plenty @ 渋谷公会堂

pics by 柴田恵理
今年7月末にドラマーの吉岡紘希が脱退し、その後のフェスやイベント出演はあったものの、2人体制では初のワンマンツアーとなったplenty。今宵は『ワンマンツアー“いつかあの約束の場所で”』のファイナル、会場は自身初の渋谷公会堂、ホール公演。2人体制のplentyにサポートドラムとして参加したのは、元syrup16g、現在はVOLA&THE ORIENTAL MACHINEなどで活躍するあの中畑大樹である。それだけでも大きなトピックになりそうだが、中畑のアシストで筋力をつけた本ツアーのplentyは自身のスケールを大幅に更新する、掛け値なしにすさまじいライヴを見せてくれた。ライヴが終わりしばらくその場に座り込んでしまうほど、ステージに集中し、凝視し続けた濃密な2時間だった。

定刻18:30より少し遅れて江沼郁弥(Vo/G)、新田紀彰(B)、中畑大樹(Dr)がステージに姿を現す。SEのノイズ濃度が上昇し、そこに割って入る“待ち合わせの途中”のギターリフとリズム隊。《蒼空は嫌だった》、今にも消え入りそうな、それでいて芯の強い江沼郁弥(Vo/G)の歌声が響く。その背後から競り上がってくる憂いのある空気を含んだバンド・アンサンブル。中畑のドラムは一音一音確認するように、そして江沼の歌声に同調するように、抑揚をつける。楽曲に深みと新たな彩りと加味してはいるものの、変化を目的としたあざとさは無く、あくまでplentyの楽曲の力強さを真っ直ぐに剥き出しにさせる、そんなドラミングだ。これは強い。2曲目は“最近どうなの?”、そして“後悔”へ。両曲ともまどろみを誘うギターがあり、《最近どうなの?》、《悪くないな》と語りかける江沼の歌声と交錯する。その音像は、暗い時代に落とした優しい催眠剤のように聴こえる。

「こんばんはplentyです」江沼の一言にわずかながら歓声があがる。静寂……そしてくすくすと笑い声。――という、お決まりの流れは彼らのライヴだと珍しいことではないけれど、今宵の渋公には温かみのある空気が流れていたように思う。それは、彼らの音と言葉を真正面から受け止めるには、確かにある種の緊張や高い集中力が必要だとしても、同時にそこを突破してくるメロディの豊かさに、喜びに近い感覚を受けることと無関係ではないだろう。1st
ep『人との距離のはかりかた』から舵を切ったポップへの渇望と飛距離、より遠くへ「届ける」という彼らの意思が、ライヴを積み重ねていくうちにファンへ浸透していったのだろう。緩やかながらも幸福な変化だ。
そして温かいリズムセクションの上で、面倒な想いの螺旋が歌われる“人との距離のはかりかた”へ。彼らが歴史を積み重ねていく上で語り継がれていくであろう名曲である。続く“からっぽ”のミッドセクションでは、中畑の精巧な4つ打ちのキックを合図にバンド・アンサンブルがうねりを上げる。背徳の領域を暴き出すようなサウンドスケープであっても、その先に美しさを求めるような、plentyのカタルシスが滲み出ている瞬間だった。

「東京に帰ってきました。今日がツアーファイナルですか。ふぁー全然ファイナルっぽくない。…………今、無を楽しんでおります」と江沼。今度ははっきりとした笑いが起こった。「特に話すことないんですけど……座って観ても、立って観てもよいってわけじゃないし。あれね……焼肉奉行でしたっけ、好きなように喰えばいいんですよ!フン!」ここは観客から拍手。この独特の間合いとレスポンスはおもしろい。ファンもplentyとの距離のはかりかたを熟知しているようである。やはりファンというのはアーティストに似てくるものなのだろうか。「なんか自分の声がよく通って嫌だね」確かにホールのMCとしてはあまりにシュール過ぎるが、それをシュールと言って区別できるほど今のplentyのフォームは閉じられてはいない。以前のplentyは、シュールとは到底表現できない、触ったら崩れてしまいそうな精巧な空間を作り上げていたのだから。

中盤では名前のない新曲を2曲披露する。拡声器を通したように加工された江沼の歌声、重たく歪んだギターとベース、性急で荒々しいドラミング。グランジ、オルタナ、パンク、ガレージ、たぶん聴き方は色々だ、そのどこにも着地していない。それよりも僕は、そのけたたましい演奏の中でもなお屹立する江沼の声と、彼のメロディメーカーとしての才能に思わず身震いした。これまでも一切の妥協を許さず、圧倒的に高質な曲「だけ」を送り出してきたことは言うまでもないことだし、江沼のソングライターとしての才能に疑いを持ったことはないけれど、この圧倒的な歌の力とメロディの豊かさはどうだ。新田のベースラインはいっそう強度を増し、中畑のドラムという屈強な土台を得たアンサンブルは、江沼の声とメロディに以前とはまた別の側面から光をあてていて、さらに昇華させていく。圧倒的に放出されていく歌の力は、その手法と方法は異なるにせよ、andymoriが『革命』で見せた小山田壮平の歌の力にどこか通じるものがあるような気がする。

始まりの終わり、終わりの始まり、その螺旋から鮮やかに飛翔しようとする“終わりのない何処かへ”、自身の青さへの否定を叫ぶ“少年”、その記名性ゆえに強烈に訴えかける“拝啓。皆さま”、安易な記号付けとカテゴリ分け、そこにとどまり続けることを糾弾した“枠”。終盤は「きみ」と「ぼく」の距離や偽りの歪みから逸脱し、世の漠然と矛盾に色をつけるように鮮烈な言葉を落とす。それに呼応してサウンドも熱を上げ、中畑のドラムも徐々に破壊性を帯びていく。観客の中には体を揺さぶり、拳をかざす者もいる。バンドはこのあたりで初期の精巧な鋭さに立ち返り、緊張感を漂わせながらラストに向かって加速していくのだった。
そしてライヴは“あいという”でクライマックスを迎える。すでに各ブログで伝えられているように、ストリングス隊を迎えて演奏されたこの曲は、これまでのplentyとは一線を画した壮大なスケールを持っていた。スクリーンには降りしきる雪が投影されている。その映像とサウンドスケープに圧倒されそうになるが、僕が終始追っていたのはやはり江沼の歌の力だった。悲しみや迷いの果て、それを凌駕し超越するような、圧倒的な歌の力。ストリングスの導入は、実験的というよりはあくまで江沼の歌のスケールに合わせた結果だろう。きっと江沼は自分の歌がより遠くへ届く方法であれば、テクノやハウスだって取り入れるだろう。(もちろん喩え話です)と言いたくなるほど、今のplentyの音楽に対する懐は広く、厚く、深い。そのスケールというものが楽曲単位にかかるのではなく、plentyというバンドそのものを指し示している。初期から知っているファンならきっと感動に打ち震えたことだろう。最高のラストだった。

なお、ライヴ中には2012年4月8日に日比谷野外大音楽堂にてワンマンライヴを行うことが発表された。6月のSHIBUYA-AX、今宵の渋谷公会堂、そして来年には野音である。ここまでたった2年。その飛距離には驚いたとしても、彼らのポテンシャルを考えれば別に不思議でもなんでもない。むしろこれまでが不思議だったという話。まだまだ知名度が低いという話を聞くとうんざりするけれど、知らぬ人に対して「plentyを知らないのか、それはちょっと不幸だな」と言い切れるくらい、僕はplentyには期待している。ライヴが終わり「plentyでした!またどこかでお会いしましょう!」と言った江沼。その表情はどこか満足気でうれしそうに見えた。(古川純基)

セットリスト
1.待ち合わせの途中
2.最近どうなの
3.後悔
4.人との距離のはかりかた
5.からっぽ
6.ふつうの生活
7.新曲
8.新曲
9.栄光にはとどきそうにもない
10.理由
11.明日から王様
12.大人がいないのは明日まで
13.空が笑ってる
14.終わりのない何処かへ
15.拝啓。皆さま
16.少年
17.枠
18.あいという