グリーン・デイのビリー・ジョー、20周年を迎えたアルバム『ドゥーキー』を語る

グリーン・デイのビリー・ジョー、20周年を迎えたアルバム『ドゥーキー』を語る

グリーン・デイにとってメジャー・デビュー作となり、大ブレイク作となったサード・アルバム『ドゥーキー』が2月1日でリリース20周年を迎えたが、ビリー・ジョー・アームストロングは『ローリング・ストーン』誌にリリース当時や制作時の心境などを振り返っている。

グリーン・デイはセカンド『カープランク』リリース後に強力なファンベースを誇るようになり、ゲフィン、コロンビア、リプリーズとメジャー3社の間で争奪戦が繰り広げられたことでも知られているが、当時契約していたインディのルックアウトにはメジャーからひっきりなしに問い合わせが入っていて、レーベル・オーナーのラリー・リヴァモアからそのことを告げられたことをよく憶えているとビリーは振り返っている。ただ、当時はニルヴァーナが『ネヴァーマインド』で大ブレイクした後で、世の中もニルヴァーナやサウンドガーデンのもどきバンドで溢れていたため、そうしたバンドを探しているのだろうと当初は声をかけてくるレーベルともまともに取り合っていなかったとビリーは話している。交渉の末、バンドは(プロデューサーでA&Rの)ロヴ・キャヴァロとリプリーズ(ワーナー)と契約することになるが、リプリーズを選んだわけを次のようにビリーは語っている。

「俺たちたぶんラリッてたんじゃないのかな。これは言っておかないとね。あの頃の俺たち、いつもハイになってたから(笑)。頭がもやもやの状態での消去法というか。でも、やりたいことははっきりしてたんだよ。『俺は俺のブルー・ギター(ビリーが11歳の時に手に入れた青のストラトキャスターのコピー・モデルのギター)で弾く』ってね。『マイクはベースのサウンドをベストなところまで持っていく。俺が使うのはアンプ1台。俺たちに必要なのはそれだけだ』っていう感じでさ。そうやってたら、あのアルバムになったんだよ」

ただ、契約して初めてしっかりしたスタジオに入ってレコーディングすることになり、いいサウンドを探ってギター・サウンドも思い通りの手応えを得られるようになったのは最高だったとビリーは振り返っている。その一方で、作曲面で比較すると『ドゥーキー』には"ロングヴュー"、"バスケット・ケース"、"ホウェン・アイ・カム・アラウンド"、"SHE"などの楽曲であからさまな飛躍がみられると指摘されてビリーは次のように説明している。

「あの頃の俺にとっては自分なりの意見を持って、個であることがすごく重要だったんだよね。大体さ、あの頃のロックには泣き言ばっかり歌ってるっていうところがあったんだ。でも、俺たちって根っから明るい人間だから。だから、そういう性格が曲にもよく表れていたんだと思うよ。もちろん、自分たちが好みじゃないバンドと肩を並べなきゃならなくなってきてたのはわかってたよ(笑)。だから、どんなことがあっても自分らしくすることが重要だったわけで、なにがどうなったって構わないという姿勢が必要だったんだよ。なんだってこい、もともと人生そのものが笑っちゃうようなもんだからっていうね」

その一方で"バーンアウト"の「もうどうでもいいと俺は宣言する」という歌い出しの歌詞などは、曲の主人公がどこか虐げられた状況に置かれているとビリーは認めていて「どこかどんよりした感じがあって、自分の狂気を誰かに認められたいというものだった」と語っている。

「あるいは"F.O.D."はある人に会って、そいつをめちゃくちゃにしてやりたいということを歌ってるだけだったりするんだ。今じゃもう笑っちゃうんだけど、あの頃はそれが本当にリアルな感情だったんだよ。なにもかもが狂ってるように思えててね。俺たちもインディでやってる間はものすごく居心地がよかったのにっていう。それが今じゃいろんな意味で、自分で自分の家を焼き落としちゃったような感じだったんだ」

「"バスケット・ケース"はそのうち、負け犬アンセムみたいになっちゃったわけだけど(笑)。でも、この曲が俺のパニック症候群についての曲だって定義しちゃうと、すごく作品に限界を強いることになるんだよね。たとえば、"アメリカン・イディオット"みたいな曲は、世の中には混乱に溢れている、人々もたくさん殺されてる、そんな世の中は理解のしようがないと、自分も犠牲にもされていると、そう感じることを歌ってるわけで、"バスケット・ケース"もそれと同じようなものなんだ」

また"バスケット・ケース"に登場する売春婦について3番目の歌詞で「彼」へと性別を引っくり返していることについては次のように語っている。
「自分に対しての、あるいは聴き手に対しての挑発なんだ。また、世の中をよく見渡して、『世の中って思ってるほど白黒つけられるもんじゃない。じいちゃんの時代の売春婦はこうじゃなかっただろう、あるいは実はそうだったのか』って突きつけていく感じでさ。このアルバムはバイセクシュアリティについてたくさん触れているんだよ」

さらに"カミング・クリーン"もセクシュアリティについて踏み込んでいく内容になっているが、自身のセクシュアリティについてなにか見出だしたことはあったのかという問いに、ビリーは当時は「なんだって試してみるつもりではあった」と打ち明けているが、ただ、たまたまその翌年には現在の妻であるエイドリアンと結ばれることになったのだと説明している。

なお、アルバムのタイトルを「ドゥーキー」(うんち)と名付けることになったことについては次のように語っている。
「(タイトルについては)たくさんの人たちが最初は受け付けなかったようなんだけど、そのうち愛着を持ってもらえるようになったからね。これは明らかにラリった勢いでつけたもんだよね。マジで。あの頃の俺たちってすげえ勢いで大麻キメてたから。そのノリで『こんなことしたら面白くね?』って感じだったんだ」
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