フレデリックというバンドを語る上でのテーマとして、これほど本質的で、同時に説明が難しいものは他にないだろう。どうしてかというと、フレデリックは「踊る」という一つのキーワードに対して非常に多角的なアプローチをしてきたバンドだからだ。メジャーデビュー作『oddloop』で「踊る」というワードを掲げて以来(もしかするとそれ以前から)、もはや使命感に近いものを抱いているんじゃないかと思うレベルで。
最新アルバム『フレデリズム2』の豊かなアプローチにはその大きな視点が反映されている。例えば“CLIMAX NUMBER”ではモータウンビートを、“エンドレスメーデー”ではシンコペーションを使用。“夜にロックを聴いてしまったら”は4つ打ちの逆で、ハイハットが表拍で鳴っているのが面白い。また“LIGHT”、“YELLOW”のようにEDM的な曲もあるし、先に高速4つ打ちの一例として挙げた“スキライズム”もサビ終盤はレゲエっぽくなっていたりする。
多角的なリズムアプローチに、前ノリのベースラインとやや後ノリのギターという歪なコンビによる独自のグルーヴが掛け合わさり、出来上がるフレデリックのアンサンブル。「ダンスミュージックが本来的に持つ裾野の広さと奥深さを伝える」というバンドの意図は音源の時点で読み取れるが、昨年11月にはBPMを制限したライブ「フレデリズムツアー特別公演-LIGHT LIVE ♩=120〜140-」を開催するなど、彼らはライブでも新しいことを試し続けている。上半身のみが動く「縦ノリ」とは異なる、下半身含む全身が自然とノッてしまうような、身体的な意味で本当に「踊れる」状況を作ろうという気概がフレデリックの活動からは感じられるのだ。
これも結局ダンスミュージックというものをどう捉えるかというところに通じる話で、例えば彼らが「踊る」という行為を一時の快楽を満たすためだけのものとして解釈するバンドだったならば、血の通った感情をそこに託すことは選ばなかっただろう。「心躍る」という言葉もあるように、「踊る」とは身体のみならず心をも揺り動かされた結果、発現する行為であり、少々大げさな言い方になってしまうが、このバンドの哲学に則ると「踊る」とは「生きる」とほぼ同義なのかもしれない。振り返れば、ワンマンにおいてみんながハッとするような演出・構成を盛り込み、喜怒哀楽の他にも「驚」の感情をプラスしてきたこと。それから、ツアー会場のキャパが拡大していくなかで「今いるファンにこれまでのフレデリックを知ってもらう」、「その上で次のステップへ進む」と工程を踏み、バンドのストーリーをファンと分かち合うことを重視してきたこと。それらもこの辺りに通じる話なのでは、と思う。
夏フェスシーズンを目前にした今、改めて伝えたいのは、かつての私のように、大勢の人たちが一斉に盛り上がっている光景の中で上手く心を解けない人でも、フレデリックの音楽の中だったら本当の意味で「踊れる」んじゃないかということ。少なくとも彼らは、熱狂や多幸感の裏側にある孤独や寂寞を含んだ、平熱の感情を無視しない。また、「みんなと同じノリ方」をこちらに要求せず、むしろ音楽の多様な楽しみ方を提案してくれる。
だから踊れないあなたにこそ「踊れる」バンド、フレデリックをおすすめしたい。彼らの音楽はきっとあなたをまだ見ぬ世界へ連れ出してくれるはずだ。(蜂須賀ちなみ)