ビリー・アイリッシュとレディオヘッド、"everything i wanted"と"Karma Police"、その類似性と決定的な相違は何か

ビリー・アイリッシュとレディオヘッド、"everything i wanted"と"Karma Police"、その類似性と決定的な相違は何か
ビリー・アイリッシュの新曲”everything I wanted”のMVは、ビリーと兄フィネアスが乗った車が夜の街をひたすら真っすぐに走り続けて、やがて朝焼けの浜辺に出てそのまま真っすぐ海に中に入って沈んでいく…というもので、それはそれは素晴らしい出来なのだが(ビリー・アイリッシュ本人が監督している)、あれを観てレディオヘッドの”カーマ・ポリス”を思い出したのって僕だけだろうか。

トムが乗った車が夜の道をただひたすら真っすぐ走っていくというのはビリーと同じで、その後”カーマ・ポリス”の方は、やがて前方に逃げる男が現れて、男が追い詰められたところでその男に車を燃やされて終わる。

どっちも、いわゆる「悲劇的」なエンディングなのだが、観ていて感じるエモーションはまったく違うものだ。

”カーマ・ポリス”は、自分の中の罪の意識と被害者意識の両方を暴かれて自罰的な気分になるが、ビリーの新曲では海に沈んで車内に浸水してくる映像を観ながら穏やかな多幸感のようなものに包まれる。

どちらも、車の中で不可避的に死んでいくのだが、それが浮かび上がらせるエモーションが全く違う。

それはあたかも、この世界が本質的に孕んでいる不幸や悲劇性に対する「態度」の違いだという気がする。

同じ暗い時代の通低音を鳴らしていても、そこで奏でるメロディーが違う、そういう感じ。

このビリー・アイリッシュのオプティミスティックな暗さこそが、2020年代への扉を開けたのだと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=EgBJmlPo8Xw&feature=emb_logo
https://www.youtube.com/watch?v=1uYWYWPc9HU

2月7日発売のロッキング・オンの10(テン)年代特集にはビリー・アイリッシュとレディオヘッドがいろんな象徴的な意味合いで名前が出てくるが、その理由がはっきりとわかった気がする。(山崎洋一郎)
山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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