Base Ball Bear・小出祐介のソングライティングが女性シンガー/アイドルと出会ったときに生まれる神秘とは?

Base Ball Bear・小出祐介が描くリリックは、なぜこれほどまでにリスナーを悶絶させるのだろうか?

同バンドのボーカル・ギター、作詞作曲を務め、数々のアーティストへの楽曲提供も行っている小出祐介。過去にはKinKi Kids、山下智久、花澤香菜チームしゃちほこ東京女子流南波志帆らの作詞・作曲を手がけており、提供先のアーティストのファンから高い人気を誇る楽曲を次々と生み出している。今月8日にリリースされ、小出が全曲の作詞作曲を担当したアイドルネッサンスのEP『前髪がゆれる』もこれまた傑作で、今、彼のソングライティングの凄みに改めて刮目せざるを得なくなっている。

提供楽曲における小出のリリックの素晴らしさについて述べる前に、まずはBase Ball Bearでの彼の作詞について簡単に振り返っておきたい。


同バンドはインディーズ時代から00年代末くらいまで、青春の当事者としての視点で世界を切り取っている。とりわけ恋の歌(というよりかは、「君」という存在が放つまばゆい魅力に完全ノックアウトされる、愛らしい少年性が炸裂した歌)や、若々しさそのものを謳歌するような楽曲が多く、《風になりたくて 駆けて行く君は 美しすぎるんだよ 過度透き通ってるんだよ 絶対》、《君はそう 女の子の最高傑作》(“BREEEEZE GIRL”)、《17才 It’s a seventeen 檸檬が弾けるような日々/生きている気がした気持ち それがすべてだ》(“17才”)など、バンドの青春性を強く印象付けるフレーズがこの時期に数多生まれている。

その後2010年代に入ると、「青年時代の卒業生」としての円熟した眼差しで青春を描くようになる。特に近年リリースされたアルバム『C2』、『光源』では、《青春が終わって知った/青春は終わらないってこと》(“どうしよう”)、《大人になってく/そのうちに閉じた橋向こうの/遠い日と遠い瞬間とつながる/ああ、君のせいで/何時でも 何時までも》(“Darling”)など、成人になってからも青春が待ち受けていることや、時空を超えて胸に押し寄せる青年時代のときめきの正体を、30代となった現在の彼らが突き止めようとする手つきが見られる。

そんな青春すなわち「ふとした瞬間に人生に訪れる、キラキラの正体」を様々な角度から追究してきた小出の歌詞は、特に若手女性シンガー/アイドルと高い親和性を持つ。というのも若い女子向けに書かれた彼のリリックには、聴き手をときめきで打ちのめしてしまうほどの圧倒的な「少女性」が宿るからだ。


その「少女性」を説明するために、小出が提供した楽曲の歌詞をいくつか例として紹介したい。


《ゼッケン5追いかけ 胸鳴りの夏/焼却炉 煙が少し悲しい秋/君に逢いたい 電飾の冬融かして/誰よりも 早く半袖を着たい春》(南波志帆/“こどなの階段”)

《きこえなくなった音 もう会えなくなった子のこと/さみしく思っても 何もあきらめないで/決まらない前髪を また風が乱してゆく/いつまでも私たちきっと とどまることなんてないまま/走ろう 風の中を》(アイドルネッサンス/“前髪”)



《誰よりも 早く半袖を着たい春》というフレーズで、夏を待ちきれない少女の爽やかな焦燥を表した“こどなの階段”。《決まらない前髪を また風が乱してゆく》、《走ろう 風の中を》という表現で、「いつまでも青春時代にとどまることはできないんだ」と悟った女子生徒たちの切なさを描く“前髪”。小出が提供する歌詞には、彼自身がすでに青年時代を卒業している身でありながら、その時期特有の情景や心の動きが実に鮮明に、瑞々しく描き出されている。そして少女たちの心情や暮らしにぴたりとピントが合いまくり、聴き手の胸にもそのフィーリングが思い起こされてしまう感じが、作品をユースだけではなく大人も「わかる……!」と身悶えするものに仕立て上げるのだ。これは長きに渡り蒼き時代と向き合ってきた彼だからこそ持ち得る、さすがの手腕によるものだろう。ティーンの歌い手たち(南波志帆はリリース当時に10代)が放つ、透明感溢れる歌声との相性も最高である。


一方、成熟した視点を自身のバンドの楽曲に盛り込み始めた近年の彼だからこそ書ける表現もある。たとえば“こどなの階段”の「こどな」という言葉は、曲の冒頭で歌われているように《“大人”でも“子供”でもない》という意味の造語で、青春時代がいかに特別なステージであるかを明確に示したものとなっている。
また小出の最新ワークの1つである“前髪”は、青春時代真っ只中のメンバーにその時代の終焉を歌わせるという点では少々酷な歌だと思ったが、《さみしく思っても 何もあきらめないで》と人生の先輩としての達観した目線が持ち出された、希望が香る輝かしい曲となっている。これは先に挙げた《青春が終わって知った/青春は終わらないってこと》という歌詞のように、大人になってもまた青春と再会できること、そこから先の世界にも美しい景色はあることを歌にした彼だからこそ書ける言葉だと思う。こと細かに学生時代の瑞々しさを描くだけではなく、人生の先達としての言葉を歌詞として彼女たちに歌わせる(=贈る)のも、小出祐介の作詞を語る上で欠かせない粋な美点だ。


そのほか、チームしゃちほこ“colors”、アップアップガールズ(仮)“Beautiful Dreamer”のように「アイドルとしての意義/使命/葛藤」を示した楽曲や、東京女子流“Partition Love”のように恋愛面における少女の心の機微を描いた曲など、小出の提供作品には少女期の麗しさやそれぞれのフィールドで闘う若者たちへのエールが込められた歌詞が数多く存在する。そしてそれらの楽曲は、歌詞で描かれている世界をリアルタイムで現実として生きている彼女たちが歌うことで強い現実性を帯び、聴き手の胸を打つ名曲に仕上がっているのだ。自分以外の人物にチューニングを合わせて作品を創作する――それだけでもかなり難易度が高い作業であるはずなのに、小出は性別も世代も違う少女たちを相手に、しかもバンドのモードとリンクさせつつ見事にそれをやってのける。その器用さと美麗なセンスの化学反応が、青春当事者の感性も青春卒業者の感性も揺さぶる悶絶モノの楽曲を生むのである。

そんな稀有なスキルを携えた小出のリリックは、この先どんな物語を描いていくだろうか? 今後も耳目と心を、その言葉の鳴る方へ傾け続けていきたい。(笠原瑛里)