もちろん、リーマン・ショック以降のアメリカが背景にあったのは間違いないが、最初に書いた誤解の通り、今のアメリカは非常に危ういイメージのなかで物事が進んでいく部分があるのではないか。言うまでもなく、スプリングスティーンは2000年代も様々な場面で先頭に立ってきた。そのなかで彼が、クラレンス・クレモンズ亡き後、発表したのは、過剰なぐらい誤解のしようがない骨太なフォークだった。こうした作品を出さなければならなかった、それ自体がスプリンススティーンの大きな決意になっている。(古川琢也)
ブルースの辻説法アルバム
突如のリリースとなったブルース・スプリングスティーンの新作だが、この緊急リリースがまさにこの作品の性格をよく体現している。つまり、ブルース的には今出さないと意味がない作品で全体がリーマン・ショック以降セーフティ・ネットもなく壊されてきた人々の生活と家庭と社会、そしてリーマン・ショックを引き起こした不良債権の転売という犯罪的なビジネスを手がけてきた企業と当時者らが責任を追及されることなく公的資金注入などで逃げおおせたことへの怒りがふつふつと綴られている。したがって近作『マジック』や『ワーキング・オン・ア・ドリーム』とはまるで性格を異にする作品で、今まさに歌わなければならないプロテスト・ソング集となっている。そうした意味で『ザ・シーガー・セッションズ』を彷彿とさせる曲と歌が揃っているが、ピート・シーガーの作品があくまでも大恐慌期の現実から公民権運動までと30年代から60年代にかけてのフォークとプロテスト・ムーヴメントの土台となった歴史的な楽曲であるのに対して、ブルースは同じような音楽を今現在の問題として問い糾しているのだ。その一方でよりモダンなエッジをサウンドとして備えていかにもEストリート・バンド的な響きをかもすファースト・シングルや、超絶ブルース節のタイトル曲、どこまでもシンプルで作品中最も普遍的な“ユーヴ・ガット・イット”なども大きな聴きどころとなっている。ラストでは公民権運動への反発として起きた63年の教会爆破事件の黒人児童の犠牲者の霊を歌い込み、不穏に作品を締め括るところにブルースの覚悟が窺われる。(高見展)