椎名林檎トリビュート『アダムとイヴの林檎』の凄さが特に露な4曲について

『アダムとイヴの林檎』
椎名林檎のデビュー20周年記念作品の第1弾として、椎名林檎トリビュートアルバム『アダムとイヴの林檎』がリリースされる。とにかくこのアルバム、すべての楽曲が本当に素晴らしい。1曲たりとも聴き逃せない、トリビュート作品の域を超えた、1つの新作アルバムと思って聴いてもよいくらいの出来栄えなのだが、今回は、その中でも特に心を動かされた4曲について書いておきたい。


まず、今作のオープニングを飾るのは、theウラシマ'Sというバンドによるカバー。椎名林檎の活動初期から、音楽制作で深い関わりを持つ亀田誠治がプロデュースを担い、ボーカルに草野マサムネSPITZ)、ドラムに鈴木英哉(Mr.Children)、ギターに喜多建介(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、ベースに是永亮祐(雨のパレード)という豪華な布陣が実現した。マサムネは2002年に椎名林檎がリリースした『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』の中で、彼女とともに“灰色の瞳”を歌っているが、純粋に椎名林檎の楽曲をカバーするのは初。ともかく、このメンバー、そしてこの楽曲を選んだ亀田誠治はさすがとしか言いようがない。この楽曲が持つ、シニカルでダークな部分も、マサムネの声で表現することによって、原曲とは違うやわらかなノスタルジーを生みだしていく。「theウラシマ'S」というバンド名にしても、「過去作品を現代に蘇らせると、それが今どう響くのだろうか」という試みであるようにも思えてくる。亀田誠治だからこそ、そしてこのメンバーだからこそ、「時代は変われど名曲はまた何度でも生まれ変わる」という音楽の普遍を表現できているのだと思う。今回カバーする曲として選ばれたのは“正しい街”。亀田誠治ももちろん制作に携わっている椎名林檎の1stアルバム『無罪モラトリアム』からのセレクトだ。福岡の街とそこにいる「君」に別れを告げて上京する女性の心情が描かれたこの楽曲の歌詞は、当たり前だが椎名林檎自身のものと重なる。当時、《あの日飛び出した 此の街と君が正しかったのにね》とシニカルに歌った歌詞が、時を経て、マサムネのやわらかな歌声で響いた時、彼女自身にどんな思いを呼び覚ましたことだろう。もしかしたらこれは、初期から椎名林檎を深く理解する亀田誠治から彼女へのメッセージだったのかもしれない。そして、ここで亀田自身がベースを弾くのではなく、東京事変に衝撃を受け、亀田への強いリスペクトを表してやまない是永亮祐を配したことも興味深い。この人選によって亀田は、theウラシマ'Sを、過去から現在、そしてその先へと続いていく音楽の系譜を表現できるバンドとして存在させたかったのではないかと思う。


今回のトリビュート盤を制作するにあたって、4つのテーマが設けられたという。「世代を越える」、「ジャンルを越える」、「国境を越える」、「関係を越える(今回限りのコラボレーション)」というのがそれだ。theウラシマ'Sは「世代を越える」ものだったが、宇多田ヒカル小袋成彬による“丸ノ内サディスティック”は、「世代を越え」かつ、「ジャンルを越えた」カバーと言える。宇多田ヒカルと椎名林檎はデビューが同期で、共演の機会こそ少ないが盟友と言っていい間柄だ。宇多田ヒカルの『Fantôme』に収録された“二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎”での共演は記憶に新しい。だからこそ、宇多田ヒカルが椎名林檎をカバーするとしたら「世代を越えた」ことにはならないのだが、そこに小袋成彬という、宇多田自身も惚れ込んだ天賦の才を持つ若きアーティストと「世代を越えた」コラボレーションで臨むことによって、素晴らしく洗練されたミニマムなR&Bサウンドを表現している。宇多田の『Fantôme』に収録された“ともだち with 小袋成彬”にシンガーとして小袋が参加していたり、小袋のアルバム『分離派の夏』では宇多田がプロデュースで制作に加わるなど、アーティストとしてお互いの音楽への親和性やリスペクトが深いふたりだけに、かくも見事な“丸ノ内サディスティック”が完成したのだ。もはや「カバー」という言葉も当たらないのではないかと思うほど、宇多田と小袋とで奏でる新曲のように聴き入ってしまう楽曲。そういう意味で、「もともとの楽曲のジャンルを超越した」トリビュートなのだと思う。


レキシによる“幸福論”のトリビュートも、掲げられたテーマの中で言うならば、「ジャンルを越えた」という色合いが強いものだ。原曲の持つハイパーでアグレッシブな楽曲イメージを塗り替え、心地よいテンポ感のダンスミュージックとして完成させた。まさしくレキシのサウンドであり、“幸福論”のメロディの秀逸さが、池田貴史の歌声によってより際立つトリビュートとなった。椎名林檎は2011年にリリースしたレキシの2ndアルバム『レキツ』に収録されている“きらきら武士 feat. Deyonna”に参加しており、遡ればそもそも椎名林檎のレキシネームである「Deyonna」は、2009年リリースの椎名林檎の4thアルバム『三文ゴシップ』の制作に池田貴史(レキシ)が参加した際、付けられたものである。“きらきら武士 feat. Deyonna”での異色コラボには当時驚いた林檎ファンも多かったと思うが、音楽に真摯に向き合いながら、常に遊び心を忘れない飄々としたスタンスには、どこか互いに共感する部分があるのだと思う。今回、この“幸福論”という超名曲を、100%、レキシのサウンドに塗り替えるという作業は、ある意味大きなプレッシャーでもあったと思うが、それを、こんなに肩の力を抜いて体を揺らせる楽曲に仕上げることができるのはレキシだからこそ。何度もリピートしたくなる。

とにかくこんな調子で、全14曲のすべてを解説していきたくなるのだが、今作の参加ミュージシャンと、それぞれの選曲、そしてそのパフォーマンス──。どこをどう切り取っても、素晴らしいものばかりなのだ。アーティストをここまで本気にさせるのは、それが椎名林檎の楽曲だからだろうし、逆を言えば、椎名林檎のアーティストのセレクトと、そのテーマ設定が見事だと言うほかない。「国境を越える」トリビュートとして、MIKAが“シドと白昼夢”を、「世代を越える」トリビュートとして、井上陽水が“カーネーション”をカバーしているなど、すべて彼女の楽曲が2018年現在の音楽として鳴り響いている。後ろ向きな祝祭感などまるでないのに、椎名林檎の20年がいかに濃密なものであったかを、浮かび上がらせているのがすごいと思う。


本作の最後を飾るのは、松たか子による“ありきたりな女”。松たか子と椎名林檎の関係性で言えば、昨年放送された松たか子主演ドラマ『カルテット』の主題歌“おとなの掟”の作詞・作曲を椎名林檎が手がけ、松を含む出演者による限定ユニット「Doughnuts Hole」がそれを歌った(松たか子がソロで歌唱するバージョンも存在する)のは記憶に新しい。今年2月には『Mステ』で、同曲を松たか子と椎名林檎のコラボで歌い上げ、大きな感動を呼んだ。その時の様子は、ふたりが互いの存在に共感し合っていることをうかがわせるもので、これこそ「ジャンルを越えた」、また「関係を越えた」ふたりの邂逅の瞬間だったように思う。そして今回、松たか子がカバーしたのが“ありきたりな女”なのである。「これまで娘であった自分が母になる瞬間」の気持ちを、実に椎名林檎らしい言葉で綴った、2014年リリースのアルバム『日出処』に収録された楽曲である。楽曲をさらに壮大にドラマチックに彩るストリングスのアレンジ、そして松たか子の伸びやかで力強く響く歌声。母になることでこれまでの生活にさよならをするという、逆説的に母になる喜びを歌にしたこの楽曲が、松のくもりのない歌声によって、よりポジティブな響きを強くする。この楽曲を今作の最後に置いたことで、椎名林檎というひとりの女性の生き様までもが表現されたかのような、アニバーサリーイヤーの記念盤としてふさわしい、素晴らしい「読後感」を持つエンディングになった。そう、ひとつの長編物語を読み終えた時のような気持ちにさせられるのと同時に、今作は、様々なアーティストによる椎名林檎という女性に対しての解釈という聴き方もできるように思う。(杉浦美恵)