ブライアン・ウィルソン、逝去。享年82歳。ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、スプリングスティーン、レッチリ、グリーン・デイなどが追悼。

ブライアン・ウィルソン、逝去。享年82歳。ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、スプリングスティーン、レッチリ、グリーン・デイなどが追悼。

ビーチ・ボーイズのリーダーであり、主要なソングライターとして20世紀ポップミュージックに革命を起こし、ロック史上最も繊細な天才のひとりと称されたブライアン・ウィルソンが逝去した。享年82歳。

訃報は、ご家族がインスタグラムを通じて公表した。


「最愛の父、ブライアン・ウィルソンが逝去したことを、深い悲しみとともにご報告します。

今は言葉も見つかりません。

どうか、今深い悲しみの中にある私たち家族のプライバシーを尊重していただけますように、お願いいたします。

同時に、私たちのこの悲しみが、世界中の多くの方々と分かち合われていると感じています。

Love & Mercy(愛と慈しみを込めて)」

また、ビーチ・ボーイズとしての追悼メッセージが発表されている。ボブ・ディラン、ポール・マッカートニーなどから寄せられたコメントを紹介し、最後にバンドメンバー個々の追悼コメントを掲載する。


「今日、世界はひとりの天才を喪いました。そして、私たちにとっては、いとこであり、友人であり、長年の音楽的冒険を共にした仲間を失って深く悲しんでいます。
ブライアン・ウィルソンは、単にビーチ・ボーイズの中心人物だっただけではありません。彼は私たちの『音そのものの魂』でした。彼が夢見たメロディ、ひとつひとつの音に注ぎ込んだ感情は、音楽の歴史を永遠に変えてしまったのです。

その比類なき才能と唯一無二の精神は、私たち自身を含む世界中の人々の人生に、サウンドトラックのように寄り添ってきました。
私たちはともに、『アメリカンドリーム』の象徴でもある、楽観、喜び、そして自由の感覚を音楽として届けてきました。夏や無限の可能性を信じさせてくれるような音楽を。

彼の旅立ちには、本当に胸が張り裂けるような思いです。
けれど、私たちが共に作り上げた音楽と、彼が何十年にもわたって世界中に届けた喜びは、これからも変わらず生き続けていくでしょう。

彼の歌、そして私たちの記憶の中で、ブライアンの遺産は永遠に息づきます。
この困難な時期に、ブライアンのご家族と愛する人たちへ、心からのお悔やみを申し上げます」

その他ボブ・ディラン、ポール・マッカートニーからブルース・スプリングスティーンなど次々に追悼を発表している。

⚫︎ボブ・ディラン


「今日、ブライアンの訃報を聞き、この何十年もの間、彼の音楽を聴き続け、その天才に心から敬服してきた日々を思い出した。

どうか安らかに、親愛なるブライアン」

⚫︎ポール・マッカートニー


「ブライアンには、説明しがたい音楽の天才的直感がありました。

彼の曲がこんなにも胸に迫るのは、その神秘的な才能のせいです。

彼の頭の中で鳴っていた音を、私たちに分け与えてくれたとき、それは同時にシンプルで、そして驚くほど輝いていました。

彼のことを心から愛していましたし、そのまばゆい光のような存在のそばにいられたことは、人生の特権でした。

ブライアン・ウィルソンのいないこれからを、私たちがどうやって生きていけるのか……“God Only Knows(神のみぞ知る)”。

ありがとう、ブライアン。ーーポール」

⚫︎ブルース・スプリングスティーン

「ブライアン・ウィルソンは、ポップミュージック史において最も創造的で革新的な声の持ち主であり、まるで異世界からの贈り物のようなハーモニーの感覚を備えた天才でした。

そして同時に、アメリカが誇る最強のバンド、ビーチ・ボーイズのヴィジョナリーなリーダーでもありました。

もしビーチ・ボーイズが存在しなかったら、“Racing in the Street”も生まれていなかったでしょう。
ビーチ・ボーイズ最後のアルバム『That’s Why God Made the Radio』に収録された “Summer’s Gone” を聴いてみてください――そして涙してください。

さようなら、マエストロ。
Eストリートから、心からの感謝と愛、そして尽きることのない敬意を込めて。

ブルース・スプリングスティーン」

“Summer’s Gone”


⚫︎キャロル・キング

https://www.facebook.com/CaroleKing/posts/1292788025538155
「ブライアン・ウィルソンは、私にとって友人であり、ソングライティングの面では兄妹のような存在でした。

私たちにはどこか似た感性があったと思います。
たとえば、彼が“Good Vibrations”の《あああ〜》の部分に入れた4 over 5のコードと、
私が“I'm into Something Good”で使った同じコード進行。
それについて一度話したことがあって、どちらが先だったかを笑いながら議論したんです。
でも最後には、『どっちでもいいよね』という結論にたどり着きました。

ブライアンを失ったことは大きな喪失ですが、
彼の音楽が私たちのそばに残っている――それは本当に幸運なことだと思います」

⚫︎エルトン・ジョン


「ブライアン・ウィルソンは、初めて会った日からずっと、私にとても優しくしてくれました。

2003年のトリビュート・コンサートで、彼が“Someone Saved My Life Tonight”を歌ってくれたときのこと――
あの瞬間は、私にとって本当に特別なものでした。

彼のソロ作品に私が参加したこともあれば、彼が私のアルバム『The Union』で歌ってくれたこともありました。
そして、私のエイズ基金のイベントでも演奏してくれたのです。

私は、彼という人間そのものを深く愛するようになりました。
そして私にとって、ブライアンはソングライターとしての最大のインスピレーションでした。

彼はまさに音楽の天才であり、革命児だった。
ソングライティングの常識を根底から覆し、音楽の未来を形作った人。

本物の“巨人”でした」

⚫︎リンゴ・スター


「ブライアン・ウィルソンに神の祝福を。ご家族のみなさんに、平和と愛を。

リンゴより 😎✌️🌟❤️🥦🌈🎶🍒🎶☮️」

⚫︎ショーン・オノ・レノン


「僕のことをよく知る人なら、ブライアン・ウィルソンの訃報を聞いて、どれほど心が打ちひしがれているか分かってくれると思う。
これほどまでに僕に影響を与えた人は、他にそう多くはいない。彼に会い、少しでも時間を共に過ごせたことは、本当に幸運だったと思っている。

ブライアンはいつも優しく、惜しみなく心を分け与えてくれる人だった。

彼は僕たちの“アメリカのモーツァルト”。

この世のものとは思えない、唯一無二の天才だった」

⚫︎ロニー・ウッド


「なんてことだ。ブライアン・ウィルソンとスライ・ストーンが同じ週に…。俺の世界は、今深い喪に服している。悲しすぎる」

⚫︎グリーン・デイ(ビリー・ジョー・アームストロング)


「ブライアン・ウィルソン、ありがとう。“I Get Around”を何年か前にカバーしてレコーディングしたんだけど、これまでシェアできずにいた。俺が1番好きな曲なんだ❤️」

⚫︎レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(フリー)


「昨日は1日中スライ・ストーンを聴いていた。

そして今日、俺はブライアン・ウィルソンとビーチ・ボーイズを聴いている。

わずか2日間で、この時代でもっとも深く、美しいアーティストふたりが、俺たちのもとを去ってしまった。
1950年代から音楽を作り続け、信じられないほどの美をこの世に残した人たち。
でも――俺たちが知っている限り、ふたりともどこかで深く傷ついていた。

この世界の残酷さは、きっと彼らにとっても重すぎた。
それは今を生きる俺たちにとっても、同じことだと思う。

それでも彼らは、その苦しみと混沌をすべて抱えながら、それを『光』に変えた。
この世でもっとも美しい形にして、音楽として私たちに届けてくれた。

光だけが、闇を追い払うことができる。

この混迷した世界のなかで、俺たちは彼らの音楽に耳を傾ける。
俺は耳を傾ける。
そしてその瞬間、俺たちはひとつになるんだ。

彼らがしてくれたことは、深く、そしてとてつもなく大きな意味を持っている。
この世界に、光をもたらしてくれたこと。
この、混乱と残酷さに満ちた世界に。

俺の人生を変えてくれたこと。
希望をくれたこと。
どこかに、自分の居場所があると感じさせてくれたことに、
俺はふたりに、心から感謝している。

橋をかけよう。光をともそう。
それしか、道はない。

橋をかけよう。光をともそう。
それしか、道はない」

レッチリのビーチ・ボーイズ、カバー



⚫︎ビリー・コーガン


「今日はとても悲しいニュースが届きました。

ビーチ・ボーイズの伝説、ブライアン・ウィルソンの訃報です。

史上もっとも偉大なソングライターのひとりであり、
あるいは、1950年代以降のアメリカで、最も偉大なソングライターだったと言ってもいいかもしれません。
ガーシュウィンやコール・ポーターと肩を並べる存在――まさにアメリカ文化にとっての大きな喪失です。

僕は1度だけブライアンに会うことができました。
それは本当に名誉なことでした。
そして最近では、彼の娘カーニーにインタビューさせてもらったばかりでした。

そして彼女は――カーニーは、本当に美しい言葉でお父さんのことを語ってくれました。
もし機会があったら、ぜひそのインタビューを観てみてください。

これは宣伝でもなんでもなくて、ただ、あの時の彼女の愛情と敬意に満ちた語りが、本当に胸を打つんです。

それは、きっと多くの人が感じていることでもあると思います。
彼の伝説は、時に――彼という『父親』の存在をすら越えてしまうような瞬間がある。
もちろん、彼が悪い父親だったわけではまったくなくて、ただ、それほどまでに彼が音楽家として到達した高さというのは、想像を超えているんです。

だから今日は、ほんのひととき、立ち止まって――
ウィルソン・ファミリーに『God bless you(神のご加護を)』と伝えたかった。
ブライアンを失ったことは、本当に大きな損失です。

でも、もちろん僕たちには、あの音楽が残されています。
そしてブライアンは、今ごろカールや……もちろん、デニスと一緒にいることでしょう。

とにかく、みんなに愛を送ります」

またバンドメンバーも個別に追悼を発表。

⚫︎アル・ジャーディン

「ブライアン・ウィルソン――

僕の友人であり、クラスメートであり、フットボールのチームメイトであり、
ビーチ・ボーイズのバンドメイトであり、魂の兄弟でもあった君へ。

君が僕たちの人生にいてくれたこと、それ自体が奇跡のような祝福だった。
いま、いちばん心が慰められる思いは、
君がいま、カールやデニスと再会して、またあの美しいハーモニーを歌っているんだろうな、ということ。

君は、控えめで優しくて、でもとてつもなく大きな存在だった。
そしていつも僕を笑わせてくれた。

君の音楽は、これからもずっと祝福され、讃えられ続ける。
ブライアン、君がいなくなるのは本当に寂しい……。
でも今夜、僕の中には――あの太陽のあたたかさが、確かに残っているよ。☀️🎶❤️」

⚫︎マイク・ラブ


「今日、世界はひとりの天才を失い、

そして僕は――血を分けた従兄弟であり、音楽のパートナーであった存在を失いました。

ブライアン・ウィルソンは、ビーチ・ボーイズの「心臓」だっただけじゃない。
彼は、僕たちの“音そのものの魂”でした。

子どもの頃、僕のリビングルームで初めて一緒に歌ったあの瞬間から、
彼には何か、この世のものとは思えない何かがあると感じていました。
その音楽的な才能は、まさに比類なきものでした。
彼が思い描いたメロディ、彼がひとつひとつの音に注いだ感情。
ブライアンは、音楽の流れそのものを永遠に変えてしまったんです。

僕たちの旅路には、輝きも、痛みも、笑いも、複雑さも、そして――
何より、愛があった。
家族にありがちな、浮き沈みはあったけれど、
僕たちはいつだってお互いを愛し続けてきたし、
ピアノに向かう彼や、スタジオでの突発的なひらめきには、最後までただただ驚かされ続けてきました。

彼の唯一無二の芸術性と、僕たちの共作は、
楽観と喜び、自由というアメリカンドリームを音楽として世界に届けることができました。
それは、永遠の夏や、尽きることのない可能性を信じさせてくれる音楽だった。
そんな創造の空間を彼と共有できたことは、僕の人生最大の祝福のひとつでした。

太陽の輝き、サーフィン、そしてティーンエイジドリームを信じさせる音楽。

それを世界に届けられたのは、僕たちの誇りです。
 
“Pet Sounds”、“God Only Knows”、“In My Room”、“Good Vibrations”、“The Warmth of the Sun”――
そして他にも、彼の魂が込められた何百もの音楽によって、僕の人生は永遠に変わりました。

彼は、脆くて、情熱的で、ユーモアがあって――そして、まさに唯一無二の存在でした。

妻ジャクリーヌと僕は、心から悲しんでいます。
彼女はこの長い物語の数えきれない章を、僕と共に歩んでくれました。
ふたりで、ブライアンのご家族、子どもたち、そして彼の人生と才能に心を動かされたすべての方々に、愛と祈りを送ります。

ブライアン、君はかつてこう歌ったよね。
『もし僕たちがもう少し年をとってたら、どんなに素敵だろう』って。

――今、君は、時を超えた存在、になった。
どうか安らかに眠ってほしい。
君がこの世にもたらした、天上の音楽に包まれながら。
君の魂が、あのファルセットのように高く、自由に羽ばたきますように。

ハーモニーをありがとう。思い出をありがとう。そして、愛をありがとう。

“死は癒せない喪失を残し、
愛は奪えない記憶を遺す。”

君がいなくて、僕はこれからずっと寂しい。
愛する従兄弟、ブライアン。

——マイク・ラヴ」

心よりお悔やみ申し上げます。
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