ジューダス・プリースト、日本降臨。デビュー50周年の節目を飾った19thアルバムを引っ提げての来日ツアー中に、対面ロングインタビュー!


現在発売中のロッキング・オン3月号では、ジューダス・プリーストのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。



「これは神の恵みだ。神から与えられたものだ。私にとっては、歌うことの喜びがあまりにも深い。このことについては以前にも話をしたよね、マサ。意義のようなものだ」


●最近、スティーヴン・タイラーがツアーから引退しました。デイヴィッド・カヴァデールもそんな感じです。ジョン・ボン・ジョヴィは声帯の具合が悪くて歌っていません。しかし、あなたは凄まじいパフォーマンスができて、しかも、以前よりも遙かに強力です。これ、どういうことでしょうか?

「それは、私がメタルゴッドだからだ! いや、これは神の恵みだ。神から与えられたものだ。すべてのシンガーにはそれぞれの声の状況がある。私にとっては、歌うことの喜びがあまりにも深い。このことについては以前にも話をしたよね、マサ。意義のようなものだ。私がここにいる理由、私が生きている理由は、この声を使うこと、音楽を作ること、つながりを持つことだ。それ以外のことについては、私にはとんとわからない。私は全くもって恵まれているし、いまだに価値があり、興味深く、エンターテインメント性のあるパフォーマンスができることに対してとても感謝している。そして、このパフォーマンスが期待外れのものでないことを願っている。声とは変わるものだ。長く生きるにつれ、声は変わっていく。それは自然なことだ。だから私は、パフォーマンスを多少改めねばならなかった。1991年当時のように“ペインキラー”を歌えたらと思うが、今は2024年の“ペインキラー”を歌わねばならない。だがそれでも“ペインキラー”であることに変わりはない。パフォーマンスの強烈さ、それに対する熱意は相変わらず同じだ。声は多少違うかもしれないが、その曲の意義はいまだ健在だし生きている。というわけで、私はラッキーな人間だ。人生のこの時期にこの仕事ができて、とてもラッキーだよ」

●自分の声が神からもらった特別なものなのではないかと気づいたのはいつ頃ですか?

「長く生きていると、人生について、そして、人生の意味について、もっと考えるようになる。そして、ジューダス・プリーストのように世界中を回り、世界中の様々な人々と会うと、人間の意識が共有されていることに気がつく。みんな、同じように感じている、同じ言語はしゃべらないが、我々が抱いている感情は全く同じだ。私は大人になるまで、そのことを理解していなかった。クリエイティブな人々は非常に繊細で、さらに前へと進んで、『私は何故ここにいるのか?』『私がこれをやっている理由は何だ?』と考えたがるものだ。そんな時、この世界を超えたところにあるものについて考え始める。『ここは地球。太陽の周りを回っている。我々は銀河系にいる、宇宙にいる』と。素晴らしいことだ。そうすると、『我々は何故ここにいる?』と考える。人生が始まるためには、何か理由があったはずだと。とても深遠なテーマだ。『これは誰が造ったんだ?』ということになる。何もないところから何かを生むことはできない。誰かがボタンを押さなければならない。そして、そのボタンを押すのは神だ。大人になるにつれ、私の中には常にそのことが念頭にあった。特にロックンロール人生における困難なチャレンジの時にそれはあった。酒やドラッグに溺れた私は、旅を、自分自身を見失っていた。そして、それからクリーンに、シラフになった。その時、これまでになくスピリチュアルな存在を認識した。誰にでもスピリチュアルな存在はある。気づかない人もいるし、認めたくない人もいるが、私はすべてを十分に意識した上で人生を送ることにした。通りを歩いていると、人々を意識し、木々を意識し、風を意識し、太陽を意識する。素晴らしいことだ。生きているのはありがたいことだよ。そして人生を歩んでいくにつれ、それはさらに強くなった。私の人生はゆっくりと晩年を迎えつつあるが、私はそれをとても気に入っている。次の旅に向かうことをとても気に入っている。そういったことすべてが人生の過ごし方であり、人生がいかに大切であるかに対する、私の理解に結びついている」

●以前も話しましたが、『インヴィンシブル・シールド』は本当に素晴らしいアルバムです。ギタリストのリッチー・フォークナーは、ソングライティングなどで最大限の貢献をしました。彼に対するあなたの評価はどうですか。

「彼の成長ぶりを見守ってこられたことは注目に値する。マサ、ロックンロールは時間ではない。単なる存在だ。彼がバンドに加入してからもう10年になる。彼がやった最初のライブの写真を見てみると、まるで小さな子供のようだ。本当に野生児といった感じだったよ。そんな彼を見てこられたのは素晴らしい。彼は短期間で成熟し熟練した。彼はこのバンドで急速に成長した。この件について、話をしたので私は知っている。『このバンドに加入できたなんて信じられない。俺は、生まれてこのかた、ずっとジューダス・プリーストが大好きだった』と私に言った。だから、プレッシャーとは言わないが、彼はファンから認められたがっていた。ステージでK.K.ダウニングが長年やってきたことをやる立場にあったからだ。そして、ファンは彼を受け入れた。そんな、彼のスタイルとテクニックが上達していく様子を見られた。そして何よりも、彼の曲作りのスキルだ。『贖罪の化身』から『ファイアーパワー』。そして『インヴィンシブル・シールド』で、突然、華が咲いた。私はこれを“旅”と呼んでいるが、彼は自らの“ギターの旅”の道を見つけた。そして、『インヴィンシブル・シールド』でリッチーが行なったギターワークはすべて、もの凄く重要なものになった。『インヴィンシブル・シールド』における彼のプレイと、『贖罪の化身』における彼のプレイを聴き比べると、まるで鎖から解き放たれたように聴こえる。『贖罪の化身』での彼は、進むべき道を探していた。いろいろ試していて、特に目立つことをしなかった。彼は歓迎されたくて、少し控えめにしていた。礼儀正しくして、世間に認められようとしていた。それが『インヴィンシブル・シールド』になると、もはやクレイジーだ。彼のスキルがとても深くなったのを見られて本当に嬉しいよ。特に、彼が心臓を患ってからそうなったね」
(以下、本誌記事へ続く)



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