神様、僕は気づいてしまったの初ライブを観てわかったこと

神様、僕は気づいてしまったの初ライブを観てわかったこと - 『神様、僕は気づいてしまった』通常盤『神様、僕は気づいてしまった』通常盤

サマーソニックでの初ライブを観て、なぜ、神様、僕は気づいてしまったが覆面バンドであるかがわかった気がした。
ライブをやる以前から、まるで突然、観ていたテレビ画面が電波ジャックされて謎のバンドが歌い、演奏をしはじめたかのような登場感をこのバンドは持っていたけれど、ライブもまさにそういうものだった。
映像や歌詞が映し出される紗幕の向こう側から、顔の見えないいつもの出で立ちのまま、挨拶もMCも一切なく、あの楽曲たちを、音源と同じ緻密さとライブならではのドライブ感を兼ね備えた形でひたすら発信し続ける。
友好的な存在なのか、侵略者なのか、はたまた我々に侵略されし者たちの代弁者なのか、そこには音楽以外のコミュニケーションがないので全くつかむことができない。
ただ、その音楽が内包するメッセージに本能的に共感するか否かは知らぬ間にテストされて、そのデータが吸い上げられてしまったような感覚が残る。
今までのバンドとは全く聴き手へのアプローチが違うのだ。

以前に僕は、神様、僕は気づいてしまったを欅坂46と並べて「今まで自分たちを飼いならそうとしてきた大人の世界に宣戦布告をする存在」として論じた。

「欅坂46」と「神様、僕は気づいてしまった」の社会を支配する抑圧をぶっ壊す傑作が相次いでリリースされたことについて
7月19日に欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』がリリース。 その翌週の7月26日に神様、僕は気づいてしまったの1stミニアルバム『神様、僕は気づいてしまった』がリリース。 もちろん2アーティストに特段の関連はなく、たまたま2週連続でこれらの作品がリリースされただけなのだが、…
「欅坂46」と「神様、僕は気づいてしまった」の社会を支配する抑圧をぶっ壊す傑作が相次いでリリースされたことについて

実際にライブを観ると、このバンドはその存在そのものがまさに「宣戦布告」であるという形を完遂していて、だからメンバーはどこの誰だかわからない姿でなければいけなくて、戦線を共にする共犯者というか共感者へのサブリミナルなメッセージをひたすら音楽で送り続けているのだということがわかってくる。
そんなある意味では異常な、ある意味では今の時代に最適化された、神様、僕は気づいてしまったというバンドの形が遂に明らかになったーーそんな風に僕は昨日のサマーソニックのライブを観た。(古河晋)
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