8年ぶりにレディー・ガガ、日本降臨! 元祖クイーンオブポップが刻んだ来日公演の軌跡をたどる ―― 来る「クロマティカ・ボール」に備えよ

8年ぶりにレディー・ガガ、日本降臨!  元祖クイーンオブポップが刻んだ来日公演の軌跡をたどる ―― 来る「クロマティカ・ボール」に備えよ - rockin'on 2022年6月号 中面rockin'on 2022年6月号 中面

少々込み入ったコンセプトを理解できるとは限らない。奇想天外な衣装や小道具に思わず噴き出してしまう場面もあるだろう。だが、破格のショウマンシップとミュージシャンシップが結晶したレディー・ガガのライブを観て、退屈することは絶対にない。

『クロマティカ』に伴う初めてのスタジアムツアー、「クロマティカ・ボール」での8年ぶりとなる来日公演においても、その点は変わらないはずだ。

何しろガガの場合、年季が違う。14歳の時からバーで歌い、その後地元NYのクラブシーンに活動の場を移して、自作の衣装で自作曲を披露するシアトリカルなショウで注目を集めた、生粋のパフォーマー。クイーンデヴィッド・ボウイをお手本に仰ぎ、その音楽表現は常にビジュアルを伴っていた。

そんな出自が窺える初来日が実現したのは2009年6月。ファースト『ザ・フェイム』が日本で発売されたばかりで、世界的ブレイクの最中という絶好のタイミングだった。当時彼女は初のヘッドラインツアー「ザ・フェイム・ボール」を行なっていたが、今はなき東京・SHIBUYA-AXで開催された公演は、関係者へのお披露目を兼ねた特別なショウケースイベント。“なりきりガガ・コンテスト”なども行なわれ、着飾ったファンが集まってお祭り気分を醸すという、来日のたびに繰り返されることになる風景が会場周辺で見られた。

肝心のセットは5曲のコンパクトなものだったが、アンディ・ウォーホルをオマージュする映像で幕を開け、2度衣装を変えながら歌い踊りまくって、「ザ・フェイム・ボール」を半時間ほどに凝縮。現在に至るまで彼女のライブには欠かせない、ピアノの弾き語りを、この時から盛り込んでいたことも特筆すべき点だろう。“奇抜なビジュアルのエレクトロポップシンガー”と見做されていたガガが、実は声とピアノだけで聴く者を圧倒できる実力を見せつけたあの瞬間、新種のポップスターの誕生を確信させられたものだ。


そして2カ月後には、早くもサマーソニック2009で再来日。マスにアピールするキャッチー極まりない楽曲を、アングラ感あふれる非日常の世界で鳴らす「ザ・フェイム・ボール」を、いよいよフルに披露する。ちなみに、その具現化にあたって重要な役割を果たしたのは、お抱えの若いクリエイターの集団“Haus of Gaga”だ。

ガガはツアーのたびに、アルバムの題材に沿ってコンセプトやストーリーを練り、彼らの手を借りて形作るというプロセスを踏んで、ライブパフォーマンスを進化させたわけだが、進化の速度もさすが速かった。2009年11月のセカンド『ザ・モンスター』の発表から間もなく、彼女はずばり“進化”をコンセプトに掲げた「ザ・モンスター・ボール」ツアーを開始。翌年4月の来日では神戸ワールド記念ホールと横浜アリーナで各2回、計4公演を売り切り、まだ新人に近いアーティストとは思えないスケールの、2時間に及ぶスペクタクルを作り上げている。

そう、自分の野心に見合ったリソースを手にしたガガは、NYの街を模したセットや数え切れないほどの衣装、或いはカスタムメイドの楽器を駆使して演出に磨きをかけ、「ザ・フェイム・ボール」のやや学芸会的なノリを払拭。特異な美意識をより広いキャンバス上に放った。日本ではこの時が初の単独公演とあって盛り上がりは尋常ではなく、1年間で3度の畳みかけるような来日が、彼女と日本の絆を固くしたことは間違いない。


続く4度目の日本公演は2012年5月。サード『ボーン・ディス・ウェイ』に伴う「ボーン・ディス・ウェイ・ボール」ツアーの一環として、さいたまスーパーアリーナで3公演を行ない、計約10万5000人を動員している。逃亡するエイリアンを主人公にした前回以上に複雑なストーリーを考案したガガは、ピンク・フロイドやU2とのコラボで知られるマーク・フィッシャーをステージデザインに起用。楽曲に重厚なアレンジを施し、巨大な城を舞台にゴシックフューチャー感覚の壮大なショウを構築した。

メカニカルな馬に乗って登場したり、アルバムジャケットを再現してバイクと一体化した姿で歌ったりと、次々に登場する異形のガガに見入っているうちに、すっかりストーリーのことは忘れてしまったのだが、代わりに心に深く刻まれたのは、“ボーン・ディス・ウェイ”の三語に象徴される、個人の尊厳を巡るメッセージだ。ここにきて性的マイノリティの人権擁護に情熱を傾けるなど、自身の影響力をポジティブに用いる社会活動家として存在感を強めていたことが、楽曲にもステージにも反映され、新たな厚みが加わったとも言えよう。


そんな彼女、2013年2月に股関節唇損傷の悪化で手術を受けたのだが、14歳で音楽活動を開始してから、2週間以上ステージから離れたのはこの時が初めてだったという逸話がある。結局リハビリの傍らで4作目『アートポップ』を完成させ、1年後には「アートレイヴ:ジ・アートポップ・ボール」ツアーで活動を再開。2014年8月、今度は2夜にわたって千葉・QVCマリンフィールド(現・ZOZOマリンスタジアム)のステージに立つ。

ここで繰り広げたのは、J-POPからフレンチハウスまでを消化した『アートポップ』の世界をそっくり落とし込んだ、ガガ流のレイヴ。前回のダークなトーンから一転、客席からの視界はトリッピーな色彩に埋め尽くされ、両日共あいにくの天気だったものの、オーディエンスが彼女の復帰を祝うかのようなパーティー気分は、オープンエアの球場に似合っていた気がする。


このあとの5作目『ジョアン』に伴う「ジョアン・ワールド・ツアー」は、線維筋痛症という新たな病に見舞われたこともあって公演数が限定され、来日は実現しなかった。

アルバムのルーツィーなロック志向に準じてよりシンプルに歌を聴かせることに主眼を置き、可動式ステージなどで斬新な見せ方を追求していただけに、観られなかったのは残念でならない。また2018年以降ラスベガスで続けているレジデンシー公演にしても、ポップスペクタクル路線の“エニグマ”と、オーケストラを従えたジャズ路線の“ジャズ・アンド・ピアノ”と、趣向の異なるショウを交互に開催。ここ数年間のガガは、ライブパフォーマンスの可能性を様々な角度から模索しているようにも見えた。

ではそうした体験を踏まえ、さらに映画出演やトニー・ベネットとのコラボを経て、久々にダンスポップに回帰した傑作『クロマティカ』をガガはどうステージで表現するのか?少なくとも、“レイン・オン・ミー”然り、“フリー・ウーマン”然り、試練に打ち克つ人間のスピリットを讃えるアンセムの数々が、パンデミック下の世の中に深く沁み渡るだろうことは想像に難くない。

と同時にホールジーからリナ・サワヤマに至るまで、シアターとして、アートとしてのポップミュージックを志す後続に道を拓いた彼女としては、ポップのセンターステージに帰還しての実力の見せどころでもある。7月17日にデュッセルドルフで初日を迎えるまで全ては秘密に包まれているが、どう転んでも“普通”では済まないガガが何を目論んでいるのかと、今世界は固唾を呑んで見守っている。


(文=新谷洋子)





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