この選挙でも変えられなかったものがある

それは、「官僚は優秀である」という前提である。
官僚は優秀で、数字と構想を持っている。
政治家(というか自民党だけど)は長らくそれに甘えてきて、
結果、政治は彼ら官僚の主導するものとなってしまった、
というようなことだ。
だから、今回の政権交代でも、最大の懸念は
「とはいえ、本当に政治家(この場合は民主党)は、官僚と対峙できるのか」という不安となっている。
あんなに凄い連中に彼らは勝てるのか?と。

どうなのだろう?
官僚って優秀なんだろうか?
これだけの借金を積み上げて、
当初予算からいつのまにかびっくりするぐらいに膨れ上がった公共事業をたくさん組んで、
年金の記録も満足に(というか全然だ。まだこないよ、ねんきん特別便!)できず、
こまめにヘソクリ作ったりして、
新しい大臣の挨拶もだらだら聞いてるみたいな、
それじゃたんなるダメ社員、ってことじゃないのか?

「官僚は優秀だ」というフレーズを繰り返すたびに、
当の(ダメなはずの)官僚もまた勘違いする。
天下りとかいう言い方もどうなんだ。
われわれの意識が、
あの人事院総裁(急に辞めてやんの)の不適な表情を許している。
というか、そうさせてしまっている。

けれど、だからといって、
「おまえらダメ社員なんだからしっかりせえ!」といって
どうにかなるんであれば、世の民間企業はみな大黒字である。
ここはだから、世のすべての民間企業がそうであるように、
「お互いダメな点もあるんだから、未来だけはちゃんと共有して、
いっしょにそこに向かって行こうね」ということだと思う。