由薫にとって「夜」とは、もちろん日が沈んだ時間帯のことも指すが、それだけではない。彼女が「夜」を通して表現するものとは、本格的に音楽活動を始める前、自分自身を整理するために心の内を吐露するように音楽を作っていた姿勢のことであり、「ちゃんとした人で在らなきゃいけない」などの社会の縛りや理性から解放されて自分の心を剥き出しにできる瞬間のことでもある。
最新EP『Wild Nights』のテーマは「原点回帰」。由薫は2022年6月のデビューから、ドラマ主題歌からのヒット、全世界配信されるアニメ主題歌の書き下ろし、「SXSW2024」への出演、スウェーデンでのソングライティングなど、実にさまざまな出来事を目まぐるしく経験してきた。アルバム『Brighter』完成前には、書きたい歌詞やメロディが枯渇してしまって怖くなった時期があったとも明かしてくれていた。そんな彼女が「なぜ自分は音楽をやりたいのか」を見つめ直したのが、『Wild Nights』の制作からツアーファイナルまでのタームだったと言えるだろう。
由薫に初めてインタビューしたとき、「10代の多感な時期は、自分を修正する作業をずっとしていた」という発言が出たことを、この日思い出していた。「修正」という言葉には自分への否定も含まれてしまうから、強烈に驚いた記憶がある。それほどまでに彼女はずっと、根から真面目な人なのだ。自分がどうなりたいのか、どう在るべきかと真面目に向き合って、ときに自分で自分を苦しめながらも、絶対に自分を見失わないように、自分の価値観で自分の人生を進めることを大切にしている人だ。それは10代の多感な時期を乗り越えて、アーティストとして進化し続けている現在もそう。
そもそも『Wild Nights』とは、エミリー・ディキンソンの詩『嵐の夜よ!(Wild nights! Wild nights!)』から引用したもの。大学生の頃にディキンソンの作品と出会ったことが音楽の道に進むことを決めたきっかけであったと、ライブの終盤に由薫は語った。「大学生のときに、人にどう思われるかなとか、音楽が届かなかったらどうしようとか、いろいろ思っているときがあって」と語り始め、生前わずか10篇のみの詩を発表し、亡くなったあとに千篇以上もの詩が引き出しから発見されたディキンソンの生き様に、当時の由薫は勇気づけられたという。「自分がやりたいから詩を書いて引き出しに溜め続けた」というディキンソンの姿勢を知って、「自分の心の声を世に残していきたい」という気持ちだけで音楽をやっていいのだと思った、あの瞬間に立ち返ろうとしたのが『Wild Nights』の作品とライブだった。
最初の挨拶では、「平日の中、ようこそお越しくださいました。来ていただいたからには私と一緒に素敵な、そして激しい嵐の夜を、味わってもらえたらいいなと思っています」と話したが、この日はその後も、ライブで人と人が繋がること、音楽が人を結びつけてひとつの場に集まることの尊さを、由薫は何度も口にしていた。その喜びこそ、「なぜ自分は音楽をやりたいのか」の原点のひとつであることを今一度噛み締めるように。
「ひとりでお惣菜とか買って、体育座りしながら食べるときありますよね? もしくは、かつてはホールケーキをみんなでシェアして食べていたのに、ワンカットのケーキを泣きながら食べるような夜。いろんな夜がみんなにあると思います」という言葉からは、オーディエンスにとってのこの春から踏み出した新たな日々、もしくは長い夜が明けて新しい何かが始まりそうな日々を、由薫が祝福するように“勿忘草”をアコースティックギターとピアノを主体としたアレンジで届けた。そこからテンポを落としてピアノと歌だけで始めた“星月夜”も、圧巻。やはりこの曲の歌、メロディ、アレンジが持つ音楽的なエネルギーは巨大である。
由薫がこのライブの最後に選んだのは、“ツライクライ”と“Feel Like This”。ディキンソンの「A word is dead(ことばは死んだ)」の詩を朗読したあと、「私にとって音楽って、リリースした瞬間に初めて生き始めるんですよね。こうやってライブをしているときに、本当に私の音楽が生きているって感じるんですよ。だから今日は私にとってもっとも生きているって感じる夜を、みんなとシェアできていることを本当に嬉しく思います」と語った。その言葉のあとに歌った“ツライクライ”は、歌の中の《君》がまるで由薫にとっての「音楽」を指しているように聴こえてきて、音楽と向き合う中でツラくなる瞬間があったとしても、音楽への愛は終わらないことを歌い上げているようだった。“Feel Like This”もそう。ライブや音楽の中でしか味わえない「この気持ち」を求めて、この先も音楽と向き合い続けるのだと、由薫自身が音楽を愛する理由の原点を取り戻していたように見えた。
最後には“brighter”が弾き語りで届けられた。歌とアコギしか鳴っていないのにいろんな音が浮かんでくるようなマジカルさがあり、由薫の歌がもっとも丸裸なまま美しく大きく響いた瞬間だった。由薫から「歌とは声帯の振動で、音とはただの振動。それだけのことなのに、なんで音楽に夢中になっちゃうのだろうと考える」という話もあったが、私たちは音楽を通して、「ただの振動」の奥にある人の心に触れている。由薫は、理性などから解き放たれた夜に湧いてくるような剥き出しの心を、いかに振動に乗せるのかを追求し続けているアーティストだ。
由薫にとって『Wild Nights』は、音楽に対する「好き」や「ただ自分の心を残したいから歌うのだ」という気持ちさえあれば、嵐のような日々も愛せるようになるはずだということを表現する作品でありツアーだった。彼女の最新のモードを、またインタビューで聞かせてほしいと思う。(矢島由佳子)
●セットリスト
「YU-KA Tour 2025 “Wild Nights”」
2025.4.17 恵比寿LIQUIDROOM
01. Dive Alive
02. Sunshade
03. Silent Parade
04. Fish
05. Mermaid
06. ミッドナイトダンス
07. 勿忘草
08. 星月夜
09. Clouds
10. Rouge
11. 1-2-3
12. ツライクライ
13. Feel Like This
Encore
14. Crystals
15. もう一度
16. brighter
●ライブ情報
「由薫 弾き語りツアー 2025 “UTAU”」
2025年8月15日(金) 広島・音楽喫茶 ヲルガン座
2025年8月16日(土) 愛媛・萬翠荘
2025年8月17日(日) 香川・高松市美術館 講堂
2025年8月22日(金) 京都・フォーチュンガーデン京都
2025年8月23日(土) 愛知・TT" a Little Knowledge Store
2025年9月6日(土) 宮城・cafe Mozart Atelier
2025年9月13日(土) 熊本・tsukimi
2025年9月14日(日) 福岡・LIV LABO
2025年9月20日(土) 石川・もっきりや
2025年9月21日(日) 大阪・島之内教会
2025年9月28日(日) 東京・スコットホール
提供:ユニバーサル ミュージック
企画・制作:ROCKIN'ON JAPAN編集部