幸福は音で伝播する - 星野源 DOME TOUR 2019『POP VIRUS』

2月28日、「星野源 DOME TOUR 2019『POP VIRUS』」東京ドーム公演2日目。
開演は6時半。仕事で開始には間に合わないとわかっていた。水道橋の改札を出て、傘をさしながら白くて丸いドームに向かって走る。
通路に入ると、星野源の歌声がすでに響いていた。

「アリーナ席は反対側です」とスタッフのお姉さんに誘導され、黒いカーテンで区切られた会場の向こう側から流れるアコギの音を聴きながらまた走った。
ようやく席にたどり着くと、赤いパーカーをダボっと着た星野源が体を揺らしながら歌っていた。

オープニングの『歌を歌うときは』が終わり、ツアー&アルバムタイトルにも冠された『Pop Virus』が始まった。



星野源のライブはすごく心地が良いと、来るたびに思う。
いたずらっ子みたいな満面の笑みで、バンドメンバーと雑談を交わし、間奏では変な動きでステージの上を跳ねまわり、曲の終わりにはピースサイン。ダサいポーズの代表格であるピースサインがここまで様になる人を他に知らない。
肩ひじはっていなくて自然体で、挙動全部がとにかくチャーミングだ。
のびのびとしたその姿に、いつのまにか引き込まれてしまう。

星野源のライブに行くといつもすごく感じるのが、「チーム星野源」の力だ。
個人アーティストって、絶対に本人一人だけで舞台を回すことができない。
もちろん個人じゃなくてもできないんだけど、例えば曲を演奏するのも、バンドだったら自分たちだけでできるけど、個人だと絶対にサポートメンバーが必要になるし、グループだったらメンバーが一部入れ替わったりして転換の時間を稼ぐところを、一人だと「ステージ上に主役がいない」という時間が絶対に生まれてしまう。

で、星野源のライブでももちろん、舞台移動や衣装チェンジなどの転換の時間があるのだけど、ここで何をするかというと「有名アーティストの皆さんからのビデオメッセージ」が流れる。まったく堅苦しいものではなく、星野源と親交ある芸能人達(今回ならバナナマンや渡辺直美、宮野真守など)が、それぞれ「有名アーティスト」として登場する、思いっきりネタ仕込みの贅沢な内容なのだ。途中で本人たちも笑っちゃったりして「源くん、これで大丈夫でしょうか?」なんてぐだぐだなオチ。だけどそれも、彼ら自身がこの茶番を楽しんでいること、そして、星野源との関係の良さを感じさせる。

ビデオメッセージだけでなく、バンドメンバーとして入っているハマ・オカモトや長岡亮介らと気さくに会話したり、いつも登場する「ELEVENPLAY」という女性ダンスグループ(『恋』や『SUN』のMVに出てくるダンサーと言ったらわかると思う)の一人一人の名前をちゃんと名前を呼んで紹介したりするその様を見ていると、全員が一丸となってこのステージを作っているのだという気持ちがものすごく伝わってくるのだ。

平べったいことを言ってしまえば、「星野源が仲の良いメンバーを集めてライブを作っている」という話で、それは一歩間違えば内輪ノリになりかねない。でも彼のライブでは決してそうはならないのは、一人一人が観客を楽しませようというエンターテイナーの精神を強く持っているからだ。そして、何より自分自身がこの場を楽しんでやろうという、大切な素養も。そんな仲間を集めることができるのは、元を辿ればやはり星野源の人としても魅力なのだと思う。

ライブの時の星野源がとても自然体に見えるのは、自分が信頼しているメンバーに囲まれているからだし、だからこそパーカーにだぼだぼのズボンがあんなにも輝いて見えるし、素朴なピースサインが似合うのだ。そして、ステージ上の楽し気な姿を見て観客も楽しくなる――そんな最強の好循環があそこには存在している。
だからそう、星野源のライブは「居心地がいい」。



もう一つ、私が強く感じるのは、星野源の「新しい音楽を作ろう」という挑戦の姿勢だ。
『YELLOW DANCER』というアルバムを出した時、星野源は同時に“イエローミュージック”という音楽のコンセプトを打ち立てていた。私のものすごくざっくりとした理解だと、「どこかの国の真似事ではなく、日本という国の土壌から生まれた音楽」……という感じでいいのかな……。
※正確なことはインタビューを読んでいただくのがよいです。。。
Real Soundの『星野源が語る“イエローミュージック”の新展開「自分が突き動かされる曲をつくりたい」』にて詳細が語られています。

とにかく、この時開催されたツアー『YELLOW VOYAGE』で「星野源の打ち立てる新しい音楽“イエローミュージック”!(これもめちゃめちゃうろ覚えですが)」というナレーションが入って、それを聴いて、星野源が曲単位などではなく、ものすごく大きな視点で音楽に挑戦し、新しいものを作ろうとしているのを知った。そして確かに、あの場に音楽の新しい黎明を感じたのだった。

その先進的な精神は実際に楽曲にも反映されていて、今や日本人なら耳にしたことのない人はいないじゃないかという『恋』について、

“すべての恋に当てはまるラブソングにしたいと思っていて。恋愛のスタイルというものがどんどん多様化していますよね。異性でも同性でもその他ももっといろんなスタイルがあって。今まで当たり前だと思われていたものが古くなって、塗り変わっていく時代だと思うんです。”

と語っていたり(Real Sound『星野源が語る“イエローミュージック”の新展開「自分が突き動かされる曲をつくりたい」』より)、

『Family Song』では

“血の色 形も違うけれど いつまでも側にいることが できたらいいだろうな”

と歌っている。MVでも、男性である星野源がお母さん役を、高畑充希がお父さん役を演じていたりして、多様化しつつある「恋愛」や「家族」という題材を、ものすごくあたたかいまなざしでとらえ、受容しているように感じた。



長くなってしまったのだけど、最後にもう一つだけ語りたい。
今回のライブで特に印象的だったのが、『アイデア』。

曲紹介のとき星野源が、(本当にうろ覚えで恐縮ですが)「前年にしんどいことがたくさんあって、そういう中で今までの自分とこれからの自分の両方を思って作った曲だ」ということを語りながら、目を潤ませているのがスクリーン越しでもわかった。

個人的にも『アイデア』という曲がすごく好きだ。曲が、というだけではなくて、主題歌になっていた朝ドラ『半分、青い。』をずっと見ていたせいもある。

ライブから少し脱線した話になってしまうけど、朝ドラをあんなにしっかり見たのは本当に久しぶりだった。
『半分、青い。』は、ヒロイン鈴愛が漫画家になったり途中で筆を折ったりシングルマザーになったり最後には起業家を目指したりと一貫性がなく、最後まで何を達成するわけでもない、「何者でもない女性の人生」という、朝ドラとしては異色の物語だった。そのために評価は賛否両論喧々諤々だったわけだけれど、現実に世の中のほとんどの人が「何者でもない」わけで、その人生を取り上げてドラマに仕立てたという意味で、すごく価値のある作品だったと思う。

自分のツイッターからの引用になるのだけど、私はあの作品をこういうふうに解釈した。

“『半分、青い』の感想なんだけど、鈴愛の人生があっちこっちいって「結局なんの話だったの?」という困惑が多かったように思うけど、私は「人は何者にもなれなくていいし、いつからでも何度でも何者になろうとしていい」という物語だったんだと解釈した”

ゴールらしきゴールのない鈴愛の人生のその先がどこへ向かうのか、毎日目が離せなかった。何より、寝ぼけまなこの朝、マリンバの音と“おはよう 世の中”という明るい歌声が聞こえた瞬間布団を飛び出してテレビに向かったあの半年間は、ただそれだけでとても幸福な時間だったように思う。

そんな風にドラマとともに半年間醸成された記憶のある曲だから、『アイデア』は私の中で少し特別で、その曲について語る星野源が、私のものとは別の感情だとしても、この曲を特別に思っていることが知れてうれしかった。



ライブが終わって、すべての音は東京ドームのあの大きな白い空に消えていってしまった。それでもあの日、見ることも触れることもできない音楽という“POP VIRUS”が、幸福を伝播させていたのは間違いない。


この作品は、「音楽文」の2019年8月・最優秀賞を受賞した東京都・満島エリオさん(28歳)による作品です。