コートニーはなぜ闘うのか


コートニー・ラヴがHole名義でのライブを決行しようとしている。
http://ro69.jp/news/detail/29624

この記事にもあるように、元メンバーであるエリックは、この名義での活動はできないはずだとコメントしている。
が、コートニーは決行するようだ。すでに現メンバーであるミッコ・ラーキンと、新作『Nobody’s Daughter』に収録予定とされる新曲「Honey」の断片を披露している。
http://www.nme.com/news/hole/49120

もう何年前だろう、土曜日の昼に会社に出社したら、ミーティング・スペースにコートニーがいたのでびっくりしたことがある。応対していたのは、現CUT編集長の内田で、後で話を聞いたら、いきなり会社の代表電話にコートニーのマネージャーから電話があって、この訪問ということになったという。話の内容は、いつでも取材できるからとか、そんなようなことだったらしい。当時の彼女は、レコード契約も曖昧で、一時のセレブリティ扱いなパブリシティも途切れがちな、言ってしまえばちょっと「過去の人」な状況だった。単発的にメディアには登場していたが、それは、あとで考えてみたら、ちょうどこんなふうに、自分で編集部を訪ねて、交渉していたのだろう。

コートニー・ラヴという女性は、そのような人なんだと思う。そのように、直接、自分で、世界と対峙するのだと思う。そのほとんど直感的なアクションは、もちろん、周囲と軋轢も生むだろうし、トラブルだって起きるだろう。けれど、それが彼女の世界との闘い方なのだ。ウェブのニュースを読んで世界を憂いてみるのではなく、朝起きたら気分が悪いから世界が自分を侵食していると思う、そんな人なのだ。その直感が彼女のサバイバルであり、ロックなのである。だからいつも彼女は、過去や未来ではなく、いまここをブレイクスルーして生きようとする。

写真はHoleの1994年の傑作『Live Through This』。