東日本大震災から半年


今日で9.11アメリカ同時多発テロから10年、3.11東日本大震災から半年になる。
やはり朝からずっとその事ばかりを考えてしまう。

突然の大きな不幸が自分と同じ時を生きている人達に降りかかったという絶対的な事実。
その不幸の原因の一端を自分も担い、その不幸の結果の一端を自分も背負わなければならないという、これもまた絶対的な事実。
テロを許しているのも自分なら、原子力発電所の事故を許したのも自分である。それは事実なのだ。

ではそれに対して自分はこの10年間、この半年間、何をしてきたか。

しなければならない事が何かははっきり過ぎるほどわかっている。言葉にしてはっきりと言える。
それは、世界を変えなければならないという事だ。2つの大きな不幸の大きな原因となり、また、元々の不幸をさらに大きなものにしたのは、「金が最も重要なものだ」という今の世界の在り方である。これからもさまざまな不幸は起きるだろう。だが、その不幸をさらに深刻なものにし、それに対する速やかで最善の対応を鈍らせたり事態を混乱させたりするのは必ず「金」、「金が最重要」という価値観である。(だから逆に、震災直後にごちゃごちゃ言う前に大金をパッと寄付した人達の態度を僕は支持する。たぶんその人達は金を「価値」ではなく「機能」として捉えているからだ)。その価値観を変えなければならない。その価値観を根底に置いた世界の在り方を変えなければならない。異論のある方はいくらでもどうぞ。今までのところ、僕はこの考えに疑いを持ったことがない。

では、僕はこの10年間そのために何をしてきたか。あるいはこの半年間そのために何をしたか。
特別なことはなにもしなかった。なにをすればいいのかもわからず、このような文章を音楽雑誌やここに時々において書いただけだ。それは、
何かやらなければならないことはわかってはいるがどうすればいいのかわからなくて、
でもとりあえず朝起きたら歯は磨いた方がいいから磨く、とか、
とりあえず働いた方がいいから会社に行くとか、
お腹が空いたが、とりあえず夏バテ気味だから親子丼を食べようとか、
そういったただの日常の行為として書いたに過ぎない。
とりあえず、雑誌作ってるんだから伝えるべきだと思えることを書こう、
ブログやってるんだから書くべきことを書こう、
というとりあえずな行為に過ぎない。

歯を磨くことは世界を変える事とは関係がない。会社に行って働く事も、晩ごはんを親子丼にする事ももちろん関係はない。それと同じで、こういう文を書くことも、なんら変革に寄与しない。

でも、出きる限りきちんと毎日歯を磨くし、会社に行って働くし、夏バテしないようしっかり食べようと思うし、こういう文も書いていきます。
そうしないと、世界を変えていきたいと思える自分として生きていく事ができなくなってしまうから。
「自分自身がこれがいい、こうしたいと思いながら生きていくためにすることには全て意味があると信じる」、それが10年前以前の僕には無くて今持てるようになったたった一つの肯定性だ。

捻挫のせいでどこへも行けず、聴けずに溜まっていた新譜を聴いたり散らかった部屋を片付けたりテレビの報道番組を観たりしながら、確認したのはそういうことだった。
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