがしっかりしてる方を見ると、本当に素晴らしいなと思うんですけど。わりともう出会い頭で作り上げていくっていうか。その時々で1曲1曲作りながら、自分のソロがどういうものなのかを確かめていくタイプでしたんで。そんなに簡単ではなかったですね」

――前に僕が浜崎さんにインタヴューをした時に、20代の頃は精神的に不安定だった、いつも機嫌が悪くてギスギスした奴だった、というような話をされていて。

「ああ、はい」

――その不安定な時期が終わった頃が、FLYING KIDSが解散してソロになった時期と重なってます?

「まあ、そうですね。でも、ソロになった最初の頃はまだ、自分に対してはギスギスしてたと思いますね。人に対してはそういうことはしないように、とは思っていましたけど。いつの間にか、後輩のミュージシャンが集まってくるような状況になってましたしね。MCUとか、ヒップホップ関係の人もいっぱい来たし、アナム&マキとかもそうだし。そういう意味では、対人関係としては楽しくなってたんですけど、自分自身に対しては……『これでいいのか?』っていうことを、常々ずっと問いかけてるようなところはありましたね。自分の音楽に対するコンセプトみたいなものに対して、常に葛藤していたというか。だから苦しいってわけじゃないけど、大変だったなっていう気持ちはありました」

――「ソロの俺はこうだ」って最初に決めることをしなかったんですね。

「そう。やっぱり最初は、『FLYING KIDSをやめてソロになるんであれば、プロジェクト化してほしい』みたいなことを、まわりから言われて。『浜崎貴司プロジェクトみたいなことで、いろんなことを説明していこうよ』って、けっこうスタッフから言われたんですよね。ところが、まったく説明できないんですよね、口で」

このベストアルバム1枚を作るために、今までのソロがあったのかな、つながったな、という感じがしましたね

――最初は手探りだったんですね。

「うん。まあ、それはいまだに続いてるんですけど。ただ、結局、コンセプチュアルに作るってことが、あんまり好きじゃないんです。たとえばモータウン風にとか、スティーヴィー・ワンダーみたく、とかさ、その『みたく』がイヤなんですよね。もっと、言葉があって、メロディがあって、自分のオリジナリティあふれる音楽。もっと自由に人に届くもの、人の奥に入っていくものっていったいどんな音楽なのかな、ということをずっと考えてきたというか」

――確かにそれ、「音楽性はこうです」「このへんのリスナーを狙います」みたいに企画書化しにくいですね。

「そうなんですよ。そういうマーケティング的な言葉をまわりが待ってるんだけど、全然説明できない。で、ずっとそれが続いてて、そういうものが1枚にまとまったのがこのベストなんですけど。聴いて振り返ってみると『あ、そうかそうか、よかったな』っていう感じでしたね」

――作りながらも「これでいいのかなあ?」っていう感じでずーっと進んできたんだけど、このベストを聴くと、「あれ? 意外と、自分が探してたことができてるじゃん、俺」と?

「そうそうそうそう。このベストアルバム1枚を作るために、今までのソロがあったのかな、つながったな、という感じがしましたね」

誰かと一緒に作るっていうのは、だから結局、バンドをやってるんでしょうね

――で、弾き語り対決イベントの『GACHI』を始めた頃から、同期や先輩も含めてこっちからも攻めていく、関わっていく感じになりましたよね。

「そうですね。それはソロになって10周年の時、2008年に始めたんですよね。弾き語りでちょこちょこライヴやってたら、意外と評判よくて。バンド形態だと出ない歌が歌えるっていうのかな。『その声1本で勝負したらどうだ』ってライヴのスタッフに言われて、その人が『GACHI』ってイベントを考えて。そんなにうまくできる自信もなかったけど、挑戦だということでやり始めたんですよね。最初は桜井秀俊くん(真心ブラザーズ)と一緒にやって、そこから(佐藤)タイジ、(斉藤)和義くん、チャボさん(仲井戸“CHABO”麗市)、ミヤ(宮沢和史)、泉谷(しげる)さん、(YO-)KING、ムッシュ(かまやつ)、古内東子、高野寛……って続いていって。3回目でチャボさん出てきちゃったから、もう必死でやるしかない、っていう」

――そうか、自分の交友範囲でオファーするんじゃなくて──。

「スタッフに対戦相手をあてがわれるわけです。もちろん大変だけど『これはおもしろいわ!』と思って。とにかくものすごい練習するわけです。それまであんまり練習しないタイプだったんですけど、『やっぱりミュージシャンは練習だな』と(笑)。それをずっとやっていくと、自分の良さが何かなんとなくわかっていくし、逆に自分のうまくいかないところもわかってくるし」

――もうライフワークになってますもんね。

「そうですね。もう手慣れてきたと思ったら、本番ですげえ失敗したりして、いまだに落ち込んだりしてますよ。なかなかやめらんないですね、これね。最近は、新しいエンターテインメントとしての『GACHI』というのがずいぶん確立してきて。とにかくお客さんが喜んでくれるっていうのが、だんだんスタイルになってきてるんですね」

――ここでしか聴けないデュエットとか、毎回ありますもんね。

「そう。自分が提供できるショーっていうのかな、ガチでやってるし、緊張するし、気合いも入るんですけど。それがエンターテインメントになる、みんな大喜びで誰も損しない、そういうイベントになってる。その状況がすごくいいなと思っていますね」

――で、この『シルシ』ってベストアルバムであると同時に、半分くらいはコラボレーションアルバムにもなっていますよね。そこがおいしいというか、ずるいというか(笑)。

「(笑)流れでそうなっちゃったんですよね。たまたまなんですよ、そんな『コラボレーションをやろう!』って自分から企画を立ててやってきたわけでもないし。ただ、バンドの時もそうだったんですけど、人と一緒に曲を作るのが普通、みたいな感じがちょっとあって。ひとりで作るよりも、人と一緒にいてその場で思いつく感じとか、人に委ねてみたいとか。初期のソロは自分自身でどこまでやれるかっていう闘いだったけど、それだとアクシデントがないっていうのかな。想像のつかないところに辿り着くためには、アクシデントが重要だと思っているので。そうすると、誰かと一緒に作るというのはとっても重要なんですよ。だから結局、バンドをやってるんでしょうね」

――ああ、一緒にやるひとりひとりとね。

「うん。ひとりで作るのも嫌いじゃないし。でも、自分じゃない血みたいなものが入ってる方が、聴きやすくなるんじゃないかな、ポップになるんじゃないかな、僕の場合は」

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