入賞
中野聖華 (22歳)
Brian the Sun―ロックンロールポップギャングは君だ
 高校生活は私にとって輝くような青春そのものだった。周りの友人みんなが好きだったし、先生も人として信じられる大人たちばかりだった。教室の窓から見える銀杏並木、近所のスーパーの美味しい唐揚げと優しい笑顔のおばちゃん、部員のためにボトルに注ぐ水、職員室での先生との談笑、スカートを少し長くする服装検査、秘密の話で持ち切りの掃除の時間。すべてが私の宝物だった。人はよく失ってから気づく大切さなんて言うけど、私の高校時代にこんな言葉は存在しなかった。リアルタイムで高校時代の煌めきと儚さを痛いほど感じていた。この時間は永遠には続かないとわかっていたのかもしれない。
 やっぱりそうだった。大学生活はもはやため息も出ないほどの空虚さだった。
高い学費を払っている割に、ただただ教授がレジュメを読んでいるだけの授業には愕然とした。お前ら給料泥棒かよ、と叫びたくなった。レポートのコピペは禁止と言っているけど、じゃあ、お前の講義はどうなんだ、去年のコピペじゃないのか、と問いたくなった。..."なった"というか、まさにその葛藤が現在も進行中である。
 新しい友達だって沢山できると思っていたけど、酒に溺れ、適当にレポートを書き、早起きできないから出席カードだけ代わりに出しておいてと言う友人たちに失望して、人間関係が急に煩わしくなった。自分の人生を無駄にしているような気がしてならなかった。

 Brian the Sunというバンドと出会ったのは、ちょうどそんな思いがピークに達した、大学2年の秋だった。スペースシャワー列伝JAPAN TOUR 2015に出演する中の1バンドという認識で彼らのことを知った。ライブに行く前にがっつり曲を聴いて予習をしておきたい私は、すぐにYouTubeで検索を始めた。

《くずれてゆく無機質に(中略)/枯れ果ててゆくモノクロに》/"13月の夜明け"

 冷たい感じがした。何事にも冷めきってしまっている、けれど音楽だけは信じていたい私とその冷たさがリンクした。所謂、"今どきの"バンドとは違うなぁと、なんとなく感じた。でも、あくまでもこの時はなんとなくで、Brian the Sunが自分にとってものすごく大切なバンドになるとは思っていなかった。多分、当時の私はライブを見ないとそのバンドの良さはわからないと頑なに持論を展開していたからだと思う。今も生の現場が一番だという気持ちは変わらないのだが、最近は某音楽チャンネルのMV特集やラジオで新しい音楽に触れることも多くなった。ライブはこれまで通りワクワクする場所であると同時に、自分が見つけた音楽を確かめる場ともなった。

 2015年3月1日。この年一発目のライブだった。もちろん気合は十分。今後の邦楽ロックシーンを担う4組が高松MONSTERに集結していた。Brian the Sunはその中で二番手として登場した。彼らは私たちに何も強要しなかったし、派手なアピールもしなかった。けれど、今自分たちがやっているライブを今までで一番いいライブにしようとしている、その熱はじりじりと伝わってきた。この日、森良太は最後の曲に入る前、こんなことを言っていた。

「今日は、4バンドそれぞれのファンがいると思います。僕は、ブライアンのことを一番好きになってくれなんてことは言いません。みなさん、それぞれの中の一番を大切にしてください。僕たちは、二番目とか三番目でも、とても嬉しいです」

 バチバチにやり合っているはずの列伝で、何故この人はこんなことを言うのだろうと疑問だった。わからなかった。けれど、その後に演奏された"白い部屋"の揺れる音と共に、この言葉は何日も私の頭の中を占領し続けた。来る日も来る日も、あのバンドが伝えたかったことってなんなんだろう、一番大切ってなんなんだろう、とこれでもかというくらい考えた。ライブに行くことか、CDを買うことか、グッズを買うことか、SNSをこまめにチェックすることか...どれも間違いではないだろう。しかし私は頭の中で、大切にするとは、そのバンドのことを好きだと胸を張って言うことだと結論づけた。
 バンドマンがライブ中に口に出す言葉は予定調和ではない。その空気に応じて、その瞬間しか聴けない言葉がふと出てくる。私はいつもその一瞬を逃すまいと、ライブの高揚感に負けて忘れてしまわぬようにと、必死にその言葉を反芻している。この日もそうだった。でも実際、その言葉はほとんど覚えていないのが現実だ。

 純粋に彼らのことがもっと知りたくなって、レンタルショップへ行った。けれどそこに、彼らのCDはなかった。いつもの私なら、出会ったばかりのバンドのCDがなくても、なぁんだ、ないのかと言って、出会いを自ら諦めてしまうことが多い。本当に来るかもわからない次のライブに行ってよかったら買おうかな、なんてのんきなことを思っている。でもこの時は違っていた。とにかくBrian the Sunのことが知りたかった。すぐにアルバムを2枚買った。
 森が紡ぎ出す生々しくも、繊細な歌詞にどっぷり浸るのに時間はかからなかった。聴き進めていくと、森良太という人物が鬱蒼とした世界とそれを取り巻く何かに、どうにかして立ち向かおうと葛藤するような歌詞が多くあると感じた。例えば、こんな歌詞がある。

《あいつらの声は透明だ/だから何も届かないし(中略)/出来損ないのプライドを/体中に貼り付けてる(中略)/いっそのこと死んでしまえ/そしたら何も怖くない》/"Noro"

 はっとしてしまうほどストレートな歌詞。声に出してしまったら何かが壊れそうな気がした。それでも森は歌う。流行りとか型とか、そんなことはどうでもいいのだ。時代と同じ色には染まらない。一見、いろんなことに反発しているだけのようにも見えるが、そういうことでもない。

《平凡な日々と思考と音楽を/愛せるのもまた 君がいるから》/"チョコレートブラウニー"

 甘いチョコレートブラウニーとリンクする、優しい愛を歌った歌詞。なんでもない日を特別にしてくれるのは、紛れもない"君"だ。君なのだ。思えば私の高校生活もそうだった。これといって特別なことはない、普通の女子高生だった。けれど毎日キラキラと笑っていた。それは、私にとっての"君"がいたからなんだろうと思う。森にとっての"君"は誰なんだろうと考えた時に、真っ先に思い浮かんだのは、メンバーである白山治輝、小川真司、田中駿汰だった。彼自身は分析なんぞされたくないことは重々承知しているのだが、それでは私が伝えたい想いを詰め込んだ文章が成立しないので、ここらへんでさらりと書いておく。森良太という人間はどちらかというと、人が嫌いなわけではないのに、うまく交わることのできない、不器用で理解されないタイプの人間だと思う。そんな人間がフロントマンを務めているのだ。少しでも針がずれてしまったら、深く突き刺さってしまいそうになる。けれど、3人はいつも森が生み出す世界の中にちゃんといて、同じステージに立つ演者として支え続けている。「バンドってええもんです」とふとSNSで呟く森の真意には、いつもこの3人がいるに違いない。

 2016年6月1日。Brian the Sunはメジャーデビューした。華々しくデビューしましたという感じではなく、朝になれば空が明るくなるのと同じくらい自然にメジャーデビューを果たした。デビュー曲となった"HEROES"は意外にも爽やかで明るい一曲だった。歌詞も空を見上げたくなるほど真っ直ぐだ。空はもちろん青空。梅雨明けの青い空が待ち遠しくなった。何度躓くことがあっても、その花を咲かせるまで進んでいくしかないんだという強い決意をひしひしと感じた。カップリングの"Sunday"も《君が笑う それが 救いになるんだよ》という言葉が木漏れ日のように心を晴らす、思わず頬が緩んでしまうような一曲だ。メジャーデビューをして新しいBrian the Sunに出会い、また好きな曲が増えた。

 ライブで彼らはあまり表立って自分たちの野望を吐き出さない。けれど、何かがぷつっと切れてしまったように空気が変わる瞬間が必ずある。
彼らは特別なことをいつものライブの中に自然と組み込む。
私はいつもの生活の中に彼らの特別な楽曲たちを組み込む。
美しい旋律に乗せてきわどい感情をぶつけ、思わずこちらが目を背けてしまいたくなるような真っ直ぐさで猟奇的な目をオーディエンスに向けてくる森良太。獲物を狙うように見つめるその目にはなんの迷いもないし、強制するように訴えかけてくるようなこともない。でもそれはメッセージがないということではなくて、オーディエンスへの自発性を求める、そんな目なのだと思う。自分たちが信じている音楽をかき鳴らすという揺るぎない想いを胸に、今日も4人はどこかで音を生んでいる。

 《気に入らないことばっかりだ》と太い導火線に火をつけて"それ"が爆発するその瞬間を、怯えるのではなく今か今かと待ち望みながら、私もステージに負けじとフロアで吠える。世の中なんて気に入らないことばっかりだ。自分の思い通りにいくことなんてそうそうない。どいつもこいつもなんなんだと頭を抱える毎日。そんなことばかりを考えている鬱蒼とした大学からの帰り道でも、耳から"ロックンロールポップギャング"が聴こえてくれば、行き場のない苛立ちが少し和らぐ。いつも聴いていても、森良太が生み出す危うさには慣れない。これから先もできることならば、慣れたくない。ずっとずっと。

 2016年7月2日。私は松山サロンキティの小さな楽屋でBrian the Sunと対面した。なぜそのようなことが実現したのかというと、現在私は、大学へ通いながらバイトをしているラジオ局で、そのライブ好きを買われて10分程度のコーナーのパーソナリティーをしているのだ。そのコーナーのための取材だった。大学に通う意味は卒業を間近にした今でも見出せていないのだが、いつしかこの番組をするために私の大学生活はあるのではないかと思考の方向性をシフトするようになった。その時のことは正直緊張しすぎてほとんど記憶がない。けれど、ICレコーダーに残っている私のうわずった声は彼らの声と重なり、確かに会話をしていた。妄想ではなかったようだ。
 帰り際、私は当時リリース発表もされていなかった新曲"Maybe"のサンプルCDをいただき、早速それを車で聴きながら帰路に着いた。直接話をすることができた上に、新曲を聴けるなんて...こんな特別な夜を私が経験してしまっていいのだろうかと思った。明日から、何日もアンラッキーな日が続いてしまうのではないかと心配になった。けれど、深夜の街灯もない田舎道に溶け込む音色が本当に優しくて、温かくて、もう自分にとっての2016年7月2日は幻なんじゃないかと思うほどだった。

 2017年1月11日。Brian the Sunはメジャー1stアルバム"パトスとエートス"をリリースする。今はまだ見ぬ(聴かぬ)その音を、この音楽文大賞の最優秀賞・入賞作品が発表される頃には毎日のように聴いているんだろうなと思うと、ドキドキする。きっと森良太という一人のバンドマンが生みだす言葉に何回聴いても不意をつかれて、圧倒されながら、私はいつからかその詞を口ずさむようになっているだろう。そうして私は、いつも通りの生活にほんの少しの特別を加えて今日も真っ直ぐに進んでいく。