9月26日より、レッド・ツェッペリンのキャリア初の公認ドキュメンタリー映画『レッド・ツェッペリン:ビカミング』が公開される。
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今作は、これまで一度も映画やドキュメンタリーの製作を許可したことのなかったレッド・ツェッペリンが、初めて公認した奇跡的な作品だ。貴重な体験となるこの映画を、ぜひIMAXで味わってほしい。
今回は、その特別な作品を生み出した監督バーナード・マクマホンと、共同脚本&プロデューサーのアリソン・マクガーティに話を訊いた。ドキュメンタリー製作は「愛があってこそ」と言われる世界だが、二人の言葉からはまさにその愛と情熱が伝わってきた。
ジョン・ボーナムの音声発掘、監督としての適性を試されたジミー・ペイジとの初対面、IMAX用の映像と音響へのこだわり――わずか20分という時間だったが、Zoom越しに熱く語ってくれた。
映画を観る前でも後でもぜひ読んでみてほしい。
──今作は何より4人のメンバーだけが語って進んでいくことが大きな特徴ですよね。しかしジョン・ボーナムが話してるインタビュー音源がなかったら成立しませんでした。最初からあると分かって、企画を進めたのですか?
バーナード・マクマホン(以下バーナード)「存在すること自体知りませんでした。でも、絶対見つかると信じていたんです」
──ええ、そうなんですか?!
バーナード「信じていたんです。必ずあると」
──それはすごいですね。
バーナード「実は、ロバート・プラントにも、『バンド自身の言葉で語りたい』と伝えた時、『でもジョンをどうやって入れるんだ? 彼の言葉なんて2文以上聞いたことがないよ』と言っていました。でも私たちは『必ず見つけてみせます』と答えたんです。それ本当に見つけました。
この映画の大きな特徴は、これまでのレッド・ツェッペリン関連の作品とは違い、ファンが一度も耳にしたことのないジョン・ボーナムの声が入っているという点です。これほどしっかりと彼が語るものは前例がありません。さらに言えば、グループの存命メンバーたちも、自分たちの物語について伝記作家などに本格的に語ったことはこれまで一度もなかったんです。つまり、今回が彼らにとって初めての“語り”なんです。
私たちは映画製作に入る段階でそれを理解していましたし、何よりテレビ映画ではなく劇場映画として、きちんとスクリーンで成立する作品を作りたいと考えていました。だから、『彼ら自身の言葉で語ってもらう』ことを重視しました。
ただ、この映画の背景では、175本もの取材インタビューをしています。彼らを知る存命の人々。一緒に学校へ通った人や、共に働いた人、交流のあった人──あらゆる人に話を聞きました。そうした声が、この映画に映し出されるものを大きく形づくっているんです。つまり、メンバーたちの言葉としてどの部分を採用するかは、そうした膨大なインタビューを踏まえて決めていったのです」
アリソン・マクガーティ(以下アリソン)「例えば、バーナードと一緒にウエスト・ミッドランズへ行きました。そこはロバート・プラントとジョン・ボーナムが暮らしていた場所で、今もロバートが住んでいるところです。ロバートは自分の学友たちの電話番号をすべて教えてくれて、私たちはその人たちと何度も会いました。そうして、彼の人生全体を知っている人々と親しくなることができたんです」
バーナード「彼らが通っていた学校にも行きましたし、かつての家を訪ねたり、彼らが通っていたパブで飲んだりもしました。友人たちとも交流しながら、その世界の中で暮らすように過ごしたんです。ロンドンでも同じで、ジミー・ペイジが通っていた学校の仲間たちと時間を共にしました。私たちは、彼が友人たちと一緒にギターを弾いていた居間にも足を運びました。そうやって本当に彼らの世界の中で過ごしたんです。ですから、この映画の中で私たち自身が訪れていない場所は、ほとんどないと思います。スクリーンに登場する場所には、すべて実際に足を運びました」
──ジミー・ペイジに映画の説明しに行く時はナーバスになりましたか? 初めてメンバー全員に会ったとき、どんな会話をされたのでしょうか。
バーナード「そうですね、とても緊張しました。なにしろ彼らと話す前に、何か月も何か月も準備を重ねてきたわけですから。私たちは脚本を書き、ストーリーボードを作り、まだ誰も見たことのない映像素材を探し出す、そんな作業をすべて済ませてから、ようやく彼らに連絡を取ったんです。だからこそ緊張しました。しかも当時は、世界中の誰もが『彼らはすべての映画のオファーを断ってきた』と理解していたわけですから。彼らは、過去55年間、あらゆる映画のオファー、どんなドキュメンタリーもすべて断ってきたわけです。
だから、私たちも『99%の確率で断られるだろう』という前提で動いていました。これまでは企画書に目を通すことさえなく断られてきたんです。だから『絶対に無理だ』と思っていました。でも私とアリソンは、どんなことでも事前の準備が大切だと強く信じていました。だから取りかかる前に、どう進めるかを細部まで考え抜いていました。そして幸運なことに、それこそが今回のようなプロジェクトに臨む唯一の方法でもありました。
ジミー・ペイジに会いに行ったときのことですが……彼と席に着いたとき、私は『2時間かけて映画の内容を一つひとつ説明する』と思っていました。私たちはすべて暗記して臨みました。メモは一切なく、持っていたのは写真を収めた一冊の本だけ。映画の各場面を示すイメージをまとめたもので、それ以外のすべて──日付も名前も場所も──頭に入れていました。だから時々、ジミーが私たちをテストように質問してくることがあって……。
例えば私がこう言うと『ここが、テリー・リードがシンガーを推薦して、あなたがロバート・プラントが当時のバンドで歌っているのを観に行った場面ですね』と」
アリソン「彼が、『じゃあ、そのときロバートが所属していたバンドの名前は何?』と聞いてきたんです」
──(笑)。
バーナード「『Obs-Tweedleです』と答えると、彼は『当たりだ、続けて』と言いました。そんな感じでした」
アリソン「そしてまた別の時には、彼がこう言ったこともあって……」
バーナード「彼はたくさんのバッグを抱えて現れたんです。私はてっきりサンドイッチか何かを買ってきたのかと思いました。
バッグをドアの横に置いて、プレゼンが始まって1~2時間経った頃、私が『5月にこういうことをされましたよね』と言ったんです。すると彼は『いや、それは6月の頭だったはず。まあ確認してみよう』と言って、ドアのそばに置いていたバッグのところへ行ったんです。そして中身をテーブルに広げたら、そこには1963年までさかのぼる日記がぎっしり入っていました。
映画の中でめくって見せているあの日記です。彼はそれを持ってきていたんです。つまり、その会合がうまくいけば、次の段階に進む準備はできていたということなんですね。あの時は、準備を徹底した2組が出会った瞬間だったと思います。もし私たちがあれほど準備をして知識を積み重ねていなかったら、あのバッグが開けられることはなかったと思います。中身を見ることもなかったでしょう。けれど、彼が『これは本気だ、興味深い』と思った瞬間にバッグが開かれて、『じゃあ一緒に見てみよう』となったんです」
アリソン「そこからは楽しい時間になって、本当にいいミーティングになりました」
バーナード「ええ、とても楽しかったです。そして数日後、彼から電話があって『パンボーンに来ないか』と誘われました。映画でもインタビューを受けているシーンがある、あの川沿いの自宅です。私たちは彼と一緒に、通勤客に混じって郊外電車に乗って行ったんです。到着すると彼は、『この家を売って以来、一度も戻ってきたことがない』と話しました。たしか1971年頃に手放したんだと思います。それが実に約50年ぶりの訪問だったんです」
アリソン「そうして私たちは2時間ほど、町のあちこちを一緒に巡りました。彼にとっては、そのすべてが何十年ぶりの再訪だったんです」
バーナード「まるで『ようこそ僕の世界へ。ここで、すべてが起きたんだ』と言っているようでした。彼は私たちと時間を共にし、歩きながら自分の人生を辿りたかったのだと思います。実際に暮らしていた場所や歩いていた道を案内してくれて、さらに『彼にギターを教えた人物』、ロッド・ワイアットにも紹介してくれました。一緒に学校に通っていた頃のことです。私たちはその学校の校庭に行き、彼とロッドがアコースティック・ギターを弾いていた場所に立ちました。そこでロッドが当時弾いていた曲を、実際に私たちの前で奏でてくれたんです。
だからこの映画は、本当に『彼らの世界を生きる』ようにして作られた作品なんです。
そして同時に、音楽についての映画でもあります。なぜなら、音楽において本当に大切なのは、まず何よりも音楽そのものだからです。音楽がなければ、誰も彼らのことを知らなかったでしょうし、関心を持つこともなかったでしょう。
つまり音楽こそがすべてであり、この映画の95%を占めています。もちろん、その後の時代を描く映画がもし作られるなら、そこではまた別の要素が入ってくるでしょう。けれど、この作品においては音楽が中心なんです。実際のところ、『音楽そのもの』を描く映画というのは作るのがずっと難しいし、コストも高くつきます。
なぜなら、話すのは安上がりですが、音楽はとても高価だからです。つまり、この映画は観客に“最も高価なもの”を与えているんです。人々の休暇がどうだとか、そういうゴシップ的な話は本を読めば済みますよね。
でもこの映画が描いているのは、もっと本質的なこと──つまり『物事をどう成し遂げるか』という物語なんです。でもこの時点では、これは音楽の物語なんです。この映画が伝えているのは、『どうやって夢を実現するか』ということなんです。
たとえば東京の子どもが『何かを成し遂げたい』と思っていても、親から『会計士になれ』と言われるかもしれない。でもこの映画は、その夢を実現するために何をしなければならないか、どれだけ努力しなければならないか、情熱をどう追いかけなければならないかを描いているんです。
映画の最後、私はジミーにこう言いました。『これは最後の質問です。インタビューの締めくくりに、13歳の自分自身、そして世界中の13歳の少年少女たちに向けて、何かメッセージをください』と。すると彼はカメラを見つめてこう言ったんです。
『もし君の内側に何かがあるなら──それが内なる命だ。ひたすら努力を重ねなければならない。でも、目標が真っすぐなら、夢を実現することはできる。私はそう信じている。なぜなら私自身が、実際にできたのだから』。題材はレッド・ツェッペリンですが、実際のところこれは人生の物語なんです。忍耐についての。まさに『やり抜くこと』についてのメッセージです。
それはすべての人に向けた呼びかけでもあります。『外に出て人と会おう。スマホやパソコンばかりに向かっていないで、人と関わり、学びなさい』と。自分が興味を持つことなら何でもいい。とにかく学び、その分野で活動している人にできるだけ多く会うこと。それが大切なんです」
──私は、ニューヨークのIMAXシアターで観たのですが、IMAX上映に耐えうる音声や映像をできる限りクリアに仕上げるのは大変でしたか? それとも比較的スムーズに進んだのでしょうか。
バーナード「それは、素晴らしい質問ですね。簡単ではありませんでした。本当にとても難しい作業だったんです」
──例えば、ザ・ビートルズの作品のようにAIを使われたのでしょうか?
バーナード「いいえ、AIは一切使っていません。むしろ、私たちはAIとは正反対のやり方をしています。
映像に関して言えば、映画でご覧いただくフッテージは、オリジナルのプリントを徹底的に探し出して入手しました。オリジナルのネガを探し出し、それを見つけるまでは決して妥協しませんでした。ですから、常にコピーではなく、オリジナルから作業するようにしたんです。
音声についても同じです。バンドのスタジオ録音を耳にするとき、実際に聴いていただいているのは1969年当時のオリジナル音源なんです。実際に使っているのは当時のレコード盤です。マスターテープと盤を比較したのですが、盤には独特のエネルギーが宿っているんです。当時はテープからディスクへ落とす際に、EQ処理など膨大な作業が行われていて、最終的に人々が耳にし、熱狂したのはそのディスクでした。
私たちはその中でも最高のコピーを探し出しました。ニューヨーク盤やロンドン盤など、エンジニアによって音が異なるので、20種類、30種類と比較することもありました。その中で最も優れた盤には、本当に刺激的で圧倒的な魅力があるんです。ですから、皆さんが耳にするのは、何の加工もされていない、当時本来聴かれるべきだった純粋な音です。1969年1月、世界最高の再生環境で鳴らされる、最良のバージョンを体験していただいているわけです。つまり当時以上に良い音でありながら、同時に“当時のまま”でもあるのです。
さらに、彼らに先立つブルースシンガーやリトル・リチャードなどの音源についても同じです。1958年の音は1958年のまま、1964年の音は1964年のまま再生されます。そして1968年にツェッペリンが登場したとき、そのサウンドがそれまでの時代からどれほど異なっていたのかが、はっきりと体感できるのです。
これこそが私たちが音で試みていることの一例なんです。それはちょうど、ハワイの木から採れたパイナップルをその場で半分に切って、お皿にのせて差し出すようなものです。まさに純粋そのものなんです。この『純粋さ』を実現するのは簡単ではありません。正しい要素を集めて、それをきちんと移し替える必要があるからです。
だからこそ、これは音に対する独自のアプローチなんです。私たちが行ったのは、映画館のスピーカーシステムに合わせながらも、当時のモノラルやステレオの特徴をそのまま残すということです。音を部屋いっぱいに広げているだけで、決して加工はしていません。だから観客が体感しているのは──まさに時間旅行なんです。あの時代そのものの音の中にいるわけです。こんなふうに体験できる場所は、世界のどこにもありません」
──本作では、ほとんど丸ごと1曲を使ったライブ映像も多く登場しますよね。そうした構成もとても珍しいと思いました。さらに驚いたのは、初期のキャリアのライブ映像まで見つけてこられたことです。本当に貴重です。演奏が始まった途端に子どもたちが耳をふさいでしまうようなシーンなど、あのカメラアングルの映像をよく見つけましたね。
バーナード「そうですね、私たちは新しいタイプの映画を作ろうとしていました。自分たちの目指したのは、アーカイブ映像やインタビューを使いながらも、まるでドラマ仕立てのミュージカルのような作品にすることだったんです。参考にしたのは『雨に唄えば』や『ロッキー・ホラー・ショー』のような映画でした。それにフレッド・アステアの作品や『サウンド・オブ・ミュージック』なども、この映画を作るうえでの大きな手がかりになりました」
アリソン「私たちは1930~40年代の古典的な映画から大きな影響を受けていて、その時代のモンタージュの手法を多く取り入れています。もうひとつの特徴は、歌詞そのものを物語を進める装置として使っていることです。いまおっしゃった“Communication Breakdown”の場面では、ちょうどバンドが認知されようと苦闘しているところで、その曲が流れるんです。実際コミュニケーションがブレイクダウン(=意思のすれ違い)しているわけですからね」
バーナード「それで、そしてアメリカでレコード契約をつかもうとする場面では“Your Time Is Gonna Come”(=君の時代が来る)が響く。つまり、劇中の曲はすべて、物語の展開に呼応する歌詞を持つものとして選んでいるんです」
アリソン「それから物語が進み、彼らが成功を収めてアメリカを横断していく場面では、“Ramble On”が流れます。まるでミュージカルのように、歌詞がストーリーを前へと運んでいくんです」
バーナード「そして映画のラスト、彼らが世界最大のバンドとなって帰国し、これまで無視されてきた母国でようやく正式に評価されるロイヤル・アルバート・ホールのシーンでは“What Is and What Should Never Be”を歌います。この曲の歌詞は、新しい扉を開くこと、その先には良いことも悪いことも待ち受けているかもしれないという内容で、まさに“パンドラの箱”のような歌なんです。つまり、その後に起こる出来事を暗示している。
すべての曲は、往年のミュージカルと同じように、そこに置かれる理由があって選ばれています。そして観客はそれを理屈ではなく感覚で受け取るんです。歌詞が物語に寄り添っているからこそ、観客は自然にバンドの語ることを理解できるんです。
観客は頭で考えるのではなく、感覚でそれを受け取ります。歌詞がミュージカルのように物語にぴたりとはまっているからこそ、バンドが語っていることを自然に消化でき、そして音楽を聴くことができるんです。
そして何より大切なのは、音楽というものが、おそらく世界で最も強力な表現手段のひとつだということです。そして、観客には自分自身で音楽について考える機会が与えられるべきだと、私たちは思っています。この映画の中では、誰もその音楽が良いとか悪いとかを断定しません。彼らが何をしていたかは語られますが、どう感じるべきかを押しつけることはないんです。多くのドキュメンタリーは『どう思うべきか』を語ってしまいますが、私たちはそうはしませんでした」
──最後に、ジョン・ボーナムの声をメンバーが聴いている時、笑顔になっているのがとても印象的でした。あのシーンの撮影は実際どのようなものだったのでしょうか? ボーナムの声を聴かせる場面を撮るときの雰囲気について教えてください。
バーナード「ジョン・ボーナムの声を聴かせる場面も、映画全体の手法の一部だったんです。つまり、この作品は制作段階から『彼らを50年前の感覚に戻す』ことを目的に設計されていました。
ですから、彼らが話している間、画面には映っていませんが、実際には50年以上目にしていなかったものを手渡したり、見せたりしていたんです。彼らの感情は、こちらが提示するものによって呼び起こされているんです。たとえばジョン・ポール・ジョーンズに当時通っていた教会のことを尋ねたときには、その教会の写真を見せました。その教会は1964年か65年に取り壊されてしまっていて、彼がその場所を目にするのは実に60年ぶりだったんです。
だからこそ、彼らが映画の中であれほど感情を込めて語っているのは、私たちが提示することで“時間旅行”のように当時へ連れ戻されているからなんです。ジョン・ボーナムの声を聴かせた場面が特に感情的なのは、それが彼らのバンド仲間──グループ全体のリズムを担っていた存在──だからです。しかもその音声は出来事からわずか1年後くらいに収録された非常に初期のインタビューで、若き日のジョン・ボーナムが語っている声なんです。
彼らはその声を通じて、若き日のジョンに再び出会い、同時に自分たちがどんな存在だったのかを思い出す。それはまさに、自分たちの原点を呼び覚ます体験なんです」