31歳にしてリリースしたデビュー・アルバム『ヒューマン』が過去10年間におけるデビュー・アルバム初週最高セールス(男性アーティスト)を記録、全英チャートでは初登場1位。そして更に、2月に開催されたブリット・アワードでは批評家賞を受賞。2017年1月の発売から5ヶ月余り近く経つ現在もなお、『ヒューマン』はチャートの上位に君臨し続けている。
身長196cm、両腕はタトゥーに覆われ、ハンサムとは言い難いその風貌からは前時代的なハード・ロック、もしくはパンク・ロックが捻り出されるのかと思いきや、顕れてきたのはヒップホップとブルースの新たな融合だった。
ヒップホップから始まった音楽生活
1985年、イングランド南東部のイースト・サセックスで生まれたラグンボーン・マン(本名ロリー・グラハム)は、もともとヒップホップの出だ。街に1軒しかないレコード屋に友人たちと遊びに行ってはCDを漁り、ミックステープを作る日々を送っていたという。
「Rag’n’Bone Man」という名前は、15歳の時に友人たちと結成していた「Rag’n’Bonez」というグループ名から取っているそうだ。「Rag and bone man」という言葉自体は、「がらくた/屑鉄拾い」を意味する。
その数年後、今も拠点としているブライトンに移った彼は友人たちが結成していた「Rum Comittee」に参加し、ラッパーのステージの前座などを務めていたという。
ブルースとの出会い
ヒップホップ一色だった生活にブルースも取り入れるようになったのは20歳前後の頃。いわゆる音楽一家に育ったという彼は、父親が聴いていたクラシカルなブルースを自然と聴きながら育った。ヒップホップを始める以前から、彼の血にはブルースが流れていたのだ。
ブルースを始めたという20歳前後の頃にはギターを弾き始め、ジャム・セッションも行うようになったという。もともと知っていたブルースやソウルのナンバーをギターを手に歌っていたという彼は、人前でのパフォーマンスに魅力を感じ始め、オリジナルの曲を作り始めた。
ブルースを始めてからすぐに、ジョーン・アーマトレイディングなど、アコースティックなアーティストのサポート・アクトを務めるようになっていったという。
そんな生活の中、20歳になる前に制作したEP『Bluestown』の収録曲“Die Easy”は、『ヒューマン』にも収録されている。
“Die Easy”は「俺が死んだら/5本目のラムの瓶と一緒に埋めてくれ」との歌い出しから始まる、非常にオーセンティックなブルース・ナンバーだ。
そして2017年、『ヒューマン』で語られる人生観
歌われるのは生と死、そして愛。直球だが人間の根源的なテーマであるそれらを、やはり直球のリリックで以ってソウルフル且つパワーに溢れた声で歌いあげる。
「GQ」誌のインタビューに答えたラグンボーン・マンは、30歳を過ぎていきなり手にした成功に関してこんなことを言っていた。
「賞賛されるのは素晴らしいことだけど、いずれにせよ自分の生活を決めるのは自分なんだ。周りからの言葉を鵜呑みにしちゃいけない」
この言葉は、“Human”で歌われる「俺もお前も、ただの人間でしかない。俺に意見を求めるな、嘘を吐かせるな。どう足掻いたって、ただの人間でしかないんだ」とのテーマに通ずるものがある。
下積みがあるからこそ地に足の着いた言葉の裏には、音楽への純粋な愛が繋がれている。
『ヒューマン』の日本盤は6月7日(水)に発売開始、7月28日(金)には「FUJI ROCK FESTIVAL '17」にて初来日を果たす。
突如現れた無骨なブルース・シンガーに、注目しない理由はないだろう。(滑石蒼)