メタリカのラーズ・ウルリッヒ、ルー・リードとの喧嘩を振り返る

メタリカのラーズ・ウルリッヒ、ルー・リードとの喧嘩を振り返る

メタリカのラーズ・ウルリッヒは『ザ・ガーディアン』紙に対して10月27日に他界したルー・リードをめぐる数々の思い出を語っている。

ルー・リードとメタリカのコラボレーション作品『ルル』で気心も知れているラーズは、1ヶ月前にニューヨークでライヴがあった際にルーに声をかけていて会う予定になっていたのだが、それが実現しなかったことで具合がよくなかったことを勘付いていたと次のようにルーの死を振り返っている。

「具合が悪くなったからルーは来られなくなって、あんまり元気じゃないんだなってわかったんだけど、まさかここまで深刻だとは思ってなかったんだ。だから、自分の気持ちとしては半分はショックだったし、もう半分は押し潰されたような気分だったよ。ショックだったのはあまりにも早く逝っちゃったからで、押し潰されたような気分になったのはこの喪失のせいだよね」

そもそもルーとの親交が始まったのは4年前にロックの殿堂の25周年を祝うライヴ・イヴェントで共演する機会を得たためだとラーズは振り返っていて、パフォーマンスのあるセクションの司会をメタリカが任されたので、そこに出演してもらえるようにメタリカの方からルーに声をかけたという。ラーズもバンドも、ルーは歯に衣を着せず、ずけずけものと言ってくる上、まるで人当りもよくないという話を聞かされていて、初めて会った時の様子は確かにそういうものだったとラーズは説明している。

最初にセッションをセッティングした時にもルーは「俺たちがあまりにも音がうるさいと、演奏も何もなっちゃいないと文句をつけてくるんだ。俺たちのやってることはすべて間違ってると言うんだね。俺たちの音楽へのアプローチだけでなく、俺たちの存在そのものが間違っている」となじってきたとラーズは振り返っている。

しかし、その後、ラーズがルーと膝を突き合わせて話し込んでみたことで、メタリカと共演することでまずいことは何も起こりえないとわかってもらうことができて、一時間もしないうちにルーの信用を得て、打ち解けることができたと回想している。

「ある別の人にルーのことを話しているうちに気づいたんだけど、ルーくらいの世代のアーティストはたくさんの人たちが、ビジネスでもビジネス以外も含めて、アーティストを利用してやろうとするような輩にいいように弄ばれ過ぎて、それであれくらいの年代の人たちは本当にガードが高いんだよ。だから、俺たちのような40代くらいのミュージシャンたちの一団が両手を拡げてルーを招待して一緒にジャムろうぜと言ってみたところで、ルーくらいの世代の人たちはなんか裏があるんじゃないかって疑心暗鬼になるだけなんだね。これはよくわかったし、そこを責める気持なんか俺には全然ないんだよ」

ただ、二人の間でヒートアップする瞬間ももちろんあったとラーズは明らかにしているが、すぐに片が付いて打ち解けあうことができ、お互いによく似たものをたくさん持っていることに気づくことができたとラーズは説明していて、その結果、ルーの信頼をかちとることができたと語っている。

「俺たちはどちらもアウトサイダーで、お互いにみんながやっているような道を辿ることに居心地の悪さを感じてきたタイプなんだよ。メタリカはいつだって我が道を行くバンドだったし、ルー・リードときたら、アウトサイダーで、我が道を行き、自分のルールだけで活動し、すべてのプロジェクトについて前にやったこととは違うものにして、自分であること以外については一切責任を負おうとしない、そういう生き方のゴッドファーザーのような人だからね。そこにお互い、似たものを感じたんだ。そして、俺たちはルーが持っていなかったもの、あるいはあまり経験していなかったものを提供できたわけで、それがルーの言葉で言うと『エネルギー』、『重さ』、『大きさ』となるわけで、それが実際にはなんであれ、俺たちが一緒に演奏するとそれが生まれていたわけなんだ。俺たちが提供したものをルーは本当に気に入ってくれたんだよ。そしてもちろん、ルーはすでに書き上げていたルルという人物と、その常軌を逸した振る舞いや性の趣向について描いた、とてつもない作品を俺たちに提供してくれたんだ」

その作品『ルル』をメタリカは、マディソン・スクウェア・ガーデンで行われたロックの殿堂25周年祝賀イヴェントでの共演の後、制作することになったが、『ルル』を制作してラーズはルーが「過去40年にわたるロックンロールの歴史で最も達成された詩人だ」と確信したと語っていて、次のように『ルル』について語っている。

「ルーは長年かけて構想を練ってきたこの物語を俺たちのもとに持ってきてくれたわけだけど、その一方でその提供の仕方というのはとてつもないエネルギーをスタジオで生み出すやり方で、俺たちにその場でなにかを弾かせるというものだったんだ。

考えてやったところはひとつもないし、何度も練習したところもひとつもないし、分解したり、分析したりすることもまるでなかった。俺たちが弾き出すと、ルーが半分詩吟のような、半分歌うような感じでこの美しい詩の数々を唱え始めて、そのままやり続けたらこのレコードになったんだよ。俺としては何も考えずにただやるっていう、スタジオでのまったく知らなかったアプローチを教えてもらったよ。アルバムもすべて3週間で出来上がったんだけど、メタリカの普段のレコードだったら3週間じゃまだドラムをスタジオの部屋のどの隅にセッティングするかさえ決まってないはずだよ。すべてが衝動的に作られた作品で、考えたようなところがほとんどないものなんだ」

しかし、いったんリリースしてみると、通常のメタリカのサウンドの完成度とはかなり異質だったため、意外と不評だったことについてラーズは次のように語っている。

「ハード・ロック村はかなり意地の悪いところもあるからね。だけど、俺も面の皮は厚く出来てるし、何も気にならないんだよ。だから、ハード・ロック村からこのアルバムがそっぽを向かれた時も、俺は全然驚かなかったよ。たくさんの人が『ルー・リードって歌わないから』と言ってたけど、本当にそうだよ、まったく歌わないんだよ。っていうか、この40年この人物がなにやってきたと思ってんだよっていうね。ロバート・プラントみたいに歌うとでも思ってたのかよってね。ルーはそういうのとは違うんだからさ。だから、ハード・ロックの世界ではそう思われても仕方ないだろうなと俺は思ってたんだよ。でも、もっと知的なライターの多くも、この作品を厳しくこきおろしたことには俺も驚いたね。

でも、2年経ったらようやくたくさんの人がわかりかけてきてるんだよ。(アメリカの辛口ラジオDJの)ハワード・スターンなんかは、番組1回分全部使って、自分がいかに『ルル』について間違っていたかというのをやってたくらいだからね」

そして、ラーズは次のようにルーの人柄を振り返っている。
「俺はいつまでもルーの壊れそうなくらいの繊細さを一生忘れないだろうな。俺はなんとかして、そんなルーの繊細さと繋がることができたと思うんだ。俺にはすごくオープンだったし、『ラーズ愛してるよ』ってハートマーク付きの携帯メールも送ってくれたくらいだからね。本当に美しかった。ルーのまったくなんのフィルターもかけないところ、それとあの繊細さ、そして、どんな話をしていてもルーほど真実を話していると感じさせてくれる人には会ったことがないよ。

人は話す時、脳から話をしてるものなんだよね。でも、ルーは、どこから話してるのかはわからないんだけど、どっか別の場所からだった。感情的にも、肉体的にも、すべての意味でルーの言葉は俺の中で共振するものだったんだ。だから、俺はルーに力を与えたかったし、メタリカはルーに力を与えることができたと俺は思ってるんだ。あのガードが降ろされるとね、ルーという存在は本当に美しくて、まるで子供のようだったよ」
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