今の神聖かまってちゃんとして、彼らの根っこにある野性的なもの、原初的なものが露わになっている──そうした意味で、この『団地テーゼ』というアルバムは、そのバンドが初めて世に産み落とす作品のようだと感じたのだ。ある意味では「バンドは、そのバンドの1stアルバムを超えられない」というバカげた噂話を、彼らはこのアルバムで否定してみせたと言っていい。『団地テーゼ』は大傑作である。
ちばぎん在籍時代のラストアルバムである前作『児童カルテ』で辿り着いた洗練から、彼らは再び、生きることのギリギリさと混沌の中から生まれる音楽を世界にぶち撒けている。苛立ちと「死」の現実があり、成熟の過程で生まれた哀切と、傷だらけでも残った「生」の実感がある。くらやえみによるジャケットも見事に、本作に刻まれた消しても消えない透明な哀しみに調和している。
の子が音楽を作り発信し続ける「団地」という場所がタイトルに掲げられたことの意味は、本作に収録された16曲を最後まで聴き通した時、痛いほどにわかるだろう。
インタビュー=天野史彬 撮影=是永日和
──新作『団地テーゼ』、新たな1stアルバムと言いたくなるくらい濃密な傑作だと思います。まず、ユウノスケさんが加入されて初めてのフルアルバムとなるので、改めて、ユウノスケさん加入までの経緯を教えていただけますか。みさこさんもmonoくんも、人間としてある種の天才なんです。このふたりに比べたら、僕とちばぎんとユウノスケは凡人なんです(の子)
の子(Vo・G) 長年やってくれたちばぎんが幸せに旅立ちまして、新しいベースのオーディションをしたんです。これは本人にも言っていなかったかもしれないけど、ユウノスケに決定したのは僕なんですよ。そもそも、顔や雰囲気も含めて「こいつ、なんかいいな」と思っていて。
みさこ(Dr) オーディションを始めたばかりの頃のユウくんは、ベースを弾きながらコーラスができる状態ではなかったんですけど、もう1回スタジオに入った時、かなり成長していたんです。そこで努力を感じたのも大きかったですね。ちばぎんとはまた違って、の子さんとユウくんのコーラスがいい具合に混ざり合ってるんですよ。
の子 そう、ちばぎんはちばぎんの良さがあったけど、ユウはユウで良さがすごくある。それは技術面もそうですけど、人間性も含めてですね。ちばぎんもそうでしたけど、monoくんもみさこさんも、人間性を含めて僕は重視しているので。
──人間性の相性というのは、どういった部分で感じられますか?
の子 みさこさんもmonoくんも、人間としてはある種の天才だと思うんです。真っすぐで、純粋で……いい意味でアホなんですよ(笑)。
みさこ ふふふ(笑)。
の子 みさこさんとmonoくんに対しては昔からそう思っていたし、30代になってからより感じますね。このふたりに比べたら、僕とちばぎんとユウは凡人なんです。そういうところのバンドのバランスも含めて、ユウノスケはよかったんですよね。
──ユウノスケさんは、オーディションに参加された時はどんな気持ちで向き合っていたんですか?
ユウノスケ(B) 大学の生活がうまくいかなくて、「この先どうしようか」みたいな感じの時期だったんです。その時、神聖かまってちゃんのベースオーディションを見つけました。なので「絶対なってやる!」というより、「1回、ダメ元でやってみるか」くらいの感じでした。そしたら通ったので、自分がいちばんビックリしました(笑)。
──そもそもユウノスケさんにとって、神聖かまってちゃんはどのような存在だったんですか?
ユウノスケ 自分にとっては音楽の入り口みたいな存在です。それまでガッツリと音楽にハマることはなかったんですけど、かまってちゃんにハマってから、派生していろいろな音楽を聴くようになりました。
みさこ 最初に聴いた曲はなんだったの?
ユウノスケ たぶん、“ロックンロールは鳴り止まないっ”だと思います。たしか15、6歳の頃ですね。
の子 僕ら3人とユウノスケは15歳差くらいあるんです。最初はジェネレーションギャップ的なものを感じてたけど、今はそんな意識もなくなりました。それにメンバーが変わっても、神聖かまってちゃんというバンドの表層の部分は何も変わらないので。
mono(Key) ユウノスケは神聖かまってちゃんの雰囲気を変えずに続けられるメンバーだったということだよね。
みさこ 雰囲気は変わっていないけど、フレッシュさは初期値に少し戻ったのかなと思う。「最近のかまってちゃん、めっちゃかっこいいけど、すっごいバラバラだね」とライブを観た人によく言われるんです(笑)。それって、ちばぎんがいた時代の最後のほうには言われなかったことなんですよ。バラバラだけど、それが成り立っている。今は初期衝動で演奏技術を凌駕する域に達しているのかなと思います。この先ユウくんがもっと馴染んできたら、また変わっていくと思うんですけどね。
──新作『団地テーゼ』の話に移りますが、2020年にリリースされた前作『児童カルテ』まではコンスタントにアルバムを出されていましたが、今回は5年のスパンを空けてのリリースとなりました。その間にコロナ禍やメンバーチェンジなどいろいろな要因があったとは思いますが、5年というスパンを要したのは何故でしょうか?教室の片隅でにやにやしながら陰キャが作ったような、売れないアルバムを作れたと思います。「売れない」は余計かもしれないけど、スタッフは売りづらいアルバム(笑)(の子)
の子 コロナ禍だったとかは関係ないです。ちばぎんが辞めたこともあったし、神聖かまってちゃん周辺でいろいろなことがあった時にちょうどコロナ禍も重なったんですよね。そこでじっくりと自分を見つめ直す時間がありつつ、コロナ関係なくメンタル的に落ちていたり狂っていたこともあったので、いろいろなことが重なった結果、なんだかんだ5年経ったという感じです。
──見つめ直す期間で考えられていたことというのは、どんなことだったんですか?
の子 神聖かまってちゃんって、昔は「すぐ解散するんじゃないか?」と思われていただろうし、短命なバンドのイメージがあったと思うんですけど、僕はそもそも陸上部で長距離ランナーをやっていた人間なので、バンドでもなんでも「活動とは長距離ランだ」とずっと思いながらやってるし、長く続ける術も自分の中でわかってるんです。俗に言う「太く短く」みたいなことを意識したことも1度もなくて。昔から公言していますけど、僕は神聖かまってちゃんのいちばんのファンなので、長く続けていきたいんです。そのためにまず、マイペースであることを大事にしているんです。
──はい。
の子 ただ、アルバムを毎年毎年バンバン出していると、その期間で社会性にとらわれてしまう部分もあったなと思うんですよね。今振り返ると、浮つきが作品に出ちゃった時もあったのかなと思います。『夏.インストール』とか『ツン×デレ』とかは、“きっと良くなるさ”みたいな曲が入っていたり、わりと社会性があるアルバムだったんですよ。ファンはいい感想をくれるけど、僕自身はあまり納得いってなかったんです。毎年アルバムを出していたからそうなってしまった部分もあると思うし、そもそも創作をする人間には葛藤はつきものだと思うんですけど、社会人社会人しすぎてましたね(笑)。なので、今回は5年かけて出せてよかったです。僕ら初期メンバーの3人はもう40歳なんですけど、『団地テーゼ』は、振り返ると30代の集大成という感じもするんです。だから最初に言ってくれた「1stアルバムのようだ」というのは、なんというか、不思議ですよね。
──違和感もありますか?
の子 いや、「ありがたい」という気持ちと共に「ああ、なるほど」みたいな感覚もあり、不思議な感じです。客観的に見ると、今回の『団地テーゼ』というアルバムはすごくダークなものになったと思うんです。ダークファンタジーのダーク。もっとポップにやろうと思えばできたけど、そうしなかった。僕は昔から音楽を学校で例えることが多いんですけど、今回は教室の片隅でにやにやしながら陰キャが作ったような、そんな売れないアルバムを作れたなと思います。「売れない」は余計かもしれないけど、スタッフは売りづらいアルバムでしょうね(笑)。
みさこ ははははは(笑)。
の子 まあ、そんなことはいいんですよ。真に深いものができたと思います。昔から「死にたい、死にたい」とストレートに言ってきましたけど、言葉の深みは増したと思います。20代の頃に「負の表現をしよう」と思ったことのすべてを、僕は“マイスリー全部ゆめ”という曲で「もう、これ以上は出ない!」と思うほど全部出し切ったと思っていたので、30代以降どうなっていくんだろうと思っていたんですけど……40歳にして『団地テーゼ』というアルバムを出せるというのは、客観的に見てすごいなと思います。
みさこ 今回は収録する曲を吟味するために1回合わせてみたりしたんですけど、その度にの子さんが次々と新曲を作ってくる感じでしたね。あと「売りづらい」と言っても、かまってちゃんの場合は自分たちがやりたいことをやっていたほうが最終的に人に響く割合も高くなると思うから。だから、もうそうするしかないんじゃないかな(笑)。
──「死にたい」ということ、「死」そのもの。そういうものが音楽に色濃く刻まれているというのは、『団地テーゼ』を聴いていてすごく感じます。1曲目のタイトルは“墓”ですが、人が死んで行き着く場所である墓から、このアルバムは始まるんですよね。それもすごく象徴的だなと思いました。“死にたいひまわり”のデモが届いた時に「これだ!」と驚愕しました。「全然死んでねえじゃん」と思った。負のエネルギーは死んでいないなって(mono)
の子 なるほど。そこは何も考えていなかった(笑)。
──先ほどおっしゃっていた「深みが増す」というのは、の子さんはどういった部分でそれを実感されていますか?
の子 言葉にするのは難しいですけど、40代になって、人生というのは切ないなあと思いますね。歌詞にも書いたことがありますけど、人生というのは、歳をとるたびに失っていく過程なんだと。悲しい話かもしれないけど、大人になること、成長することって、切ないことだと思っていて。10代、20代の頃は特に死にたいという気持ちが強かったんですけど、30代を過ぎたあたりからどんどんと減っていったんです。自分の中でちょっとずつ薄れていってるな……そういうことを感じました。でも、今を生きている限り、今を生きるしかない。今の自分を100以上出し切ってやるだけです。今回のアルバムでいちばん最近作ったのは“死にたいひまわり”なんですけど、この曲はもう、ゲロですよね。混沌としたものをすべて吐き出した感じです。40歳になっても家にいるとカオスになることはあるので、こういう曲ができると、「まだ、曲書けているな」と思います(笑)。
みさこ の子さんはちょいちょい「曲がいっぱい書けなくなるんじゃないか」とか「曲を書く時間がほしい」って言うので、不安になる時もあるんだろうな……とは思うんですけど、の子さんは忙しくても曲を書くことを周りの人は知っているから。あまり心配していないんですよ(笑)。
の子 曲は書けるんですよ。でも、表現の幅が狭くなってしまうのは嫌で。小手先だけはうまくなるかもしれないけど、自分の魂から出てくるものが減っていくんじゃないか?という恐怖に似た葛藤があります。その葛藤はこれから先もずっとあると思います。僕にとって曲作りは10代の頃から変わらなくて、世のため人のためじゃなく、自分のため、自分を救うために作るものなんです。そういう自分の芯はずっと変わらないです。でも、いつか本当に「猫がいて楽しかった」みたいな歌詞の曲しか書けなくなるかもしれない……とかも考えたりもします(笑)。まあ、最終的には楽しくて、気持ちよければそれでいいと思っています。人生、すぐ終わるんで。それに尽きます。
──monoさんもそう思われますか。
mono そうですね。年をとればとるほど、よくも悪くも楽観的になるものですから。でも、俺は“死にたいひまわり”のデモが届いた時に「これだ!」と思いましたよ。驚愕しました。「全然死んでねえじゃん」と思った。負のエネルギーは死んでいないなって、聴いた時安心しましたね。その時の子に電話したもんね?
の子 そう、電話かかってきた。
──monoさんは、の子さんから負のエネルギーの曲が届くと感じるのは、安心なんですね。
mono 僕自身もの子と同じ環境だったとは言わないけど、なかなかの日々を送ってきたんです。俺はそれを表現することができない人間だったけど、の子を見て「よく表現できるな」と思ってます。それもあって活動を一緒に続けてきたところもあるんです。なので、“死にたいひまわり”を聴いた時は「相変わらずすごいな」と思いました。歌詞も、世の中にいる若者や一般の人たちがふわっと使うような言葉を歌詞に盛り込むじゃないですか。「こういうこと言うよな」みたいな。これこそ、大島亮介(の子の本名)の曲ですよね。
──『団地テーゼ』というタイトルはどのようにつけられたんですか?汚い部分やドロドロした部分、人に見せられないような部分があるからこそ人間なんですよね。僕はそのすべてをゲロのように吐き出すのが芸術家だとずっと思っているし、それがスッキリする(笑)(の子)
の子 タイトルは、「何か降りないかな、降りないかな」と考えていたところ、いきなりダンッと降りてきた感じですね。自分がずっと住んでいた団地と掛け合わせて、「アンチテーゼ」という言葉をもじった感じです。
──ご自身が生まれ育ち、表現を発信してきた団地という場所に、今改めて思いを至らせる部分もあったのでしょうか?
の子 それはないです。小学1年生から30年以上、団地に住んでいるわけで、僕にとってはただの日常なので。
──今日は「死」についての話が出ましたけど、「老病死」というのは表現の中で避けられがちなものだし、目を背けようとする人も多いと思うんです。でも、神聖かまってちゃんはそういうものを表現し続けていますよね。「アンチテーゼ」という言葉が『団地テーゼ』の奥に隠れているのだとしたら、神聖かまってちゃんは今、何に対してのアンチテーゼであると言えるでしょうか?
の子 「何に対してのアンチテーゼか?」と言うと……ずっとイライラはしていますよ。主語はデカいですけど、社会に対して、世界に対して、イライラしています。「死ねよ、バカ野郎!」みたいな。こういう気持ちって、誰しもあるんじゃないですか? 僕だけが特別なわけではないと思うんです。僕はたまに団地の周りを深夜徘徊するんですけど、ふとした瞬間にイライラしてくるんですよ。どれだけ清々しく散歩をしていても、急に立ち止まって「死ねよ、クソッ」みたいな……そういう瞬間って、みんなあるんじゃないかと思っています。表面上、うまく生きることができたり、社会性がついた自分ができあがったり、いくらでも仮面は被れますけど、人間、根本的な部分は変われない。僕は特にそういう部分が強くあると思うんです。おっしゃるように「死」の表現を避ける人もいるのかもしれないけど、芸術家として、死を避けるのは変な話だと思うんですよ。生があって、死があって、その両面があって人間ですから。汚い部分やドロドロした部分、人に見せられないような部分があるからこそ人間なんですよね。僕はそのすべてをゲロのように吐き出すのが芸術家だとずっと思っているし、それがスッキリする(笑)。
みさこ 誰にでもそういう瞬間があるから、かまってちゃんにはずっと若いお客さんがいるんですよ。新しくそれを必要とする人が生まれ続けているので、今では老若男女ライブに来てくれる状況になっていますね。自分自身で思っていても他の人は言わないことを、かまってちゃんが言っているからだと思うんですよね。
の子 かまってちゃんって昔からお客さんの世代が幅広くて、まさに老若男女という感じなんです。思春期的な毒が刺さるだけじゃなくて、自分らよりも上の世代の人がファンになってくれるというのは……絶望しているからじゃないですか?(笑)わからないですけどね。神聖かまってちゃんは負の表現だけじゃないですから。ちゃんと光と闇を表現していると思います。
──最後に改めて、の子さんにとって曲を作るとはどういうことと言えますか?
の子 究極のわがままです。それは曲作りだけではなく、生き様も含めてですね。
11th Full Album『団地テーゼ』
2025年1月22日(水) CD発売
価格(通常盤1種のみ):3,000円(税抜)
【収録曲】
01.墓
02.死にたいひまわり
03.夜のブランコ
04.僕の戦争
05.卒業式
06.カエルのうた
07.このバトンを海に思いっきり投げて
08.ヨゾラノ流星群
09.全世界のカスどもへ乾杯
10.魔女狩り feat.GOMESS [ 団地テーゼver ]
11.スノーボードしようよっ
12.プシ子の手紙
13.最果てフィールド
14.雨あめぴっちゃんの歌
15.後ろの花火
16.1999年の夏
●ライブ情報
「2025年ツアー」
1月19日(日) 大阪 心斎橋BIGCAT1月24日(金) 静岡UMBER
1月25日(土) 愛知 名古屋 CLUB QUATTRO
1月30日(木) 広島SECOND CRUTCH
1月31日(金) 香川 高松DIME
2月8日(土) 福岡BEAT STATION
3月11日(火) 東京 Zepp DiverCity(TOKYO)
提供:株式会社パーフェクトミュージック
企画・制作:ROCKIN'ON JAPAN編集部