【知りたい】ジョン・フルシアンテ、エレクトロへの方向転換とレッチリ脱退のワケ


トリックフィンガー名義での新EP『Trickfinger II』を9月20日にリリースするジョン・フルシアンテだが、レッド・ホット・チリ・ペッパーズからの脱退後、エレクトロニック・ミュージックへの方向転換を果たしている。

ジョンは2009年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズを脱退して以来、しばらくはソングライター/ギタリストとしての活動を経て、2010年代以降は積極的にエレクトロニック・ミュージックの楽曲を制作。トリックフィンガーとしての音源は自身がエレクトロニック・ミュージックを習得していた2007年に制作されたものだという。

トリックフィンガー名義では2015年に1stEP『Trickfinger』をリリースしており、今月リリースされる新EP『Trickfinger II』も同時期に制作されたものだ。

当時はこの大胆な方向転換に驚いたファンも多かったようだが、今回は「Billboard」「thump」に対して語られたジョン・フルシアンテ自身の言葉をもとに、ジョンとエレクロとの関係性を改めて探っていきたい。


ーエレクトロは僕の存在そのものとあまりにも自然に溶け合っているもの

「いわゆる伝統的な形での作曲法は、もうとっくの昔に辞めちゃってるんだ。昔は例えば、歌詞とかが、僕の頭の中で起きていることを垣間見せてくれるものだったかもしれないんだけど。でもエレクトロニック・ミュージックで僕がやってることは、僕の存在そのものとあまりにも自然とに溶け合っているものなんだ。

僕の生き方を映し出しているものだし、きっと僕が考えてることも映し出しているものだと思うんだけど、実はもっと数字みたいなものになってきてるんだよね。

例えば、僕の考え方まで完全に音楽的なものになっていたりもするんだ。今は僕の頭の中の大部分が、そういうものに占められてるんだよ。それと僕の音楽においては、他人が作ってる音楽から見えてくるたくさんの隙間を自分から埋めていくようなものになってると思うんだよね。



僕は歴史上のあらゆる時代の音楽がどれも大好きだから、自分で閃いた音楽的なアイディアについても、全部使い尽くされるまでにはまだまだたくさんやりようがあるって分かるんだよ。だから、そういう穴や隙間を埋めようとしてやってることがすごく多いんだ。ギャップを埋めていくっていうのかな」

ー現代的な意味合いでの作曲家として生きていくなら、こういうことも始めなきゃ

2007年にアシッド・ハウス的なサウンドに取り組み始めた理由については以下のように語る。

「これは(エレクトロニック・ミュージックの)語彙を習得するためだったんだよ。例えば、ギターだったら、一度にひとつのことだけをやってるんだけど、アシッド・ハウスをやるとなると15台くらいの機材を同時に使うことになるんだ。

だから、一度に色んなことをやるっていうことに、思考として慣れていかなきゃならないんだよ。エレクトロニック・ミュージックにおける僕のヒーローの多くは、例えばエイフェックス・ツインとか、スクエアプッシャーとか、みんなアシッド・ハウスが出発点になってるから、僕自身が現代的な意味合いでの作曲家としてこの先の人生を生きていくつもりなら、そういうことも始めなきゃならないよなって思ったんだよ」





ーレッチリでは「あまり手を出せずにいた」伝統への挑戦

エレクトロニック・ミュージックは現代において総合的な音楽を発信するには最も有効なアプローチだと思っているとも語り、エレクトロは自身が子供時代から好きだったザ・ビートルズやプログレの延長でもあると説明する。

「プログレッシブ・ロックというのはザ・ビートルズが始めたスタイルで、そこでビートルズはジャズやクラシックやいろんなカルチャーの側面をロック・ミュージックと融合させた。その結果、ロックって実はものすごく順応性の高い音楽だってことが分かったんだよ。

『アビイ・ロード』のB面の、どの曲も次の曲に繋がっていくっていう構成みたいにね。ジェネシスとか、キング・クリムゾンとか、イエスとかのバンドは、基本的にビートルズをやってたことを継承してたわけで、伝統への挑戦になってたわけだよ。音楽の作り方や決まり事に対して挑戦していくものだったんだね。


だから、そういうバンドがやってきたことを僕は生まれてこの方ずっと尊敬してきたんだけど、自分がバンドをやってる間はあんまりそういうことには手を出せずにいたんだ。たとえば、僕たち(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)は、15分くらいの曲をやるとか、伝統的な公式からあんまり離れるようなことはしてこなかったから。

その一方でいわゆるシンセポップなんかは、僕にとってはシンセとドラム・マシーンで作ったただのロック・ミュージックでしかないんだ。そうじゃなくて、(エレクトロニック・ミュージックをやっている)今の僕にとっては、さまざまな楽器や機材をいろいろ融合させていったものがひとつの楽器みたいになってるんだよ」

ーバンドを辞めるなんてまるで思いつかなかった

「僕はずっとエレクトロニック・ミュージックをやりたかったんだけど、復帰してからのバンド(1999年にレッド・ホット・チリ・ペッパーズに復帰した以降)はちょっと弄るくらいのことしかできなかったんだ。だけど、他のどんなこととも同じで、やっぱり毎日毎日、何年間もずっとやってないとうまくはなれないんだよね。

だから、気持ちはずっとあったんだけど、バンドとして僕たちはものすごく評判が良かったし、それを辞めるなんてまるで思いつかなかった。でも、フリーにある時こう言われたんだよね。『今度のツアーが終わったら2年間休みをとりたいんだ』って。それを(2007年の『ステイディアム・アーケイディアム』の)ツアーの半ばで言ってきて、僕はそれを聞いて衝撃を受けたんだ。それまでずっと、バンドとして活動し続けてやってることはそのままやり続けていくもんなんだって思い込んでたからね。

だけど、いったんフリーからそういう話を聞いたら、『そういうことなら、もし自分が2年休みを取って、その2年間やりたいことしかやらないとしたら何をしたいかな?』って思いが膨らんできたんだ。それから4ヶ月ぐらい経ったらバンドを辞めたくてしょうがなくなってきて、もはや2年間とかじゃ到底満足できない状態になってたんだよ。もう二度とバンドにはいたくないって、自分でもよく分かったんだ。


実際に僕が辞めたのはバンドが休みに入ってから数ヶ月経ってからのことだったんだけど、ツアーが終わる数ヶ月前から自分がバンドを辞めたいってことは分かってたんだ。すでに決意してたんだよ。というのも、エレクトロニック・ミュージシャンで僕が大好きなことをやってた人はたくさんいたし、自分でもギターでそういう音を演奏してみながら、自分でもエレクトロニック・ミュージックに対するある程度の理解もできていると分かってたからなんだ。

だけど、ローランドが80年代から作ってきた古い機材をきちんとプログラムできるようにならないと、エレクトロニック・ミュージックで活動してる人たちが受け継いでいる音楽的な決まりごとを使った音は作れないはずだとも分かってた。それで、最後のツアーの途中からTB-303を買ってホテルの部屋から部屋へと持ち歩いて、そのうちドラム・マシーンのTR-606も買ってこれも一緒にずっと持ち歩いてたんだ。



僕にはその使い方はまったく新しい発想だったし、まったく新しい音楽の作り方だったし、いろんな意味で音楽学校に通ってるような感じだったんだ。音楽について、完全に新しい角度から考えられるようになったからね。ただ、長い間、1年くらいはなかなかしんどかったんだけど、それも楽になってきてツアーも終わると、どこにいても機材を使うようになって、色んな機材も一度に全部使い始めるようになったんだ。

その時点ではまだ、例えば僕がギターを弾いたり、ほかの人と一緒にセッションしてる時のような、複雑なことは全然何もできなかったよ。でも、それはどうでもよかったんだ。最もシンプルなアシッド・ハウス的なトラックを作って、それを機材のつまみで鳴らすことができるだけでよかった。

ロック・ギタリストとして培ってきたものや手癖とかから離れた、全く関係のないものをやれるってだけで本当に嬉しかったんだ」


なお、ジョンはインタビューの中で、ライブへの興味が全くなくなってしまったことも明かしている。ライブという環境では観客が満足しているかどうかをどうしても考えてしまい、自分の内面の表出に徹底できないため、もうやるつもりはないそうだ。方向転換を果たしたジョンの姿をライブで見ることは叶いそうにないが、一先ずは9月20日の『Trickfinger II』のリリースを待ちたい。

『Trickfinger II』の詳細は以下の通り。