スパークルホースのマーク・リンカスが死去

スパークルホースのマーク・リンカスが3月6日、亡くなった。47歳だった。

マネージャーがニューヨーク・タイムズ紙に語ったところによれば、マーク・リンカスはテネシー州ノックスヴィルにある友人宅近くの路地で自ら心臓を撃ちぬいたという。警察は現地時間午後1時20分に通報を受けたが、現場で死亡が確認された。家族は銃がリンカス自身の所持するものだったことを認めている。

家族は以下のような声明を出した。

「非常に悲しいお知らせですが、私たちの愛すべき友人であり家族の一員であるマーク・リンカスが今日自らの命を絶ちました。彼と一緒に過ごせた時間のことをありがたく思いますし、私たちの心の中で彼は永遠に生き続けます。彼の旅路が平和で、幸福で、自由なものでありますように。あなたの行く先には天国と星が待っていることでしょう」

ヴァージニアで生まれ育ったマーク・リンカスはパンク・バンドで音楽活動を始め、80年代にはニューヨークとロサンゼルスに移り住んでインディー・バンドのザ・ダンシング・フーズ(The Dancing Hoods)として活動したが、音楽ビジネスに幻滅を覚えてヴァージニアに帰郷した。

その後彼はスパークルホースを結成し(これは彼自身の活動名義でもある)、1995年にデビュー・アルバム『Vivadixiesubmarinetransmissionplot』を発表。だがレディオヘッドをサポートした翌年のツアー中、滞在先のロンドンのホテルで抗不安薬のヴァリウムと抗鬱剤などをアルコールと一緒に摂取したことが原因となって2分間の心停止と14時間の意識不明状態に陥り、脚への血流が止まったことからその後6ヶ月間の車椅子生活を余儀なくされる。

活動に復帰してからは、トム・ウェイツとPJハーヴェイがゲスト参加し、高い評価を受けた2001年の『イッツ・ア・ワンダフル・ライフ』を含む3枚のアルバムをリリースした。ダニエル・ジョンストンの2003年作『フィア・ユアセルフ』や、2004年のトリビュート・アルバム『ダニエル・ジョンストンの歌』などのプロデュースも手がけた。

昨年はデンジャー・マウスとデヴィッド・リンチとのコラボ・アルバム『ダーク・ナイト・オブ・ザ・ソウル』を完成させた。この作品はデンジャー・マウスとレコード会社の間でトラブルがあったため公式にはリリースされていなかったが、先日この問題が解決し、まもなく公式リリースされる予定(http://ro69.jp/news/detail/31776)。

マネージャーによれば、スパークルホースのニュー・アルバムはまもなく完成し、<アンタイ>レーベルからリリースされることになっていたという。マーク・リンカスには両親と妻、3人の兄弟がいた。

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