KICK THE CAN CREW、復活――。約14年ぶりの新作に備えて、その歴史と未来を検証


KICK THE CAN CREWの新曲ミュージックビデオ“千%”が公開され、またニューアルバム発表の告知、「復活祭」と銘打たれた9月7日の武道館公演、13年ぶりの全国ツアー開催といったビッグニュースが立て続けに報じられてから、2週間が過ぎた。各地フェスへの出演も続々と決定している。嬉しいと言えば、もちろん嬉しいに決まっているのだけれど、これまでの「またKICK THE CAN CREWに触れることができる」という喜びとは、何かが違っている。どうしようもなくソワソワする。そのことを考えていた。

周知のとおり、LITTLE、MCUKREVAの3人はROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008のKREVAのステージで久々の共演を果たしてからというもの、たびたびKICK THE CAN CREWの楽曲を披露する機会があった。「908 FESTIVAL」におけるKICK THE CAN CREW名義出演では、とっておきの出演者というよりもむしろフェスの起爆剤な役回りを買って出る場面などもあったし、3人の活躍は機会こそ少ないが決して珍しいものではなくなっていた。なのになぜ、今回は自分でも異常だと思えるほどにソワソワするのか。

それはズバリ「アルバムリリースが決定している」という理由ゆえだ。かつて個々に活動していたキャラ立ち3本マイクがメジャー進出して、実質的な活動中に音源リリースを行っていたのは2001年春から2004年初頭までの3年にも満たない期間である。しかしその期間に彼らは猛烈な勢いでリリースを続け、現象と呼ぶべき時代の変革をもたらした。それこそ、飲み会ついでのカラオケの場面などでは「あ、ラップとか聴くんだ」という連中までもがこぞって《上がってんの? 下がってんの?》と大盛り上がりしていたのである。

その現象には反発もあった。ヒップホップ文化というものが、そもそもアンダーグラウンドなストリートカルチャーに根ざしていたから、という理由が最たるものだろう。キャッチーでメロディアスなトラックの上で、華やかにラップを繰り広げる3人(2002年末には『NHK紅白歌合戦』にも出演)の姿は、確かに異端のスタイルだった。正直に告白すると、僕もKICK THE CAN CREWの魅力に気づくのに少し時間がかかった方だ。彼らがヒットを飛ばす過程で、「なるほど」と目から鱗が落ちるような体験を味わってきたのである。

最年長メンバーでありながら、およそラッパーのイメージとは掛け離れたルックスでフワフワと摑みどころのない個性を振りまき、しかしその声はとんでもないパンチ力を誇るMCU。優れたリリシスト/ラッパーとして、若きモラトリアムとブルースを体現していたLITTLE。そして、向上心漲るメッセージを迸らせながらトラックメイカーとしても大車輪の活躍を見せていたKREVA。彼らは、めくるめくマイクリレーをデザインすることで個々のラップの可能性を無限に押し広げ、借り物ではない自分たちの世代の思想とカルチャーを広く発信してみせた。レコード産業も好調だった時代に、メジャーの音源リリースという流通経路を利用して、それを成し遂げたわけだ。

そして時代は変わった。ポップミュージックは音楽配信/動画サイトで触れるのが普通で、アーティストたちはライブ活動に収益の重きをおく時代。そんなときにKICK THE CAN CREWは約14年ぶりのアルバムを制作し、世に放とうとしている。3人が不敵な微笑みを浮かべて始まり、KICK THE CAN CREWのヒット曲タイトルの数々が散りばめられた“千%”に触れれば、ただ単に止まった時間が動きだす以上の「今とこれから」を強く感じることができる。

KICK THE CAN CREWがヒット曲を飛ばし、時代を象徴する存在になることを、20年前に予想していた人がどれだけいただろうか。若手ラッパーたちがフリースタイルMCバトルのTV番組を通じて凌ぎを削り、ヒップホップの新たな風を吹かせることを、どれだけの人が予想していただろうか。音楽に乗った言葉はいつだって、誰にも見えていなかった未来を語り始める。多分、僕はKICK THE CAN CREWのニューアルバムにそれを感じてソワソワとしている。最初から積載量オーバーのトラックで再び走り出そうとしている3人が、何を見つけてどこへ向かおうとしているのか。そのことが気がかりで仕方がないのだ。(小池宏和)