【知りたい】syrup16gの音楽の「感染力」に今なお僕らが抗えない理由

【知りたい】syrup16gの音楽の「感染力」に今なお僕らが抗えない理由
今年6月に発表された「syrup16g、『COPY』から16周年を記念してツアー『十六夜〈IZAYOI〉』敢行」の情報、そして先月アナウンスされたアルバム『delaidback』発売のニュースに、このテキストを読んでいる中でも少なからぬ割合の方が胸ざわつかせたことと思う。おそらくその方々は、あたかも理性のファイアーウォールを難なく突破し感情を攪拌する高性能ウィルスプログラムの如きその楽曲の妖力に一度でも囚われたことのある、あるいは今でも囚われっ放しの人だろう――と確信してやまない。僕もまさに、その「感染者」のひとりだからだ。

見つめてしまったら心が重力崩壊しかねない場面や事象を残酷なまでに美しく描き出す、死刑宣告の無差別連射のような歌詞の数々。気だるい諦念の海の底からなけなしの希望を突き上げるような五十嵐隆(Vo・G)独特の歌声。ギターロックとニューウェーブの狭間から痺れるような白昼夢感を編み上げる五十嵐の、ソングライターとしての卓越したクリエイティビティ。ドラマー=中畑大樹、途中加入のキタダマキ(B)とともに構築する、3ピースロックのバランスの極限を模索するようなアンサンブル。それらが渾然一体となって織り上げる「絶望寸前」のリアリティ――。
そんな唯一無二の誘引力に満ちたsyrup16gの音楽世界を、最も歴然と象徴している作品が、2001年リリースのインディーズ1stフルアルバム『COPY』である。

《信じたくないけれど本当です/君の心の価値は薄い/それをどうして悲しいというの》(“無効の日”)


《君に存在価値はあるか/そしてその根拠とは何だ/涙ながしてりゃ悲しいか/心なんて一生不安さ》(“生活”)


《程なく 人生を/そつなく終えれば/ヤクザも官僚も/ロックのロクデナシも/みんな負け犬でしょう》(“負け犬”)


《人は何を望めばいい/全てを失ってもなお/I can't change the world》(“(I can't)Change the world”)


心の深淵に向かって問いかけるような、あるいは黄泉の淵から響くSOSのような、抗い難い磁場を備えた五十嵐の言葉が、聴く者の感情の形を丁寧になぞるような旋律とともに鳴り渡る時、そこには他のどのロックバンドとも異なる、でもロックとしか呼びようのないスリルとロマンが生まれていく。
2002年の『coup d'Etat』でメジャーデビューを飾った彼らが、2008年3月の日本武道館公演を最後に解散した後も、そのあまりにオリジナルな音楽世界は決して色褪せることはなかったし、誰に上書きされることもなかった。それを唯一上書きし更新できたのは、2013年に五十嵐隆復帰ライブで「生還」し、翌2014年に再結成を果たしたsyrup16g自身に他ならない。

そして、11月8日(水)にリリースされる最新アルバム『delaidback』。かつての『delayed』(2002年)や『delayedead』(2004年)といった、その時点で音源化されていなかった楽曲をコンパイルしたアルバムと同様、それこそ1997年頃の“開けられずじまいの心の窓から”、“夢みたい”のような超初期曲から、「生還」で演奏された“透明な日”、“冴えないコード”、“ラズベリー”、さらには幻の五十嵐ソロプロジェクト「犬が吠える」の楽曲“赤いカラス”まで幅広く凝縮されている、言わば「syrup16g裏オールキャリア」的な作品である。
とはいえ、“ヒーローショー”のシャッフルビートに乗せて《一生こんなのは不安です/意識は相当 不衛生なモード/神経症で交遊 増えねえ/人格矯正 手遅れのままでいいの》とうそぶいたり、“4月のシャイボーイ”では清冽なギターサウンドとともに《なんもいいことがねえ》を連呼していたり――「裏」にもまた、syrup16gの核心は確かに宿っているのだ。(高橋智樹)
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