『Fin』を聴いて改めて思った。10-FEETは汗まみれ泥まみれのまま美しく文学的なバンド

『Fin』を聴いて改めて思った。10-FEETは汗まみれ泥まみれのまま美しく文学的なバンド
10-FEETのことをみんなは、どんなバンドだと思っているだろう?
どれぐらい賛同する人がいるかわからないけれど、以前から僕は、10-FEETを高い文学性を持つロックバンドだと思っていた。
それはTAKUMAの歌詞のメッセージが際立つミドルチューンのことだけを言っているのではない。
ゴリゴリのミクスチャーロックチューンにも、モッシュ&ダイブの嵐のライブの光景にも、ステージの上も下なく拡がる笑顔にも、10-FEETが生み出すすべてには、深夜2時の散歩中に出会った路地裏の猫の瞳に宿る光のような孤独な文学性がある。
今回のエッグマフィンにフィン(ヒレ)が突き刺さったジャケも、具体的な意味は何も読み取れなくても、その構図が文学性の塊だと思う。

5年ぶりのアルバム『Fin』は、既発のシングル曲や前情報から、そんな10-FEETならではの文学性が極まったアルバムになるのではないかと思っていた。
実際に聴いてみると僕が想像していたよりも遥かに深いTAKUMAの原風景が音の端々からドロッと流れ出た濃厚なアルバムだった。
一方で僕の想像を裏切るくらい、どこまでも頭をスッカラカンにして楽しめる痛快なアルバムでもあった。
どちらの角度から見ても、それは僕が想像していた以上に10-FEETのロックが持つ文学性の次元が高いということだった。

一つ断言できるのは、『Fin』が10-FEETにどういうイメージを持っている人にとっても、想像よりも遥かに深い10-FEETらしさと、想像を裏切るぐらいの10-FEETらしさを兼ね備えた、究極の10-FEETの姿を見せてくれる最高傑作だと言うことである。(古河晋)

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