①物語と共に進化するオープニング映像
『いだてん』がこれまでの大河と比べていかに革新的なのか、それはオープニング映像を見ただけでも語ることが出来る。大友良英が手がけた疾走感のある音楽、ファンファーレと共に駆け込んでくる、斬新な横尾忠則デザインの題字、山口晃が描いた東京の俯瞰図……と、日本屈指のクリエイターの才能が結集した贅沢な映像だが、それだけではない。物語の時代や内容に合わせて、背景の地図やコラージュされた当時の映像が徐々に変化していくのだ。例えば関東大震災後の回では、それまで浅草の街の象徴であった凌雲閣(浅草十二階)が消え、煙に包まれた街の俯瞰図に変わっていて、作中の登場人物と同様、私も街の景色が一変してしまった事実に心を痛めた。また物語の後半では、戦後復興の象徴である東京タワーが登場し、今の東京の街並みはこの時代に出来上がったのかと胸が熱くなる。
私が確認しただけでも、恐らく十数パターンはあったのではないかと思う。これだけ作品に合わせてオープニング映像を緻密に作り変えたドラマは他にあっただろうか。
そして、映像の終盤、過去から現代に移り変わる東京の街を主人公が駆け抜けていくシーンでは、私たちが今見ている風景や日常が、物語に登場する人物と地続きであることを想像させる。本当に毎回一瞬たりとも目が離せない、心動かされるオープニング映像だった。
②立体的に折り重なった脚本
脚本を担当したのは、NHKでの執筆は連続テレビ小説『あまちゃん』以来となる宮藤官九郎。宮藤の作品を複数見てきた身としては、今回の脚本もとにかく素晴らしかったの一言に尽きる。まず、偉人や歴史的人物の「一人」の人生を描いてきた今までの大河ドラマとは異なり、「二人」の人生を前編と後編に分けて一人ずつ描いていく過程に、一貫して「もう一人」のパラレルワールドが存在し、その「三人」を軸に物語は進んでいく。どういうことかと言うと、前編では日本で初めてマラソン選手としてオリンピックに参加した中村勘九郎演じる金栗四三、後編では日本にオリンピックを招致した阿部サダヲ演じる田畑政治の二人が主人公とされているが、噺家・古今亭志ん生の「三人目の存在」(若いころを森山未來、近代をビートたけしが演じた)が、『いだてん』を語る上で欠かせないのだ。古今亭志ん生は若いころと現代を行き来しながら前編後編で常に登場し、さらにドラマ内の「語り」も担当しているため機能的にもとても重要な役割を担っている。第1話を見た人の中には、なぜ落語が出てくるのか?と違和感を感じた人も多いだろうが、この伏線は第39話「懐かしの満州」で回収される。金栗四三と古今亭志ん生が、あるいはマラソンと落語が、「富久」という落語の演目をもって図らずも繋がる瞬間だから。いだてんファンの中でこの回をベスト回に挙げる人も多く、例に漏れず私もその一人で、涙を流しながら「ここか~~!」と頷きしばらく放心状態になった。ちなみに10月13日に放送されたこの回は、裏で日本中を熱くさせた「ラグビーワールドカップ」日本代表がスコットランドに歴史的な勝利をしベスト8に進出したあの試合が放送されており、色んな意味で神回となった。
そのほかにも、金栗四三と田畑政治は一見それぞれ別の時代の主人公として分けて捉えられるが、これまた最重要人物の日本でのオリンピック開催に奮闘した役所広司演じる嘉納治五郎によって、物語中盤のこの二人の近付いたり離れたりするなんとも言えない絶妙な距離感が作られていたことも挙げておきたい。
立体的に物語が作られる傾向は宮藤作品にはよく見られるが、今回の『いだてん』は登場人物が多く年月も長い分、その全員が少しずつ少しずつ重なりあい影響しあい、物語を、ひいては時代を作ってきたというところに「つくりもの」ではないリアルを感じた。
③テーマは「敗者」と「継承」
宮藤自身も以前ラジオで語っていたが、『いだてん』は「敗者」を描いた物語である。それは主人公の二人ですら、ある意味「敗者」だった。日本人選手として初めてオリンピックに出場した金栗四三は、メダルを期待されていたにも関わらず、ストックホルム大会ではまさかの棄権。オリンピック招致に尽力し、見事東京五輪を叶える田畑政治も、開催の2年前に事務総長の座を失脚させられてしまう。
しかし、この作品の魅力は「敗者」が描かれたことだけではない。彼らの見た夢が次の世代に「継承」されていく過程が描かれていることだ。金栗四三のマラソンの夢は弟子の小松勝(仲野太賀)、そしてその息子の五りん(神木隆之介)に。田畑政治の東京五輪への熱い思いは、部下の岩田幸彰(松坂桃李)に嘉納治五郎の形見とも言えるストップウォッチと共に受け継がれる。
私が特に感動したのは、この作品で描かれた女子スポーツの歴史である。マラソン選手を夢見ていたが、震災で命を落としたシマ(杉咲花)、初めて女子アスリートとしてオリンピックに出場しメダルを獲得するが、24歳の若さでこの世を去った人見絹枝(菅原小春)。彼女たちの夢が、後に水泳で金メダルを獲る前畑秀子(上白石萌歌)や、64年の東京大会で金メダルを獲る、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボール選手たちに引き継がれていく。
「女に体育は不要!」、「嫁入り前の娘が足を出して走るなんて!」と世間から言われていた時代から、「自分たちのためにスポーツをやる」と胸を張って言える東洋の魔女の時代まで、彼女たちのスポーツを愛する心が、いかに女性を取り巻く社会や歴史を変えていったのか。その視点で『いだてん』を振り返るだけでも胸が熱くなる。
『いだてん』は、志半ばで夢破れたり命を落とした「敗者」が、次の世代にバトンを渡しながら、スポーツの未来や日本社会そのものを変えていった、まさに壮大な歴史ドラマだった。もちろん彼らは、皆それぞれ偉業を成し遂げた人たちに変わりはないのだが、自分と同じように挫折し、悔し涙を流し、それでも前を向く姿が描かれていたからこそ、私たちは深く共感し一緒に涙しながら並走出来たのではと思う。
④史実と創作の絶妙なバランス
『いだてん』の脚本が優れている、ということはすでに前段でも触れたが、史実と創作のバランスが絶妙であったことも伝えたい。宮藤脚本らしい突飛なセリフやエピソードが次から次へと飛び出し、「さすが宮藤さん、大河でも自由だなぁ」なんて思っていたら、実は史実だったということが、番組終了後に放送される「いだてん紀行」や公式ツイッターで明らかにされ、さらなる驚きと感動を呼び起こす、という現象が『いだてん』ではほぼ毎回のように起きていた。
例えば、生田斗真演じる三島弥彦が率いるスポーツ同好会、天狗倶楽部。作中では暑苦しくチャラい若者集団として描かれるが、番組終了後の「いだてん紀行」では、実際の彼らが上半身裸でポーズをとる当時の写真が映し出され、「意外とドラマの彼らと同じ感じだったのかも……」と思わされてしまう。
また、実際の映像が差し込まれるからこその説得力も大きい。最終回のラストには金栗四三が54年もの時を経て、ストックホルム大会のゴールテープを切る実際の映像が放送された(競技中にコースを外れて行方不明となったため、今もどこかを走り続けているとされていた)。ゴール後に彼は「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、六人の子どもと十人の孫に恵まれました」と語ったという。嘘みたいな本当の話で、まさに「事実は小説よりも奇なり」だ。
『いだてん』の制作スタッフは、リオ五輪前から5年もの歳月をかけて、気が遠くなるほどの膨大な資料を集めて読み解き、史実を繋ぎ合わせながら物語を作っていったらしい。これだけでもスタッフの並々ならぬ熱量を感じるのだが、これらの実話や本人の言葉を宮藤が創作を交えながら生き生きと描いていくので、見ているこちらはどこからどこまでが史実なのかわからない。毎回放送終了後にSNS上で繰り広げられる、「いだてんウォッチャー」同士の答え合わせが楽しくて仕方がなかった。意外と知らないことが多い近代史だが、『いだてん』は私たちに「ついこの間までこんなに面白い人がいた」という事実を教えてくれた。