『ソーシャル・ネットワーク』を観た!


待望の『ソーシャル・ネットワーク』を観た。
今年の映画界最大の事件。
最大級の期待で観に行って、期待以上の傑作だった。

映画は、スタジオのロゴも全部流している場合じゃない、というペースでいきなり始まる。
とにかく最初のシークエンスが最高で、
それは、9ページで書かれたマーク・ザッカーバーグと当時の彼女の会話なのだが、
なんと4分半で撮られたシーンなのだ。
普通脚本の9ページというのは、9分間ということ。
つまり、2倍のペースで会話が進んでいく。
それを映画の最初に観せて、そしてそのペースのまま最後の最後まで
物語は突き進む。つまり、それは、用意はいいか?と
観客に準備させるためのシーンで、
恐らくほとんどの人が、1秒でそのシーンにのめり込み
それから2時間、1秒足りとも気を抜く瞬間もなく、本当にあっと言う間に映画は終わる。

その情報量とペース。それが今私達が生きる恐らくペースであり
またはここに登場する天才マーク・ザッカーバーグの脳内なのである。
この作品の素晴らしいことのひとつは、
つまりそのまっただ中を生きている私たちに、Facebookが正に5億人の”友達”を獲得したその瞬間に、
10年後に振り返るのではなくて、
このカルチャーがどういうことなのかを今、目の前に突きつけてみせたということだ。

実はデヴィッド・フィンチャーはじめ、脚本家のアーロン・ソーキン(『ア・フュー・グッドメン』、TV『ザ・ホワイト・ハウス』)も、主演のジェシー・アイゼンバーグも、アンドリュー・ガーフィールドも、ジャスティン・ティンバーレイクはさすがに除いて、誰もFacebookページを持っていなかったそう。映画の撮影の間だけリサーチのために開設してみたそうだけど、フィンチャーはしなかったそうだけど、つまりこの作品はFacebookについて描いた物語ではないということ。ここには、19歳のザッカーバーグがハーバード大の寮で、Facebookを創設したことが語られている。しかし、この作品は、そんな21世紀のデジタルエイジを舞台にしながらも、それが生み出した「シェイクスピア劇」のような野心を持った若者の古典的な人間ドラマにまで到達しているのだ。

ソーキンが記者会見で冒頭にそのまま語ったが、「この物語をFacebookについてだと思ったことはない。この作品には、ストーリーテリングそのものと同じくらいの歴史があるテーマが描かれている。それは、友情についてであり、忠誠心であり、階級であり、嫉妬であり、つまりは、シェイクスピアや、Paddy Chayefsky(アメリカの天才脚本家)が描いてきたことなんだ。幸い、ふたりとも今いないから、僕にそれを書く番が回ってきたわけだけど」と。

フィンチャーは「僕はFacebookの起源が何たるかすらよくわかていなかった。ただ、脚本を読んだ時に、即座にここに出てくる主人公達に共感できたし、僕は彼らをよく知っていると思えたんだ。だから、間違いなく素晴らしい2時間の映画になると思えた」と語る。さらに彼らこそ「今僕がこの時代に感じていることだ」とも。ただ、「僕はなぜ彼らがこんなことをしたのか、ということには興味がないんだ。それよりも彼らが何をしたのか、を描きたかった。そしてそれをそれぞれの立場から描いてみせた。だからここには、それぞれの立場から観た切迫した言い分がある」。

それをソーキンは脚本で、「『羅生門』のように描いたつもりなんだ。だからどの主人公達にも、『それは真実じゃない。そんなことは起きていない』と言える場所を作ってあげた」と。

だから一見、ザッカーバーグは、人のアイディアを盗み、友達を裏切って成功を獲得しようとした悪者、にも観えなくない。しかし、それはあまりに単純な解釈であり、フィンチャーも、ソーキンもこの映画におけるザッカーバーグをむしろ「最初の1時間55分は、アンタイ・ヒーローとして、そして最後の5分は悲劇のヒーロー」として描いているのだ。

この作品は、フィンチャーの作品としてはレガッタのレースがある1シーンを除いてほとんど映像のテクニックが控えられた、最もフィンチャーらしくない作品と言える。実際観ればわかるけど、脚本家の力がそもそも偉大なのである。ここでは代わりにフィンチャーは、ジェシー・アイゼンバーグを軸にしたすべての俳優達から天才的な演技のアンサンブルを引き出すことに徹し、おかげで脳に弾丸を撃ち込まれるように鋭い2時間の会話が続く。何しろそのために最初の4分半のシーンは、99テイクしたということだから(フィンチャーは元々テイクが多いことで有名だが)。物語は、トレント・レズナーのスコアのように、確かにダークで悲劇的だ。しかし優れた悲劇とは、つまり喜劇である。だから、観ていて笑いも絶えないのだ。

そして、当時の彼女に、「あなたが私に振られたのは、あなたがオタクだからじゃないわ。あなたが、人間として最低最悪だからよ(ASSHOLE)」とぐさりと心に刺さって始まったマーク・ザッカーバーグの物語は、21世紀最初の10年を定義付ける最も象徴的と思えるイメージで終わる。

それは、若くしてミリオネアになり、世界で最大の”友達”を獲得したマーク・ザッカーバーグが
真っ暗な部屋の中で、煌煌と輝くスクリーンを前に、それでもひとりぽっちで打ちのめされている姿である。

しかし、そんな”ASSHOLE”に、コンピューター上以外でのコミュニケーションが取れない彼に、激しい同情心を抱かないわけにはいかない。
なぜならそんな”彼”が存在することを誰もが知っているからだ。
それは、21世紀が生み出した最初にして最大の「悲劇のヒーロー」であり、または、スクリーンに拡大して叩き付けられた
もしかしたら自分の昨日の夜の姿である。だから、その時初めて彼は、ひとりの人間に、あなたの”友達”にも観えるのだ。
しかし、そんな彼をどうやって救えばいいのか、わからないままでもあるのだが。


というわけで、書きたいことはまだまだあるのですが、音楽のこととか、完璧と言える俳優の演技のこととか。
ジェシー・アイゼンバーグの演技が鬼のようにすばらしいことや、
アンドリュー・ガーフィールドがここでもまた心が痛くなる演技を観せていることとか。
でも、とりあえずこれが最初の感想!
そしてもう1回今すぐにでも観に行きたい作品なのです。

日本の皆さんも、10月23日、東京国際映画祭で観られます!
http://www.tiff-jp.net/ja/
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