関ジャニ∞が歌う「今」が好きだ。
アルバム「ジャム」に収録されている曲で、ニセ明さんが作詞作曲。編曲は菅野よう子さん。
音楽に丁寧で、誠実に向き合うニセ明さんが、関ジャニ∞へ手渡す曲として考えて、作った曲がこの曲ということが感無量だった。そしてこの曲から感じ取れるニセ明さんらしさ、ニセ明さんだからこその洞察の深さを「今」から感じて感動した。
ラジオの解禁で初めて聴いた時、ニセ明さんからの提供曲としては意外性を感じた。それは自分が勝手にイメージしていたもので、ニセ明さんの個性がはっきりと現れた曲になるのかなと想像していたからだった。なので「今」を初めて聴いた時のキラキラとした明るい印象は、個人的に予想外なものだった。
けれど、曲を通して聴いて歌詞を追っていくうちに、ニセ明さんがこの曲を関ジャニ∞へ託した気持ちが少しずつわかってくるような気がして、聴き込んでいくほど楽しくなる。
イントロの明るい音の厚みと、耳にすっと入ってくるメロディー。そしてサビの言葉はシンプルで、ぱっと覚えることができる歌詞。景色が拓けていくようなイメージが湧いた。そしてどこか哀愁漂う切なさが余韻で残る。
このマジックこそがニセ明さんだと感じた。笑っているのに、笑顔でいるつもりなのに、どこか淋しい雰囲気もある。
ニセ明さんではない“彼”が歌う「SUN」でも、明るいイメージと一緒に、日常にあるやるせなさを歌詞の『Ah Ah』のフレーズから感じていた。
ニセ明さんの作る曲には、“憂い”がいつもどこかにある気がしている。
一見楽しいポップスに感じられる「今」も、変化していくことへの喜びと、そのままではいられない切なさがマーブル色になっているような情景を感じる。それは葛藤ではなくて、本心では気持ちも踏み出す先も決まっているときの心模様。
「今」を聴いていると、小学6年生の頃の卒業式を目前にした残り2ヶ月の学校生活みたいな気持ちになる。このままがいい、でもこの先に待っていることにワクワクしてしまう。そんな感覚になる。
「いつまでも 此処に居たいけれども 旅立つ夢を 見てしまったことを」という言葉ではじまるこの曲。
詩的で、本当に素敵な歌詞だと心を揺さぶられた。
今、自分自身が抱く思いにどんぴしゃだった。言葉にできずにいた思いをすっかり見抜かれていたような、そんな歌詞だった。
「旅立つ夢を見てしまった」という言葉は普通に聴けばきっと違和感のあるもので、夢なのに“見てしまった”と表現して、それが駄目なことであるかのように、罪悪感を感じている言い回しをしているところに胸を打たれた。
曲の主人公の、名残惜しく変わりたくないと思う気持ちと、それでも突き動かされて進んで行ってしまう自分の足に、心が追いつかない情景が伝わってきた。
夢を見て、ただ無邪気にその景色を思い描いているのではなくて、抗えない夢への後押しに戸惑っているような。思わなかったならずっと此処に居られたかもしれないけど、湧いてくる本当の気持ちに嘘がつけない心情が。
夢があるのも夢を見られることも、幸せなことだという考えもあるかもしれないけど、そこに伴う悲しさや苦しみに「今」は寄り添っている気がした。
「さよなら またいつか 会うまで」
明るい雰囲気のなかで、自然と「さよなら」という歌詞が出てくるところにも惹かれた。ここの、“会うまで”で勢いよく振り向き手を差し伸べる振り付け、それが好きで。特に安田章大さんのこの曲でのダンスがとても素敵で、振り向き方も、全体の弾むようなダンスも世界観にぴったりで、魅力が発揮されていると思った。
言い回しや、言葉の選び方にもニセ明さんのカラーが出ている。
「いつまでも 此処に居たいけれども」という歌詞も、“此処”という言葉を漢字で書き表しているところや、“けれども”という丁寧な言い回しを使っているところ。
「旅立つ夢を 見てしまったことを」で、文末に“を”と使うところも歌詞としてめずらしい印象で、いいなと思った。
「今」の歌詞全体が、誰かへ宛てて書いた手紙のようだと思った。言葉を完結させずに途切れさせることで、想像の幅が広がり、聴いているそれぞれが思い描けるようになっていると感じた。
「今」を聴いて、ただの期待感だけではなく、この曲の歌詞から不安も感じ取れるのは、断言している言葉を使わずにいるからではないかと思う。
「いつか目の前 たどり着けたら くだらないことで笑い合えるかな」
そのどちらも、“たら”、“かな”と仮定文になっていて断定はしていない。
“いつか目の前 たどり着けたら”という言葉からは、定まらない道を一人で走っているのではなくて、たどり着きたい場所が見えている状況。その存在が確かにそこに有ることを表していると感じた。憧れの存在なのかもしれないし、それ以外の何かかもしれない。
隣に並びたいでも、追い越したいでもなく、“目の前”と表現されているところが素敵だと思った。
「今」は、“今”の視点から見える世界が語られていて、歌詞の中に具体的な過去の出来事やその後のストーリーは描かれない。そこが魅力だと思う。
歌詞と振り付けの両方で好きなところがある。
「夢の中から 水の底から 手を伸ばし君の掌つないだ」という部分。
“水の底から”という言葉。涙を拭い、下に落とす振り付け。それがすごくグッときた。言葉は綺麗に聴こえるけれど、もし、水の底というのが悲しみ沈む心のことで、たくさんの涙でできた水の底なのだとしたら、どれほどの努力で這い上がったのだろうと思った。
印象深く残る“手”のイメージも、振り付けのオーダーをする際に手話を取り入れた動きをというアイデアでさらに印象が強くなり、差し伸べられる手や、肩を叩く手、その手に強く引き寄せられる求心力を感じた。
振り付けパターンがAとBであって、Aの方に始めは涙を拭う動きが入っていなかった。歌に支障のないように、動きとダンスのバランスを考える様子が「関ジャム」で映っていて、完成したMVを見ると、基本はAパターンにしつつ、Bパターンから涙を拭う動きを採用していた選択に感動した。
「苦い思い出を笑える頃かな」という歌詞も、主人公がたくさんの苦難を経験したことの証しのように聞こえて、その言葉もまた仮定であることから、今はまだたどり着けていないけれど、いつかそんな時が来たらと思い描いているような印象があった。
「未来を越える 今 今 今 ほら 今 今 今」
“今”を振り付けで表した後、“ほら”と手を伸ばす振りが優しくて、前に前に進む関ジャニ∞を見ているとこんなにも勇気付けられる。
最後の“今”の「あ」の音が一音上がるのも好きで、特に耳をすまして聴くポイントになっている。
以前、関ジャムで見せてくれた「今」の企画会議のなかで出てきた振り付けのキーワードに、クレージーキャッツという言葉があった。
ニセ明さんは作曲としてクレージーキャッツの要素をわかりやすく入れ込まなかったのかなと感じていたけど、ダンスでその要素が引き継がれていたことを知ることができて、本当に嬉しかった。
イントロのメロディーで、パパッパパッの後に入る、チュクチューンと弾かれるギター音の質感と音の下がり方がニセ明さんだなあとしみじみ思った。サビの後で来るストリングスの音と、演奏しているメロディーも惚れぼれする。
バイオリンが奏でられている隣でトランペットが高らかに鳴り響いていて、特にトランペットの入り方は絶妙だった。トゥートゥルルトットゥーのバイオリンに、パラパーとトランペットが追いかけて鳴るところが、ニセ明さん…!という気持ちになる。ティンパニの音も、サビの盛り上がりに合わせて乗っているように聴こえて、さらにタンバリンの音もキラキラと聴こえる。
全体のメロディーがドレミファソラシドと上がっていって、ドシラソファミレドと一段ずつまた下がっていくような感覚は、関ジャムを見ていて学んだ、ビートルズも用いていた手法に近いのかなと思った。無意識のうちの心地いい音階のアップダウンを感じて、そこに身を委ねるのが楽しくて何度も聴きたくなる。
この曲を聴いた時にどことなく感じる懐かしさはなんだろうと、ずっと記憶をたどって考えていて、まだ答えは導き出せていないけど、
この懐かしさはどこか「星に願いを」のようなエッセンスも感じるような気がしている。だから自分の中で「今」のイメージは夜空と星になった。
色としてのイメージは青色と黄色。
丸山さんが、ラジオで岡崎体育さんから「何色のイメージですか?」と聞いて、「黄色かな」と答えていたのも印象的だった。曲のイメージを色で聞く岡崎体育さんの感性も素敵だなとその時に思った。
MVの最後のカットで、関ジャニ∞が夜空を見上げていた。流れ星が流れたのを見た時、まさしく夜空に星だ!と感動した。
「今」のMVが収録されているディスクを入れると、メニュー画面は夜空を見上げるシーンが使われていて、MVを再生し終わると青空を見上げる関ジャニ∞の背中になっている。メニュー画面が2パターンあるという遊び心も素敵だった。
コード進行などを自分で読み解く力がないために、謎は解けないままだけど、
たとえばもし、星=“スター”というテーマをニセ明さんがどこかに隠してくれているとしたら。“願い”がそこにあるとしたら。
想像の域ではあるけれど、そんな想像を出来ることがうれしかった。
この作品は、「音楽文」の2019年8月月間賞・入賞を受賞した神奈川県・三澄まろさん(24歳)による作品です。
夢に気がついてしまった心のざわめき - 関ジャニ∞「今」
2019.08.16 18:00