女王蜂 @ 東京キネマ倶楽部

pics by 岩根 愛
女王蜂のライブを観た後にはいつだって甘く痺れる余韻が、完膚なきまでに打ちのめされた絶望感と、槍が降ってこようが火の粉をかぶろうが絶対に大丈夫だと信じられる万能感、その両方が自分の中でマックスでせめぎ合うような、息苦しくも幸福な余韻が続くものだけれど、昨夜のステージはそんな余韻が夜を越えてどこまでも追い掛けてくる、特に凄まじい内容だったと言っていい。

メジャーデビュー盤『孔雀』を引っ提げての東名阪ツアー、東京公演の会場となった「東京キネマ倶楽部」はいわゆるド・昭和のキャバレー、ダンス・ホールを再利用したイベント・スペースだ。この日のアンコールでアヴちゃんも言っていたけれど、女王蜂にとってはまさに念願待望のシチュエーション。「女王蜂×昭和のキャバレー」というどこをどう取っても完璧なマリアージュを目の当たりにして、開演前から天上知らずで期待が高まっていく。こじんまりした場内は半円形の作りで、ステージ下手には螺旋階段から続く半2階の小ステージが設置されている。この日のドレス・コードの「赤」に相応しい真紅のバックドロップ……というか重たいビロードの緞帳が異様な存在感を放ち、そこはもう殆ど寺山修司か江戸川乱歩の世界である。

そして1曲目、アヴちゃん以外の3人がステージに上がり、ルリちゃんが全力でバスドラを蹴っ飛ばすと同時にカビ臭く隠微なキャバレーに一気に息吹が吹き込まれ、情熱の火が灯る。アヴちゃんはイントロ終わりに半2階のステージのカーテンの後ろからバッと華麗に登場!くーっ!女優っ!のっけから女王蜂の圧倒的な美意識に引きこまれ、オーディエンスのテンションは一気に針が振り切れていく。

なお、この日の詳しいセットリストについて触れることは避けるけれど、まあ実際どんなセットリストだろうが女王蜂のステージのカタルシスは100%保証されているものだ。しかも、そんな彼女達のステージに新たな方向性を指し示す新曲が数曲加わったことによって、100%と思っていたものが易々と更新されて予想を越えた150%のカタルシスを浴びることになった、それがこの東京キネマ倶楽部での女王蜂の凄まじさだった。

前半はガレージでパンキッシュ、そしてマッシヴなロックンロール・ナンバーがアヴちゃんの咆哮と共に立て続けに投下される過剰の宴だ。ドレスコードの赤に則ってド派手な赤ドレスに身を包んだ熱狂的なファン達がステージ前方で瞬く間に汗でグチャグチャになっていく様が見える。「お洒落さんは耐久度の低いお洋服を着ているものね。だからみんなでいたわりあって、踊り狂ってね」そんなアヴちゃんのMCと共に始まったのは御存じ“デスコ”。羽扇子があちらこちらで狂い振りまくられ、ステージ上の4人とフロアのファンが混然一体となって過剰の限界に挑むような時間が訪れる。

本来、女王蜂のようにシアトリカルでビジュアル・イメージを大事にするアート・バンドというものは、どこかで自分達を俯瞰する目線、客観視するディレクターの冷静さを持っているものだ。そうでないと自分達の世界観をアートとして昇華することは難しいからだ。しかし、女王蜂のステージにはそれがない。客体化、という逃げ道を彼女達は一切作らない。どこまでもシアトリカルで視覚的な女王蜂のステージは、あくまでも彼女達の血と肉と直結した表現であり、どこまでも主体的な物語である。これは実は凄いことで、しかも女王蜂はその主体性にオーディエンスまでとことん巻き込んでいく。女王蜂の、アヴちゃんの過剰なエモーションは瞬く間にオーディエンスに伝播し、そこに生じたオーディエンスの熱狂はさらに女王蜂を極限へと追い立てていく。

実はバンド一の超天然生命体なんじゃないかと思えるドラムのルリちゃん。冷たい炎、という形容がぴったりくるようなギターのギギちゃん。アヴちゃんの躍動と完璧にリンクしたリズムを弾き出すセクシー・ダイナマイトなベースのやしちゃん。この日のステージはそんな3人のプレイヤヴィリティの確認の場としても白眉だった。特に中盤で披露された新曲のポスト・ロック調とすら呼べそうな多構成は、彼女達の確かな演奏力なくしては実現不可能だっただろう。

“フランス人形”ではアヴちゃんに代わってドラムのルリちゃんがボーカルを取り、その間に衣装替えしたアヴちゃんが白いケープをふんわりまとって再登場する。前半の恐いくらい鮮烈でビビッドな存在感と打って変わり、アヴちゃんは赤ちゃんのように無邪気なファルセットで新曲を歌い上げていく。その無垢には「死」というメタファーが見え隠れし、クライマックスで一気にバーストする曲展開には死と背中合わせの「生」のメタファーが、その狭間のギリギリの「今・此処」が刻まれていく。

前半戦が足し算と掛け算でひたすら過剰に過剰を重ねる展開だったとしたら、後半はくるくると表情を変えながら過剰さのバラエティを提示していくような流れになっていた。民謡が、ディスコが、ファンクが、ジャズが、そしてメタルが、もう、ジャンル名を書き連ねていくことが無意味に思えるほどの音楽の飽和と共に鳴り響いていく。白いケープを脱ぎ捨てて真紅のミニドレス姿になったアヴちゃんは男と女、赤子と老婆、希望と絶望、そして生と死の境界を何度も何度も飛び越えていく。そして女王蜂の過剰がついに臨界点を超えたところでドロップされる“燃える海”。この曲のお全てが一気に赦されていくカタルシス、あらゆる色彩の混沌の先に待っていた純白の光、みたいなものにどうしようもなく泣けてきてしまった。

アンコールでは再びパンキッシュでダンサブルなナンバーが連打され、オーディエンスは再び滝のような汗に塗れることになった。そして11月末に初の映像集がリリースされること、初の全国ツアーが決定したことがアヴちゃんからアナウンスされると、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。そう、昨夜の余韻は未だ続いているけれど、既に渇望も生まれ始めているのも事実だったりする。早く、早く。女王蜂のステージが観たい。(粉川しの)