グリーン・デイ、『ドゥーキー』のリリースから25周年を受けてビリー・ジョーが想いを綴る。「未来は確かじゃないことだらけだったけど、気にしちゃいなかった」

グリーン・デイ、『ドゥーキー』のリリースから25周年を受けてビリー・ジョーが想いを綴る。「未来は確かじゃないことだらけだったけど、気にしちゃいなかった」

グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングが、彼らのアルバム『ドゥーキー』がリリース25周年を迎えたことを受けて、SNSでコメントを発表している。

「NME」によると、昨年バンドは『ドゥーキー』に収録されている全曲をリハーサルし、25周年ツアーの可能性を示唆していたという。

ビリー・ジョーが『ドゥーキー』への思いを綴ったInstagramの投稿は以下の通り。


「25周年という大きな節目に対する感謝と様々な想い:何か特別なことをしたかったんだけど、何も思いつかなかったんだ。エジプトのピラミッドでアルバム全曲をプレイするとか、マチュピチュでジャムるとかね。あるいはヴィッジャーノ(*イタリアにある村)限定にするとか? どれも実現はしなかったけど……。

『ドゥーキー』は(当時住んでいた)バークレーのことをたくさん思い出させるんだ。Telegraph Avenueから1ブロック先の、Ellsworth St & Ashby Aveには俺達の家が。East Bay Weed Companyってバンドと友達のBen Mattickと一緒に地下室に住んでて、上の階には社会主義者の女子大生がいたな。彼女が来て家がきれいになったよ。

自転車に乗って、ハッパを吸って、そして21歳になって。Pete’s Wicked Ale(*ビール)があり、ヒステリカルな笑いと躁状態の笑いがあり、そしてバターボール・ブランドの七面鳥があった。Ashbyの家はいわば俺達の小さなパンク・ハウスだった。

一晩中曲を書いては昼の2時に起きて、玄関の階段でベーグルとコーヒーを食べたっけ。パニック発作での衰弱があり、俺のギター、俺のマーシャル、そして俺の4トラック・レコーダーがあった。

きな臭いA&Rの奴らが嗅ぎ回っていて、最終的にはプロデューサーのRob Cavalloと会うことになって、それで彼から多くのことを学んだ。ビートルズの曲を何度も演奏したっけな……。Richie Bucherが手がけたRaúlってバンドのEPカバーを見て、彼に『ドゥーキー』のカバーアートを頼んだんだ。マイクのG3のベースがあり、トレのクールなNobleのスネア・ドラムがあった。

俺の古いフォード・フェアレーンを運転しながら、初めてラジオで“Longview”を聞いたっけ。初めてイタリアでプレイしたBlair Hessって場所は満杯だったし、バルセロナの夜もワイルドだった…。バンドの未来は確かじゃないことだらけだったけど、気にしちゃいなかった。

ロックスターになることを望んでもいたし恐れてもいた……もしそれが可能だったらって話だけど。そして地元のパンクシーンからの反発があり、ギルマン通りで初めてのケンカもあった。ストレス、ストレス、ストレス!!

醜悪なことにも感謝しなくちゃいけないのだけど……まあ……こういった色んな考えが今巡ってるんだ…。願わくばみんなが聴き続けてくれるように。だって俺達はプレイし続けるから……。愛を。ビリー・ジョー」


なおバンドは先日、メンバーがこれまで使用してきた楽器や機材のコレクションを売却することを明らかにしていた。
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