キュウソはこれまで何と戦い、新作『ギリ平成』でその戦いをどう超えたのか?

キュウソはこれまで何と戦い、新作『ギリ平成』でその戦いをどう超えたのか?
約1年ぶり、待望のニューアルバム『ギリ平成』のリリースタイミングに合わせて、キュウソネコカミは次々に新作曲のMVを公開しているのだが、とりわけ“炊き上がれ召し上がれ”には大笑いさせられた。実際に目の当たりにすることはできなかったけれど、11月、12月の東名阪ワンマンツアー「DMCC REAL ONEMAN TOUR 2018 EXTRA -PAINT IT WHITE!!!-」で要求されていたドレスコード(白Tシャツ&白帽子)には、こういう意図があったのか。爆裂ハードコアからホカホカの温かなコーラスに持ち込む、痛快極まりない白飯アンセム。それをオーディエンスと共に形にした見事なビデオである。


『ギリ平成』は、作品ごとにロック攻撃力を向上させてきたキュウソが、キャリア最高到達点を記録するアルバムになった。年中ライブをしているような活動スケジュールの中で、よくぞここまで、とびっくりさせられたり惚れ惚れさせられたりする。もちろん、今年のツアー中に発表されてきた新曲を収録しているのだけれど、2019年1月から4月まで全国33公演がスケジュールされたツアーでは、『ギリ平成』をがっつりと咀嚼・吸収したオーディエンスが熱狂を担うことになるだろう。メタ視点のあるあるネタや笑えるネタを初披露する瞬発力重視のおもしろさと、それをがっちり共有し育てるおもしろさ。キュウソのライブでは、2種類のおもしろさが熱狂を支えている。とても知的な戦略である。


『ギリ平成』もそんなふうに、個々の楽曲が互いに支え合い、響き合うように収録曲が構成されているところもおもしろい。このプロジェクト映像で使用されている“米米米米”(読み:ベイマイベイベー)と、偶像崇拝の心情を描いた“推しのいる生活”のMVは米賛歌の連作となっていたし、アルバム冒頭の“推しのいる生活”と《ロックバンドでありたいだけ》と丸裸の本音が歌われていたシングル曲“The band”は互いに呼応しているように思える。顔の見えないインターネット空間での歪な力比べをそれぞれに切り取った“馬乗りマウンティング”と“遊泳”も然りだ。



たっぷりと本音の感情を乗せたロックチューンを歌いながら、キュウソはひとつの物事を多角的に捉え、それぞれの人の立場に思いを馳せる理性と想像力を兼ね備えている。メタ視点なのに冷めていない、むしろいつでも本音の熱さにリーチして共感を得ることができるのは、この理性と想像力のおかげである。『ギリ平成』では、そのメカニズムが収録曲の並びから伝わってきて、ハッとさせられた。

日本には、判官贔屓という言葉がある。源義経の悲劇的なヒロイズムに同情しがちな、不利な立場の者に肩入れしやすい日本人の性質を意味する言葉だ。キュウソの楽曲は理性と想像力で人それぞれの立場を伝えながら、最終的にリスナーの判官贔屓を誘うところがある。不利な立場を明らかにし、補給の絶たれた塹壕戦を繰り広げるレジスタンスのように、時代の中で戦いを繰り広げている。『ギリ平成』では、最終ナンバー“ギリ昭和”がまさにそれだ。

《生年月日的には昭和だけど 僕らは実はゆとり初代/年号速攻跨いだおかげでほぼ変わらんのに謎の先輩感/1987年度産まれは お試し改革 振り回されて/疑いもなく 頑張ったのに 失敗したこと なっている》

自分たちがこれを歌わずに誰が歌うんだ、とばかりに、矢面に立って彼らはこの曲を鳴らし、歌うのである。平成の終わりを目の前に聴こえる叫びは、それでも《いくぜみな唱和》と響いてくる。ただ運命に振り回されただけだとしても、その生まれの立場から逃れることはできないからだ。そう言えば、アルバム収録の“KENKO不KENKO”も、30代ならではのテーマを捕まえていてじわじわ来る。過去の年号となりゆく平成の時代を生き、戦ってきた男たちの姿を、ぜひアルバムで、ツアーで、確かめてほしい。あ、『ギリ平成』はサブスクでも聴けるけれど、できればCD版パッケージをお勧めしたいです。理由は聴けば分かるし、きっと得します。(小池宏和)

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