3月15日に観たジャック・ホワイトのライブは、ここ最近観たライブで最も大音量だった。サポートアクトのおとぼけビ〜バ〜もあわせて、エンターテインメント精神とともにロックンロールとブルースを怒号させる。最新作『ノー・ネーム』のナンバーからザ・ホワイト・ストライプスやザ・ラカンターズの曲まで、ジャックの声は甲高く場を煽り、ギターとオルガンがソロを分け合う。しまいにはエディ・ヴェダーが登場してのニール・ヤングのカバー。ジャックは、笑い顔を作らずに笑っていた。
ジャック・ホワイトは、常に「ストイック」や「完璧主義」のイメージとともに語られてきた人物だ。しかし、それは実像とどこまで重なるのだろう? ライブ前に行われたインタビューで、彼が「イメージ」をどう引き受けているかを、訊いてみようと思った。同時にそれは、生身で向き合うライブをどう捉えているか、「イメージ」で動く今のアメリカの状況をどう感じているかを、問うことにつながった。想像以上にウォームでジェントルな様子で、彼は答えてくれた。
(インタビュアー:伏見瞬 rockin'on6月号掲載)
●ツアーが長く続いていますが、体調や気分はいかがですか?
「いや、もう本当に、今回のツアーは今までのキャリアの中でも間違いなくベスト級のパフォーマンスができてるよ。自分でもちょっと驚いてるくらいなんだ。長年ミュージシャンとしてライブをやってきて、自分の人生の半分以上をこれに捧げてるけど、今回のツアーは特に手応えがハンパないんだ。音がガンガンに直に響いてくる感じがあって、それが本当にゾクゾクするし、めちゃくちゃロックンロールなんだよね。今回、意図的に小さなバーとかクラブとかを中心にまわらせてもらってるんだけど、大正解だった。自分にとってそういうサイズの空間がいちばんしっくりくるし、演奏しててテンションが上がる。やっぱり2000人、3000人を超えるような規模になると、完全に別物になる。観客との距離感も変わってくるし、あの“ビビッ”とくる感覚が薄まるんだよね。ロックンロールの濃さというか、熱量というか、そういうものが会場の広さとともに希釈されていく感じがある。自分の曲は、そもそもでっかいアリーナで鳴らすようには作られてないんだよ。例外は“セヴン・ネイション・アーミー”だけじゃないかな。他の曲はもっと直接的で、タイトな場所で鳴らしてこそ意味を持つと思ってる。ステージ上の端から端までガンガン自由に歩けるくらいの距離感がちょうどいいっていうか、それこそMC5とか、ザ・ストゥージズのやってたようなライブのノリだよね。だから、今回のツアーはすごく自分らしいツアーになってるし、本当に充実してるよ」
●今回は東名阪だけでなく、広島でもライブを行いましたね。どういう経緯で実現したんでしょうか?
「もしライブの全スケジュールを自分の都合で組んでもいいんなら、アルバムを出す度に日本でツアーをしたいくらいなんだよ……しかも、東京と大阪だけじゃなくて、本格的な日本ツアーがしてみたい。今回、ようやくその夢が一部だけど実現したんだ。できれば東北とか、もっと北のエリアにも行きたかったけど、次回以降に持ち越しだね。海外、特にアジアをツアーでまわるってなると、機材を持って移動するだけでもとんでもない費用がかかってしまう。自分の音楽がまだあまり浸透してない地域も多いから、実現には本当に多くのハードルがあるんだよ。2年前にアジアツアーをやったときは、フィリピン、韓国、タイ、ベトナムをまわった。自分にとっては念願の初アジアだった。その実現までに25年もかかったし、しかも赤字だった(笑)。でも、それでもやりたかった。日本に来るときは、今まではフジロックやサマソニのようなフェスと抱き合わせでやるのが定番になってたけど、それだと制約が多くて自由度が下がるんだよね。今回の日本ツアーみたいに自分の裁量で小さなハコをまわる体験は本当に久しぶりで、それだけに特別なものだったよ。広島でのライブも、すごく意味のある夜だった。でも、アフリカでも中東でも演奏したことないしさあ……25年もやっているんだから、どっかのタイミングでやろうと思ったら普通にできたはずだって思うだろ? それが、なかなかそうはいかないんだよ!」
●あなたは、コンセプチュアルな作品作りをしますよね。ライブはあなたにとって“コンセプトを決めた遊び”ですか? それとも“自由を目指す場”ですか?
「ライブは、常にチャレンジだよ。毎回緊張するし、特に今晩みたいに東京でのライブだったりすると、もうめちゃくちゃ気合いが入ってる。プレッシャーもある。今回はおとぼけビ〜バ〜とつしまみれという最高のバンドに前座をお願いしてるけど、それだけ特別な夜だってことなんだ。セットリストは事前にまったく決めてない。どの曲を最初にやるか、何曲やるか、最後にどの曲をやるか、全部その場で決めてる。ステージに立ってみないと本当にわからない。毎回、会場の空気を読んで、その場でバンドに『次はこれやるぞ!』って声をかけて進めていくやり方なんだ。普通だったら、あらかじめ決まったセットリストがあって、照明も演出も全部事前に決めてあって、イントロが流れたら決まった映像が始まって……みたいな流れだろ? 自分はそういうスタイルがあんまり得意じゃない。むしろ、その場その場で即興で決めていく方が、自分には合ってるんだ。もちろん、全部決まってた方がはるかにラクだよ。衣装だってスタイリストに任せればいいし、演出もスタッフに任せたら自分の負担は減る。でも、自分は全部背負うことを選んでる。それが僕にとっての“やりがい”なんだよ。ライブは、毎回自分にとって新しい挑戦なんだ」
●あなたには「ストイック」「完璧主義」というイメージがあると思います。ご自身ではどう受け止めていますか?
「自分にとっては褒め言葉だし、そんなん嬉しいに決まってるよ! 今はさすがになくなったとはいえ、まだ若かった駆け出しの頃は『どうせアイツは何も考えちゃいないし、全部どうでもいいと思ってるんだろ?』みたいな目で見られているんじゃないかと心配だったんだ。バンド界隈で、マジで定職につかずに、ただ女にモテたくてドラッグをやって派手に騒ぎたいがためにやってるみたいなやつらが決して少数じゃなくいたからね。自分はそういう連中と一緒にされたくなかった。音楽っていうのはもっと真剣に向き合うべきものだと思ってたから。ギターだって、たまたまこの音にぶち当たったわけじゃない、渾身の一発を叩き出そうとしてる。『適当に楽しくやってたらそれでいいじゃん』みたいな気持ちは一ミリたりともない。今だってずっとそうだし、自分が死ぬまで一生変わらないんだろうね……。だからストイックと思われるのは嬉しいよ。でも、完璧主義者かどうかと訊かれると、それはちょっとおこがましいというか、自分では一切そうは思わない。スタジオでのレコーディングなんて、マジでめちゃくちゃクイックにやる。『ノー・ネーム』の曲なんて特にそうで、ものすごいスピードで完成させた。時間をかければかけるほど、曲の“魂”が抜け落ちてしまうと感じるんだ。もちろん、何度も録り直して完璧なテイクを目指すこともある。でも、そうすると『これ、本当に魂こもってる?』と思っちゃう瞬間がある。ミスしててもいい。求められてもいないタイミングでシンバルが入ってきても、間違ったギターの音を弾いちゃったりしても、気にならないタイプなんだ。むしろ、ミステイクにこそ演奏者の気概が出るし、そこにロックンロールの魅力があると思ってる」
●2010年代はロック、インディロックにとって逆風の時代だったと思います。その中で、あなたは2010年代も人気を保ち、新たなファンを獲得し、今に至るまで充実した活動をしているように見えます。あなた自身にとって、あの時代はどうでしたか?
「自分にとってはThird Man Recordsを2009年に立ち上げたことが、大きな転機だった。あれがあったからこそ、2010年代もモチベーションを失わずに活動を続けてこれたんだ。当時はまだレコード盤なんて見向きもされてなかったけど、自分たちはそこに可能性を感じてた。今では世界中でレコードが再評価されてるけど、その動きに自分たちが貢献できたなら、すごく光栄なことだと思ってるよ。あと、複数のバンドをやっていたのも大きかったね。ホワイト・ストライプスだけじゃなくて、ザ・デッド・ウェザーもやってたし、ソロもやってた。そうやって表現の場が複数あったことで、自分は常に新しい角度から音楽と向き合うことができた。もしホワイト・ストライプス一本でやってたら、たぶんどこかで煮詰まってたと思うよ。2010年代には既に活動開始から10年経ってたから、新人みたいな新鮮なものとして扱われる時期はとっくに過ぎてた。みんなもう分かった気になって『いや、もうよく知ってるし、今さら新作をチェックするのもな』って空気が漂ってたと思うんだ。でも、色々なプロジェクトをやることで、違う角度から自分のことをジャッジしてもらう場ができた。それによって、自分はハードな時期もずっと続けていくことができたんだと思う」
●オリヴィア・ロドリゴのような若い世代のアーティストがあなたをリスペクトしています。そのことについてはどう思いますか?
「嬉しいことだよ。自分がやってきたことが誰かのインスピレーションになってるなら、素直に嬉しい。でも、自分が今一番何に燃えるかといったら、やっぱりThird Man Recordsでの活動なんだ。誰もが気軽にアートを作れる場所を提供したいと思う。演奏できる場、詩を出版できる機会、写真を現像できるスペース……最近ではフェンダーと一緒にギターやアンプも作ってるけど、それも他のアーティストの創作を後押しするため。自分の名前を前面に出したいわけじゃない。“ジャック・ホワイト”って名前に過剰に執着すると、逆に足かせになったりするからね。アーティストとしての自分がどうこうっていうより、他の人が自由にアートを生み出せるようにサポートすることの方が、自分にとっては重要なんだ」
●今は、政治や経済がイメージや安易なストーリーによってすべて動いてしまっている時代だと思います。
「まさにその通り」
●特にアメリカ社会はその傾向があると思いますが、あなたはどのように感じていますか?
「マジでキツいよ。トランプだのイーロン・マスクだの、気が滅入るようなことが山積みで。この先自分たちの生活がどうなってしまうのか、来週はどんなクレイジーな展開になってるのか、誰もが混乱して不安を抱えてる。その上、世界のあちこちで戦争が起こってて今この瞬間にも人々が死んでて、まわりでは高齢者が医療ケアを打ち切られる話題について持ち切りになってて。無関係ではいられないけど、最近は朝起きてニュースを見るのをやめたよ。一日中イライラして終わっちゃうから。イーロン・マスクがナチスの敬礼をしたってニュースを目にしたときなんて、何を見せられてるのか分からなかったよ。昔なら一発アウトだったことが、今じゃ『まあそれくらいなら可愛いもんでしょ』みたいに扱われる。完全に神経が麻痺してる。今のアメリカって、そういうレベルにまで来てる」
●そうした社会状況が、音楽にも影響を及ぼしていますか?
「もちろん。とはいえ、それは自分が普段関心を注いでることのほんの一部だけどね。ボストンのライブで“コーポレーション”の歌詞を変えて、トランプやイーロン・マスクについて触れた。完全にその場の即興だったけど。自然に口をついて出たんだ。後で一ヶ月くらい経ってからネットニュースになって広がったけど、自分としては単に瞬間的なリアクションだった。でも、もちろん無関心ではいられないけど、政治に全てを捧げることはできない。あまりにネガティブすぎるから。わざわざネガティブな空間に自分をおいて、全エネルギーをそこに注ぐことはできないよ」
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