エレカシの野音を観て思ったこと

エレカシの野音はサンクチュアルな空気に満ちている。それは参加した人なら誰もが感じるものだと思う。開演前、まだ時間があるのにエレカシの野音は、まるで音が鳴っているかのような、不思議な高揚感に包まれている。
むしろ普通の開演前のライブ会場より静かだったりするのだが、まさに聖的な高揚感に会場が包まれているのだ。
それはエレカシというバンドの持つ宗教性や宮本のカリスマ性がもたらすものだ。しかしエレカシのライブにいつも、このような空気があるわけではない。やはり野音は特別なのだ。
エレカシの野音のサンクチュアルな空気を作っているのは、あの場所に積み重ねられたバンドとファンの思いの歴史だ。
同じ季節、同じ場所で、毎年エレカシが歌い続けたことが、あそこを聖地化したのである。宮本の病気によって特別な形で開催された年を含め、野音にはバンドとファンのいろいろな歴史が刻まれている。
夏の終わり、あの場所でエレカシを聞くと、きっと聞く側も自らの記憶の歴史をたどることになるのだと思う。
素晴らしいバンド、素晴らしいファン、素晴らしい場所、そしてその三つが積み重ねて来た時間、それが作り出す奇跡のステージが今年もあそこにはあった。
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