Adoが東京ドームのステージに立ったその3日後に取らせてもらったインタビューは、「自分」をめぐる対話になった。自分とは何か、そもそもなんのために歌っているのか、誰のためなのか、Adoにとって歌とは何か、なぜ私はAdoになったのか、そしてこれからAdoはどのように生きていくのか、どのように生きていけばいいのか。赤裸々な告白と言っていいだろう。私はこうしてすごいところまで来てしまったし、みんなが憧れるようなことは叶えていただいた。
Adoをやっている身として、「あとは『あなた』なんじゃないですか?」って思ったんです
このタイミングで、これほど生々しい言葉──Adoとして生きてきたことへの懺悔とも言える言葉が語られるとは思っていなかった。Adoは2024年に国立競技場でのライブを史上最年少で成功させているが、東京ドームのステージはそれとも違う、大きな意味と思いが込められていた。その会場を見事に埋めてみせた今、これ以上ないサクセスを手にした今なのである。僕はとても驚いた。
さらに、Adoはこの東京ドームの前、今年4月から8月まで、2度目のワールドツアー「Hibana」を行い、50万人以上を動員、多くの会場をソールドアウトさせるという快挙のもと、日本に凱旋しているのである。LA公演に至っては約2万7000人が入るCrypto.com Arenaを完売させている。日本のどのアーティストもまだ見たことのない成功を享受しながら、世界中で愛されながら日本に帰ってきた今、なのである。
とても驚いた。だが身も蓋もないことを言うようだが、Adoとはそういう人なのである。
すべての歌には理由があり、Adoであることには必然があり、そこには一条の希望がなくてはならず、その歌は自身のアイデンティティを背骨から貫いたうえで世界に放たれていかねばならない。Adoにとって「世界」とは、漠然とした巨大な何かとの対話ではなく、巨大な何かとの違いを感じ、打ちのめされながら戦う自分との対話でしかないのである。
その悲しいくらいの、「Adoでしかなさ」こそが、Adoの歌をAdoたらしめているただひとつの真実なのだと思う。
最後に、Adoの東京ドーム公演はこれまでに観たどんなドーム公演よりも「個」であり、「孤」であった。謎に浮く歯に乗ったりはしていたが、絶唱に次ぐ絶唱が鳴り続ける、何かにその身を捧げるようなライブだった。世界をめぐり、愛され、悲願のドームを制したAdoはあの時、何を思っていたのだろう。あの絶唱は何に対する求愛の叫びだったのだろう。
このインタビューはAdoがこれからもAdoとして歌い続けるために、彼女にとって最も根本にある自問自答──「Adoとは誰か」がかつてなくダイレクトに語られたものになった。
インタビュー=小柳大輔 イラスト=ORIHARA
(『ROCKIN'ON JAPAN』2026年1月号より抜粋)
『ROCKIN'ON JAPAN』1月号のご予約はこちら
*書店にてお取り寄せいただくことも可能です。
ネット書店に在庫がない場合は、お近くの書店までお問い合わせください。