クライヴ・デイヴィスやディディことショーン・コムズらがホイットニー・ヒューストンを追悼

1985年作『ホイットニー・ヒューストン』

2月11日にロスアンジェルスのビヴァリー・ヒルトン・ホテルの寝室で亡くなったホイットニー・ヒューストンはこのホテルで同日開催されたグラミー賞前夜祭ガラに出演する予定になっていたが、ホイットニーの訃報によってこのガラはホイットニーへの追悼イヴェントにもなったとビルボード誌が伝えている。

このガラはコロンビア・レコードではエアロスミスやアース・ウィンド・アンド・ファイアーらを発掘し、後にアリスタ・レコードを設立してホイットニーを見出したクライヴ・デイヴィスが主催するものだったが、パフォーマンスを始める前にデイヴィスは次のようにホイットニーへの悼辞を述べたという。

「ホイットニーは美しい人で、比較を越えた才能の持ち主でした。その神々しい存在感でもってステージを飾り、生前には数知れないほどの忘れえないパフォーマンスを披露してきました。簡単に言いますと、ホイットニーだったら、音楽をやめないでほしいと願ったはずですし、ご家族からも今日の催しはぜひやってほしいというお言葉をいただきました」

それから会場とともにしばらく沈黙で過ごした後、デイヴィスは「では、音楽を始めましょう!」と宣言し、ステージにはトニー・ベネットが登場し、『デュエッツ』からの“ハウ・ドゥー・ユー・キープ・ザ・ミュージック・プレイイング”を披露したが、トニーはこの曲をホイットニーに捧げ、次のような思い出話を披露した。

「(ホイットニーと契約した時)クライヴにこう言ったんだよ、ぼくがこれまで聴いた中でも最強の声をようやく手に入れたんだなってね」

その一方で前夜祭ガラとグラミー賞を運営する全米レコード芸術科学アカデミー会長のニール・ポーツノウは肩口からショーは続けなさいとホイットニーが囁いているのが聞こえたと語り、ガラの中止は考えなかったと説明している。

また、デイヴィスの後押しのなか、90年代に一大ヒップホップ帝国を作り上げてみせたプロデューサーのディディことショーン・コムズはイヴェントの冒頭でデイヴィスを紹介する前に次のようにホイットニーについて回想している。

「あの美しい笑い顔、とてつもないエネルギー、こっちが揺さぶられるようなハグ……ああいうのが俺をしゃんとさせてくれたんだよね。ホイットニーのごく自然なポジティヴ精神というか。だから、今夜はホイットニーを祝福するべきだと思うんだ。ホイットニーの歌を聴くのって神様からの贈り物を授かるようなもんだったからね」

また、パフォーマンスの最高潮にはデイヴィスがザ・キンクスを紹介し、ここにエルヴィス・コステロとジャクソン・ブラウンが加わったラインナップで、“デイズ”“オール・オブ・ザ・ナイト”“ローラ”“ユー・リアリー・ガット・ミー”を披露したという。