バトルス @ LIQUIDROOM ebisu

今年のフジ・ロックでホワイト・ステージをパンパンに膨れ上がらせ、裏ベスト・アクトの呼び声も高かったバトルスの凱旋である。これまでも何度か来日しているが、ここまで期待度が高かったのは初めてだろう。当初東名阪各1公演だったのが、即完売につき東京・渋谷クアトロでの追加公演が決定。さらにそのクアトロもすぐにソールドアウトしてしまったので、再追加公演をやることになったのだが、その方法が凄い。本日のリキッドルームはなんと1日2回公演なのだ。まさかバトルスでこんな事態になるとは、正直思ってもみなかった。

というわけで当然のごとく満員御礼の会場。定刻どおり、ステージに登場したメンバーは、各々好き勝手にノイズを撒き散らし、それをやがてインプロへと変化させていく。バラバラだった音の破片がガチャガチャと組み合わさり「音楽」が生まれる瞬間を追体験できるというか、「音楽以前」のカオスを目の当たりにできるというカタルシス。しかしそれだけならば同じことをやっているバンドはいくらでもいるのであって、そのなかでバトルスだけがこれほどの評価と人気を得ているのは、そんなちまちましたカタルシスでは決して満足せず、それを明快なリズムの快楽と肉体性へと昇華させているからだ。

たとえばアルバムのリード曲であり、今回も中盤に披露され、ひときわ盛り上がった"アトラス"を聴けば分かるとおり、彼らのリズムそのものは実は意外なほどシンプルなものだ。複雑そうに見える音のレイヤーにしたところで、基本的にはそのシンプルなリズムに沿うかたちで構築されている。あくまで分かり易いリズムと、そこから生み出される肉体性。それこそがバトルスの本領なのである。ドラムがほとんど主役のごとくステージの真ん中に鎮座しているのもそのためなのだ。

バトルスを評して「キャッチー」とか「ポップ」とかいう論評があるが、それらが指しているのはこの部分だ。この日も「チョーシハドーデスカ?」「コンニチハー」と日本語MCを披露し、ステージに飾ってあった花を観客席に撒いていたフロントマン=タイヨンダイ・ブラクストンの姿にも表れているように、バトルスの本質はポスト・ロックとかアヴァンギャルドという言葉からイメージされるスノビズムとは正反対のところにある。前衛的阿波踊りともいえる"アトラス"のビートのような、肉体や感覚に直接はたらきかける、土着的とすらいえるシンプルなリズム。今日リキッドルームに詰め掛けた人々はみな、その快楽を待っていた。そしてそれは1時間半弱のセットのあいだじゅう、満員のフロアを揺らし続けたのである。(小川智宏)