デヴィッド・ボウイの従姉妹、デヴィッドの子供時代の思い出を綴る

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デヴィッド・ボウイの従姉妹にあたる人物がデヴィッドとの子供時代の思い出とデヴィッドの父親の先見性について語っている。

思い出を語ったのはデヴィッドの従姉妹にあたるクリスティーナ・アマデウスで、イギリスの経済専門誌ジ・エコノミストに次のように投稿している。

「デヴィッド・ボウイについての洞察力と感受性に満ちた貴誌の訃報記事(1月16日)に感銘を受けました。しかし、デヴィッドが『ロンドン郊外のブロムリーで両親からはなんの刺激を受けることもなく退屈な日々を過ごしながら、歯のぎざぎざしたデヴィッド・ジョーンズ少年として育った』というのは事実と違います。デヴィッドの両親、特に父親の"ジョン"・ジョーンズは、デヴィッドがものごころつく頃からデヴィッドに音楽を促していたのです。母親のペギーは当時もう故人だったわたしたちの祖父の話をよくしていて、軍楽隊のバンマスで管楽器をいくつも吹けたということでした。デヴィッドが初めて手にした楽器の数々、プラスチック製のサクソフォン、ブリキのギターや木琴などはいずれもデヴィッドが思春期を迎える前に両親から買い与えられたものでした。また、デヴィッドは自分のレコード・プレーヤーも持っていましたが、当時はほとんどの子供が持っていないものでした。

デヴィッドが11歳の頃、わたしたちはビル・ヘイリーやファッツ・ドミノ、エルヴィス・プレスリーのレコードにあわせて頭のおかしくなった妖精のように踊ったものでした。デヴィッドの父親はロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンス(イギリスの王室が主宰するチャリティ・ガラで、さまざまなパフォーマンス・アーティストが出演する)にデヴィッドを連れて行っては出番前の歌手やパフォーマーに会わせたりもしていました。1950年代の終わり頃のある午後のこと、デヴィッドが父親と一緒にデイヴ・キング、アルマ・コーガン、トミー・スティールらに会った時のことを今もよく憶えています。『息子もエンタテイナーになりたいといってるんですよ』と叔父はいっていました。『デヴィッド、そうだろ?』という問いにデヴィッドは顔を紅潮させ誇らしげに『はい、パパ』とかん高い声で答えていました。

ジョンおじさんはデヴィッドのその後の大成功を生きて目にすることはありませんでしたが、それが現実となることは確信していました。わたしも愛してやまなかったデヴィッドは父親の夢をすべて叶え、それを超えることさえしたのです。

クリスティーナ・アマデウス
デヴィッド・ボウイの従姉妹
ケント州ロムニーマーシュ」
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