2月3日に他界したアース・ウインド&ファイアーのモーリス・ホワイトをオバマ大統領が追悼している。
モーリスは長らくパーキンソン病を患っており、その影響で90年代に入ってからアース・ウインド&ファイアーの現役メンバーから退くことになった。しかし、バンドの運営には携わり続ける一方で、プロデューサーとしても活躍し、映画『アンダーカバー・ブラザー』への楽曲提供なども行っていた。その後の病状の進行により、ロサンゼルスの自宅で睡眠中に息を引き取った。オバマ大統領は次のようにモーリスをフェイスブックで偲んでいる。
「ミシェルとぼくはモーリス・ホワイトの訃報を知って悲しみに暮れています。モーリスは自身の兄弟とアース・ウインド&ファイアーのメンバーらとともにジャズ、ソウル、ファンクとR&Bを融合させてあまりにもアメリカらしいサウンドを作り上げ、世界中の数百万というファンの心をつかみました。彼らの楽曲のプレイリストは時代を越えて褪せることのないもので、今でも誕生日パーティーやバーベキュー・パーティー、結婚披露宴や家族の集まりなどで、みんなの気持ちをひとつにさせるものです。これほど洗練された楽曲をここまでキャッチーに作り上げていくことなどモーリスにしかできないことでした。これほど何世代にもわたる、多様なアーティストに対してインスピレーションとなれるのもモーリスにしかできないことでした。そして、年がいっていても若くても、黒人でも白人でも、みんなのことをそのグルーヴでもってダンスフロアーで踊らせることができたのも、モーリスにしかできないことでした。モーリスのご遺族、友人、バンド仲間のみなさんにはお悔やみを申し上げると同時にお祈りを捧げます。今夜、天国においてシャイニング・スターとなるのはモーリスです」
1941年にテネシー州メンフィスで生まれたモーリスは10代の頃にシカゴ音楽院に入学し、その後、チェス・レコードのセッション・ドラマーとなり、マディ・ウォーターズ、ザ・デルズ、バディ・ガイら数々のアーティストのレコーディングに参加した。その後、ラムゼイ・ルイス・トリオのドラマーとして活躍したが、やがてトリオを脱退すると、作曲ユニット、ソルティ・ペッパーズを結成し、メンバーを拡充させつつ、ロサンゼルスへと活動の場を移し、アース・ウインド&ファイアーとユニット名を改めた。
1970年には当時勃興したファンクを全面的に導入したファースト『デビュー』をリリースし、翌年ブラック・ムービーの草分け的傑作『スウィート・スウィートバック』のサントラも手がけることになったが、セカンド『愛の伝道師』のリリース後、間もなくしてバンド内の不和により解散。その後、モーリスは弟でベースのヴァーディンとのふたりでバンドを再起させ、フィリップ・ベイリーらの新しいメンバーを迎え、コロムビアに移籍して『地球最後の日』をリリース。続く『ヘッド・トゥ・ザ・スカイ(ブラック・ロック革命)』でその後のアース・ウインド&ファイアーサウンドの基盤を編み出していくことになった。
70年代後半にかけてアース・ウインド&ファイアーはメインストリームやポップ・オーディエンスにも訴求するファンクの一大勢力となり、ファンクとしてはジョージ・クリントン率いるパーラメント=ファンカデリックと双璧をなす存在となりつつも、ブラック・ミュージックとしてはクインシー・ジョーンズやマイケル・ジャクソンに勝るとも劣らない大きなポップ・オーディエンスも獲得した普遍的な活動を繰り広げることになった。モーリスの指揮の下、アース・ウインド&ファイアーはこれまでグラミー賞に6度輝き、世界規模でのレコード・セールスは9千万枚を記録している。2000年にはモーリスのほか黄金期のメンバーらがロックンロール名誉の殿堂入りを果たすことにもなった。また、今月行われる第58回グラミー賞授賞式では、「ライフタイム・アチーヴメント(功労賞)」の受賞も決定している。