ソニック・ユースのキム・ゴードンがアダム・ヤウクを「素晴らしいラッパーでリリシストだった」と追悼


3年に及ぶがんとの闘病の末、5月4日に他界したビースティ・ボーイズのMCAことアダム・ヤウクについてソニック・ユースのキム・ゴードンは「素晴らしいラッパーでリリシストだった」と偲んでいる。

「一度“ブル・イン・ザ・ヘザー”の歌詞がすごく好きだと言われたことがあって。あの曲を聴いてたっていうだけで本当に驚かされたんだけど。あれだけ素晴らしいラッパーでリリシストだったのが、わたしにわざわざそれを言ってくれるというだけでものすごくわたしには大きなことだった」

キムはアダムの死は「とてつもなく悲しい出来事だ」と語り、まだ生後6か月だった自身の娘ココを連れてアダムと3人で東京をほっつき歩いた時の思い出を振り返っている。

「わたしとココと一緒に東京をぶらつくのがヤウクには楽しかったみたいで、あの頃はまだほかには誰も子供とか産んでなかったからちょっと珍しいことだったのね。ほかのみんなは東京でやれるいろんなことをすべてクリアーするのに大忙しだったから」

アダムは2009年7月に耳下腺がんにかかっていると診断され、それ以来、治療と闘病に専念してきていた。

アダムはマイク・Dやアダム・ホロヴィッツことアド・ロックらと1979年にビースティ・ボーイズを結成。当初はブラック・フラッグらに影響されたハードコア・パンクとして活動していたが、やがてヒップホップを試みるようになり、86年のファースト『ライセンスト・トゥ・イル』でビルボード・チャートで初めて1位に輝いたヒップホップ・グループとなった。その後も『ポールズ・ブティック』や『イル・コミュニケーション』など、バンドはこれまで8枚のアルバムを世に送り続けてきた。

バンドは最新作『ホット・ソース・コミッティ・パート2』を昨年リリースしたが、この作品はもともと2009年にリリースが予定されていたものの、アダムの発病によりリリースが延期されたものだった。アダムの遺族は妻デチェン・ウェングドゥと娘のテンジン・ローセルとなる。


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