毎年カナダではアザラシ猟が定期的に行われているが、今年もモリッシーはこのカナダの商慣習を動物愛護の観点から自身のファンサイトのトゥルー・トゥ・ユーで次のように批判している。
「今年のカナダのアザラシ猟は獲ったものを売る相手や市場がまったく見当たらないという苦境の中、それでも始まってしまったよ。特に中国などはアザラシ肉の販売を禁止することに決定してくれている。中国、ありがとう!
中国はカナダの商慣習を受け入れるのをやめたのは『動物の権利保護』のためだとか。
その一方、恒例のカナダで行われるアザラシ猟と殺戮は4月21日から商取引面や法廷で大きな抵抗を受けながら始まったんだ。ヨーロッパではアザラシ関連商品の輸入禁止を今も続けているというのに。
カナダの水産大臣のゲイル・シェイはアザラシの赤ちゃんは『人道的に駆除されている』として、アザラシの赤ちゃんが高圧ライフルでどのように射殺されているかを説明している。しかし、こんな死に方をゲイル・シェイ自身は望むのだろうか。高圧ライフルで射殺されたとしたら、ゲイル・シェイは嬉しくなるのだろうか? このような屠殺行為を人道的だと本気で言うのなら、この先数週間のうちに虐殺される数万頭のアザラシと一緒に自分も殺されてみたらどうだろう。そうすれば、自分の頭部に銃をぶっ放されることについてどれだけ人道性があるかどうか、自分で確かめることもできるだろう。ゲイル・シェイがなにかしらの説得力の持つ意見を初めて口にすることができるのは、まずはそれをやってみてからだと断っておきたい。
カナダは美しい国だし、カナダの人たちはいい人たちだよ。でも、いい人たちというのは、影響力を持っていないことが多いんだよ。国際的に見て、カナダの残念な印象というのは、すべてアザラシ猟のせいなんだ。アザラシ猟というのは、欲得のことだけを考えていて野蛮で、2014年にこんな無知を見せつけられてどうしたものかと呆れてしまうようなことだからね。まともな道理で考えれば、毛皮なんかを着るのは本当に教養の浅い人たちだけだし、しかもカナダ政府は動物については経済的な動機からしかものを考えないから、今ではアザラシの赤ちゃんをおぞましいむごたらしさでもって殺しているイメージがカナダの主なグローバル・イメージになってるんだよ。この恒例の虐殺がやめられない限り、カナダそのものが残念ながら、時事的に死に体も同然だね」