『COMINATCHA!!』のすごいところ、素晴らしいところはいくつもあるが、いちばん「すげえなあ」と思うのは、WANIMAとして変わらない、変えてはならないところを頑なに守りながら、その「ど真ん中」を思いっきりデカく、広く、深く育んでいるところだ。そしてその結果として「WANIMA、とんでもないところに来たなあ」という感慨と手応えを聴き手に感じさせる。いつもと同じ道を歩いていたらいつの間にか全然違う景色が目に飛び込んできたような、そんな驚きと喜びが、このアルバムにはある。「変わらない」をとことん突き詰めて掘り下げていった帰結として、今まででいちばんタフでいちばん優しい、つまりまったく新しいWANIMAが生まれたのだ。
全15曲、どれも聴き逃がせないが、そのなかでもキーとなっているのはツアーでも早くから披露されていたバラード“りんどう”ともう1曲、アルバムの前半に置かれたミディアムチューン“宝物”だろう。『ROCKIN'ON JAPAN』2019年11月号のインタビューで、KENTA(Vo・B)はこう語っている。
「(“宝物”は)新しい自分たちの柱で。もう1個新しいステージに持っていきたいなと思った時に、ああいう曲が必要だと思ったんですね」
KENTAが言うように、この曲にバンドの強い意図が込められていることは明白だ。ではその「意図」とはなにか。それは単に「バラードを作る」とか「スケールの大きな曲を作る」といった楽曲の形式の話ではない。
インタビューでもよく語られていることだが、WANIMAの曲作りはスタジオで遅いテンポで音を合わせるところからスタートするという。つまり――パブリックイメージやこれまでのアウトプットとは違うかもしれないが――WANIMAの3人にとって、こうしたゆったりとした楽曲の「かたち」自体が新しいわけではないし、ましてやそれが目的であるはずがない(それなら前作のフルアルバム『Everybody!!』にも“SNOW”という曲があった)。もちろん、ゴリゴリのパンクチューンやレゲエチューンでは届かないかもしれない人にも届く可能性が増えるという意味で、より間口の広い曲を作ろうとしたというのはあるだろうが、それはどちらかといえば手段の話だ。そうした「かたち」を手段として用いることで、彼らが何を届けようとしているのか、それが重要だ。
“宝物”で歌われているのは、過去の《手ごたえのない日々》を超えて《まだ見えない明日へ》と進んでいく強い意志だ。美しいストリングスの音色に背中を押されるように、空に向かって叫ぶようなKENTAの歌声はどんどん熱を帯び、その思いは最後の《ここにいる全て》という大きな一言に集約されていく。ゆったりとしたテンポとシンプルなメロディが、その歌詞のメッセージをはっきりくっきりと浮かび上がらせ、それを受け取る一人ひとりの心の奥深くまで届ける。
おわかりだろう。“りんどう”もそうだが、この曲でKENTAが歌っているのは、それこそ“ともに”や“アゲイン”で歌われてきたものと同じ、WANIMAのメインテーマだ。どんな過去があろうとも、どんなに辛い毎日だろうとも、歯を食いしばって生きていく姿を肯定する、でっかいメッセージである。それを勢いのあるビートやパワフルなリフに頼ることなく、シンプルで穏やかなメロディとサウンドで歌い切ること。WANIMAが“宝物”で成し遂げたのはそういうことではないか。
武装を解いた、という表現が適切かどうかはわからないが、少なくとも“宝物”のWANIMAは、今までにないほどに「裸」だと感じる。耳に届きやすくなったぶん、そこにある痛みも苦さもよりむき出しになっているという気すらする。それはつまり、彼ら自身の心の中身、本音をますますあらわにするということにほかならない。KENTAの言っている「新しいステージ」とはつまりそういうことなのだろうと思う。
より多くの人、より様々な人と本気でコミュニケーションを取り、ともに歌うためには、こっちがもっと本音でぶつかっていかなければならない。その痛みをちゃんと引き受けなければならない――「ならない」と書くと語弊がある。そうしたいと3人は思ったからこそ、今まで出してこなかった自分たちを音源に刻み、それをアルバムの柱に据えたのだ。
《言葉や想いが全部 間違わずに/届きますように》
“夏のどこかへ”でKENTAはそう歌っている。そこに透けて見える不安や怖さを感じながらなお、「届ける」という意志を貫き続けるWANIMAが一歩踏み込んで生み出した名曲。“宝物”には今のWANIMAの姿がはっきりと映し出されている。(小川智宏)