俺たちは氷室京介を卒業できない――「LAST GIGS」からその理由を探る


氷室京介がライブ活動に区切りをつける最後のステージに立ってから、間もなく1年になる。この3月には、そのステージの模様を収めた映像作品『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS』もリリースされたが、1年後のほぼ同時刻となる2017年5月23日18時30分、全国の映画館で本作が同時上映される”GIG”上映会『KYOSUKE HIMURO LAST GIGS “SYNCHRONICITY”』が開催される。これを、一足先に(本来はぴったり1年後であることに感慨が宿るはずだが)観た。

スクリーンに大映しになった氷室。なんて鋭く挑発的な目をして、なんてパワフルで艶かしい、豊かな倍音の歌声を響かせているのだろう。時折、イヤモニの具合を気にかける素振りを見せるけれど、身のこなしも何もかも、年輪のぶん凄味を増しているだけだ。これが本当に、何年も前に「卒業」宣言をしたアーティストの姿なのだろうか。僕が中学2年生になったばかりの1988年春、BOØWYはこの東京ドームで「LAST GIGS」を行った。英文法や方程式を覚えていなくてもBOØWYの曲は全部覚えている、という連中が、教室の中にもゴロゴロいたような時代の話だ。氷室はその後すぐにソロデビューし、東京ドーム公演を行ったりもした。

くぐり抜けてきた時代がそうだからというのもあるし、長らくロサンゼルスに居を構えていたからというのもあるだろうが、氷室はずっと危うくミステリアスなロックスターであり続けた。ただし、イタズラっぽく笑うときだけ、誰にとっても身近な友人のように一気に距離を縮めてしまう。佐久間正英や福山雅治、GLAYのTAKUROやB’zの松本孝弘の名前を出しながら感慨深そうに思い出を語る姿も、シーンの第一線を走りながら人々と共に生きてきた氷室自身を伝えるようだった。何とも言い難い悲しみはもちろんある。しかし彼は間違いなく、このときの東京ドームのステージに立つキャリアを歩んできたのだ。そういう、絶対的な肯定性を振り撒いていた。

名曲名演だけが詰め込まれた、トリプルアンコールまでの3時間20分。映像には何度も、涙に濡れたオーディエンスの表情が差し込まれる。それを踏まえた上で、ドームを丸ごと持ち上げるような巨大な歓喜へと持ち込むダブルアンコール以降の展開は、氷室京介の氷室京介たる光景だろう。終わってほしくない、のではなく、終わるわけがない。そんな思いが自然に溢れ出した。

ファン投稿メッセージサイト「Endless Endroll」では、「#俺たちは氷室京介を卒業できない」のハッシュタグで投稿された、無数のメッセージを確認することができる。氷室自身がどれほどの決意をもって2014年の「卒業」宣言を行ったのか、どんな気持ちであの「LAST GIGS」最終日を駆け抜けたのかは、正直想像も及ばない。しかし強い願いを込めて、言おう。氷室京介は、氷室京介を卒業できない。35年以上もの間ステージに立ち続け、東京ドームいっぱいのオーディエンスをまとめて心酔させてしまう、そんな喜びを知っているロックスターなのだから。今夏には、新たに編集されたフィルムコンサートツアー「KYOSUKE HIMURO THE COMPLETE FILM OF LAST GIGS」も開催される。(小池宏和)